2025/6/28-29 軽井沢経由川中島古戦場ツーリング(女神湖、鬼押しハイウエー、鬼押出し園、松代城(海津城)跡、妻女山展望台、アップルパイラボ、ますや、上仲屋、ジャムこばやし、ヴェルデ)
東海地方の梅雨明けとともに、奥三河から南信州、東信州、そして北信州へ、二日間かけて遡る旅に走り出した。 ひと月程前に走り出した会社OBの先輩達との軽井沢ツーリング(一日目)、しかし生憎の雨模様に川中島古戦場を巡る行程を断念(二日目)する結果となった。
今回の旅の目的は、その時に断念した軽井沢から川中島古戦場へと足を延ばすルートをたどり直すことである。 具体的には、初日に蓼科高原を越えて駆け降りた佐久平に宿を取り、二日目に軽井沢から浅間山の麓へと駆け上がり、善光寺平の川中島古戦場を目指す一泊旅の行程となる。
また、日頃は早飯を食らい峠を巡る無骨な旅を身上とするバイク親父だが、今回はまったりと美味いものや観光地を巡る垢抜けた旅をレポートしてみたい。 旅の終わりを古戦場巡りで締めくくるあたり、すでに垢抜けぬ親父臭が漂っているかもしれぬがご容赦いただきたい(笑)。
川中島古戦場八幡社、武田信玄の軍配が宿敵上杉謙信の太刀を受ける
ルート概要
(一日目)
道の駅 信州平谷-国153→湯川-西部山麓農免農道→元山白山神社-県8→白山町3丁目-県15→座光寺スマートIC-ハーモニックロード(月夜平大橋展望台)→高森カントリークラブ-市道→リフレッシュタウン松川の里-県15→道の駅 花の里いいじま(アップルパイラボ)-県15→与田切-国153→飯島町役場入口-県215,県200→国153(バイパス)→道の駅 田切の里-県18(火山峠)→伊那市立富県小学校-県209,県10→三峰川橋手前-県209→小原-国152(高遠そば ますや)→安国寺西-県16-県197→茅野町-市道→御座石神社-国299→湖東新井-国152→芹ケ沢西-八ヶ岳西麓広域農道-湯川バイパス→国152→白樺湖-県40(ビーナスライン)→女神湖-県40-国152→協東橋東-国151→望月-国142→百沢東-県44→JR佐久平駅(そばダイニング上仲屋)
(二日目)
JR佐久平駅-市道→長土呂南-国141→佐久IC西-市道→西屋敷-県137→小田井-県9→馬瀬口-国18→離山-離山通り→旧軽井沢銀座商店街(ジャムこばやし)-離山通り-国18→中軽井沢-国146→峰の茶屋-鬼押しハイウエー(六里ヶ原休憩所、鬼押出し園)→すずらん坂-県235→大笹-国406→菅平高原(ヴェルデ)-県34→領家-国403→柴-県382→中村-県445→川中島古戦場跡-県35→長野インター南-国403→松代城北駐車場(海津城跡)-国403→妻女山展望台-国403-国18→更埴IC-長野自動車道→姨捨SA(上り)
ツーリングレポート(一日目)
早朝の奥三河から南信州にむけて国道153を走り出すと、飯田市街に差しかかったところで西部山麓能面道路へと駆け上がり、さらにハーモニックロードへと走り継いで月夜平大橋展望台にたどり着いた。
伊那谷を見下ろしながら中央アルプスの麓を駆け抜ける南信州の定番ルート、そして月夜平大橋展望台から伊那谷越しに南アルプスの稜線を望む眺めは、観光ツーリングを謳う今回の旅の始まりにもふさわしいのではなかろうか。
ところで、今回の旅の相棒は四つ足のPolo GTI、高い車体剛性による走安定性と接地感、DSGのダイレクトな操作感が気に入って乗り始めた相棒である。 軽快な1.5Lクラスの車体に2Lターボのエンジン、KWの車高調で多少の腰高感を解消してやれば高齢者が峠を楽しむには十分であろう(笑)。
...っと、ドイツ生まれのホット・ハッチの話は別の機会に譲るとして、信州を縦走する観光ツーリングのレポートに戻りたい(笑)。 基本的に、二輪だけでなく四輪でも快適にドライブできるルートをたどったので、家族連れのドライブにも役立つ旅情報が伝えられると思う。
月夜平大橋展望台から伊那谷越しに南アルプスの稜線を望む
ハーモニックロードを高森カントリークラブまで走りきると、さらに県道15を北上して道の駅 花の里いいじまにたどり着いた。 残念ながら、ソースカツ丼などの地元飯を供する食堂の営業にはまだ早く、信州産りんごのアップルパイ専門店「アップルパイラボ」でスイーツ・モーニングをいただくことにした。
そして、シャキシャキした食感が残る信州ふじと紅玉のアップルパイを食べ比べ、さわやかな信州ふじと濃厚な紅玉の違いを味わうこととなった。 まだ朝の涼感が残る南アルプスを望むテラス席、自販機で購入した冷たい紅茶とともに信州デザートを堪能する。
信州りんごのアップルパイ専門店、アップルパイラボでスイーツ・モーニング
シャキシャキの食感が残るアップルパイ、信州ふじと紅玉の食べ比べ
その後、道の駅 花の里いいじまから走り出して伊那谷を流れる天竜川を渡り、伊那山地の麓を走る県道18を北上し続けた。 そして高遠城址にさしかかったところで昼時となり、国道152沿いにある高遠そばますやで昼食を取ることにした。 開店前の到着であったが、高遠そばの人気店らしく名簿に名を連ねての開店待ちである。
高遠そばの人気店ますや、席待ち名簿に名を連ね開店を待つ
焼味噌を溶いたつゆに辛み大根の薬味が高遠そばの代名詞
高遠産十割の田舎そば、強い香りと食感が高遠そばのつゆに合う
高遠そばの昼食を終えて再び国道152に走り出すと、杖突峠から諏訪盆地へと一気に駆け降りて、道なりに茅野市街を抜けて蓼科高原へと駆け上がって行った。
そして前回の軽井沢ツーリングでは、霧に包まれ眺望が開けなかった女神湖を再訪し、標高約1,500m、全周約1.8kmの湖岸を散策することにした。
早速、女神湖をせき止めた南岸堤防を彩るユウガギクの群生から時計回りに歩き出すと、まずは西岸の白樺並木の木陰から標高2,531mの蓼科山を望むこととなった。 そして北岸の桟橋からは、穏やかな湖面に均整の取れた姿を映す蓼科山を望み、”女の神山”と呼ばれる蓼科山が女神湖の由来であることを思い出した。
さらに東岸まで歩くと、水鳥がおよぐ水辺を渡る遊歩道が整備されており、春のザゼンソウ、初夏のレンゲツツジなどの高山植物を楽しむことができる。 場所ごとにそこに自生する植物の解説が添えられているので、事前の知識がなくとも十分に楽しむことができるだろう。
女神湖を堰き止めた堤防を彩るユウガギクの群生
女神湖西岸、白樺の木陰から標高2,531mの蓼科山を望む
女神湖北岸、”女の神山”と呼ばれる蓼科山の優美な山容が湖面に映る
女神湖東岸、季節を彩る高山植物が群生する水辺の遊歩道を歩く
湖岸散策を終えて女神湖センターで休憩すると、県道40から国道152へと走り継ぎながら、宿をとる佐久平へと下って行った。 JR佐久平駅近くのホテルに宿泊し、目星をつけた郷土料理店の佐久鯉料理と地酒で、旅の初日を締めくくる算段なのである。
ちなみに佐久鯉で有名な長野県の千曲川は、新潟県に入ると信濃川と名を変える日本最長河川の一区間である。 明日二日目の行程では、善光寺平北端まで千曲川を下り、甲斐の武田信玄が宿敵上杉謙信と計5回、12年に渡り戦った川中島の古戦場を巡る予定である。
さて、チェックインを済ませて汗を流し訪れたのは「そばダイニング上仲屋」、お目当ての佐久鯉をはじめ地元産の蕎麦や野菜、そして酒造りが盛んな佐久の地酒まで、地産地消にこだわった郷土料理をリーズナブルにいただける店である。 地元客から観光客まで人気の店ゆえ、予約して訪れた方が無難であろう。
地元食材にこだる「そばダイニング上仲屋」、佐久の郷土料理や地酒を堪能
さて、テーブル席に落ち着き早速注文したのは冷たく洗い絞められた佐久鯉の洗い、そして甘辛く煮付けられた佐久鯉のうま煮。 さらに、澤乃花、寒竹、牧水...辛口の地酒を並べて料理に合う純米酒を探し酔っぱらう。 良質な酒米が育ち寒冷な気候の佐久は十三もの酒蔵がある酒どころ、一泊の観光ツーリングで佐久の地酒を味わい尽くせるはずもなく、再訪の口実を土産に旅を続けることになりそうだ。
よく洗い絞められた佐久鯉、歯ごたえと旨味を佐久の地酒で洗い呑む
甘辛く煮付けられた佐久鯉のうま煮、滋味深い郷土食にまた地酒も進む
その後さらに幾品かの佐久料理を平らげると、佐久の遊休農地を活用して自家栽培された手打ち蕎麦をいただき、佐久三昧の夕食をしめくくることとなった。
最近は、都市熱で蒸しかえる名古屋の熱帯夜が身に染みた昭和親父、店を出て感じた久しぶりの夏の夜の涼感に子供のころを思い出し、酔い覚ましにホテルまでの道中を少し遠回りすることにした。
明日は東信州の佐久平から軽井沢へと駆け上がり、さらに浅間山の裾野から菅平高原を抜けて、北信州善光寺平の川中島古戦場を巡り信州の観光ツーリングを終える予定である。
ツーリングレポート(二日目)
翌朝ゆっくりとホテルの朝食を済ませると、旧軽井沢銀座通りの開店時間を見計らい軽井沢に向けて走り出した。 すでに休日の軽井沢に向かう国道18は混みだしていたが、カラマツ並木が美しい旧中山道三笠通りに分岐すると、道なりに旧軽井沢銀座商店街にたどりついた。
歩行者であふれる旧軽井沢銀座通り、強引に通行する車両も見かけたが、四輪二輪に関わらず駐車場を利用した方が無難だろう。 今回も、目星をつけていた旧軽駐車場に相棒を停め、駐車場からほど近い旧軽井沢銀座通りへと歩き出した。
さて、旧軽井沢銀座通りは軽井沢で一番の賑わいをみせるメインストリート、約750mの通りの両側には老舗のベーカリーやコーヒーショップ、土産物店や食べ歩きの店が軒を連ねている。 日頃の峠を巡るツーリングではまず立ち寄らないのだが(笑)、軽井沢の観光ツーリングを謳うならば欠かせぬ観光スポットであろう。
そして実際に歩き出してみると、流石に東京圏からの観光客が多い天下の避暑地である。 コンサバ?な名古屋に暮らす昭和親父は、通りを歩く人々に世の中の多様性を感じることとなった。 渋谷の人混みにのまれると人酔いする田舎者にも、この程度の刺激なら凝り固まった頭を解すに丁度良い(笑)。
軽井沢のメインストリート旧軽井沢銀座通り、お洒落な老舗が軒を連ねる
そしてスイーツ・ショップや土産物店などのぞきながらたどり着いたのは、軽井沢の老舗ジャム専門店、創業1949年の「ジャムこばやし」。 果実店を営んでいた創業者が亡命したロシア人に製法を教わったのがはじまりの店である。 個人的には40年ほど前に訪れ、当時としては珍しい素材を使った素朴なジャムに感動した懐かしい店である。
残念ながら、当時お気に入りだったこけももジャムはメニュー落ちしていたが、容器やラベルなど手作り感いっぱいの素朴なジャムは記憶通り、そしてかわらずリーズナブルな手作りジャムを購入し旧軽井沢銀座を後にした。
ちなみに、旧軽井沢銀座通りを道なりに抜けると、1895(明治28)年に軽井沢で最初に創設された「軽井沢ショー記念礼拝堂」がある。 創設当時、ショー司祭が母国カナダに似た軽井沢に別荘を建てたのが、その後避暑地として栄えるきっかけになった。
軽井沢ジャム専門店の老舗「ジャムこばやし」、約40年ぶりの懐かしい店
40年前と変わらず、素朴でリーズナブルなジャムこばやしのジャム
旧軽井沢銀座通りの散策を終えて、往路の三笠通りから国道18へ折り返すと、中軽井沢から国道146に分岐して浅間山方面へ駆け上がって行った。 時間が許すなら、旧軽井沢銀座から白糸ハイランドウエイを経由して白糸の滝を観光することもできるが、今回は川中島古戦場巡りの行程を考慮して見送ることにした。
さて、国道146のダイナミックな九十九折れを駆け上がると、峰の茶屋から有料観光道路鬼押しハイウエーへと分岐して、さらに浅間山の麓へと駆け上がって行った。 そしてたどりついた六里ヶ原休憩所から見上げる晴天の浅間山、右手北側の裾野には1783(天明3)年の噴火で流れ出た鬼押出し溶岩流がはっきりと見てとれる。
鬼押しハイウエーから見上げる浅間山、右手北側山麓に鬼押出し溶岩流
六里ヶ原休憩所から鬼押しハイウエーに復帰して程なく、1783(天明3)年の天明の大噴火で噴出した鬼押出し溶岩流を遊歩道で散策できる鬼押出し園にたどり着いた。 ちなみに、大人700円也の入園料は、JAF会員割引で600円也になる。
そして鬼押出し園の遊歩道に歩き出すと、荒涼とした鬼押出し溶岩流越しに噴煙が立ち上る浅間山(2,568m)を間近に見上げ、その絶景に息をのむ。
また鬼押し出し園内には、天明の大噴火の犠牲者を慰霊・供養するための観音堂が昭和33年に建立されている。 その標高1,353mの浅間山観音堂境内からは、背後の浅間山をはじめ、谷川岳(1,977m)、苗場山(2,145m)、草津白根山(2,160m)、四阿山(2,354m)などの、上信越高原国立公園の山々を見渡すことができる。
どこか昭和の観光地感が漂う鬼押し出し園ではあるが、浅間山をはじめとする上信越高原国立公園の絶景は、時代を越えて訪れてみる価値があるだろう。
鬼押出し園遊歩道から、1783年の鬼押出し溶岩越しの浅間山
天明の大噴火の犠牲者を慰霊する浅間山観音堂、境内から上信越高原国立公園の絶景
鬼押出し園の散策を終えて鬼押しハイウエーに復帰すると、程なく県道235を経由して菅平高原方面へ向かう国道406へと走り出した。 そしてしばらくは、一面のキャベツ畑が広がる嬬恋村を貫ける国道406を走り続け、根子岳・四阿山の麓に広がる菅平高原にさしかかった。
そして、ここまで旧軽井沢銀座から浅間山まで観光ツーリングをゆっくり満喫し、昼食を取るタイミングを逸していたことに気づく。 ちなみに、標高1,300mの菅平高原は冬場のスキーリゾートだけでなく、夏場も様々なスポーツの合宿地として有名である。 それゆえ合宿客向けであろうか、昼食を供する何軒かの食事処が営業しており、国道沿いで遅い昼食を取れる店を探すことにした。
そして、印象的な山小屋風の外観とともに国道沿いで見つけたのが、お食事&喫茶 ヴェルデ。 店の外壁に掲げられた洋食メニューも、信州の蕎麦と郷土料理で満たされた胃袋をリセットするによさ気である。
菅平高原のお食事&喫茶 ヴェルデ、信州三昧の胃袋を洋食でリセット
早速、店内に入り窓際のテーブル席に落ち着くと、開け放たれた窓から高原の涼風が流れてくる。 猛暑日と熱中症警報が日常の名古屋と比べると別世界、冬の厳しさを知らぬ一見親父は良いとこどりの避暑を体感することとなった。
そして店を切り盛りするお母さんに注文したのは、洋食の王道海老フライ定食1,450円也。 程なく配膳された、サクサクの衣をまとったプリプリの海老フライ、付け合わせのシャキシャキした高原野菜、そして信州の家庭料理を思わせる小鉢やみそ汁まで、盛りだくさんの定食を一気に平らげた。
ヴェルデの洋食ランチを終えて国道406に走り出すと、すぐに県道34に分岐して川中島古戦場への最短距離をたどることにした。 菅平高原から善光寺平こと長野盆地へ駆け降りるこの県道34、観光ツーリングを謳う今回の行程において一番の難攻ルートであった。
車線のないタフな九十九折れを駆け降りるこのルート、観光ツーリングの肩書を外してしまえばむしろ楽しめるかもしれない(笑)。 実際のところ、すれ違った幾台かの地元四輪はかなりのハイペース、ブラインドも少ないので二輪であれば離合も気にならず楽しめるだろう。
海老フライ定食1,450円也、サクサクの衣をまとったプリプリの海老フライ
ここであらためて、今回古戦場を巡る川中島の戦についてふれておきたい。 1541(天文11)年に父信虎を駿河に追放し甲斐武田家当主となった武田信玄、諏訪・佐久を併合したのち1553(天文22)年には信濃へ侵攻し、越後上杉謙信との計5回、12年に渡る川中島の戦が始まった。 今回の川中島古戦場巡りでは、最も激しい戦いとなった1661(永禄4)年の第4次川中島の戦の痕跡をたどることにした。
結果的にこの戦いで信玄は、弟の信繁、両角虎光、三枝新十郎、そして山本勘助らの重鎮を失うこととなったが、川中島の領地化を確実なものにした。 両軍が勝利を宣言した戦いの勝ち負けは兎も角、両雄の強かな駆け引きは現代まで語り継がれているのである。
そして今回実際に訪れたのは、約2万の武田軍と約1万3千の上杉軍が全面衝突した八幡原古戦場(現川中島古戦場史跡公園)、武田軍が川中島攻略拠点として築いた海津城跡(現松城城跡)、そして上杉軍が陣を構えた妻女山山頂展望台の三カ所である。
また、これから古戦場巡りをレポートするにあたり、まずは信玄と謙信が繰り広げた戦いの駆け引きと経緯についても簡単に触れておきたい。 最後に訪れた妻女山山頂展望台には、両軍の布陣がわかりやすく図解されていた。
まずは戦いの始まり、海津城に本陣を置く武田信玄は、別動隊12,000が妻女山の上杉謙信に奇襲をかけ、一騎打ち像があった八幡原に着陣した本隊8,000が鶴翼の陣で待ち受け、別動隊に追われた上杉軍を挟撃する啄木鳥戦法を仕掛けようとした。
しかし、海津城の武田軍の奇襲の動きを察知した上杉謙信は、夜陰に乗じて妻女山を下って千曲川を渡り、逆に八幡原に着陣した信玄本隊に車懸かりの陣で先制攻撃を仕掛けることに成功したのである。
結果的に戦いの前半は不意を突かれた武田軍本隊が劣勢に追い込まれ、後半は後詰めの武田軍の別動隊に挟撃された上杉軍が劣勢となり、犀川を渡り善光寺に敗走して戦いの幕を閉じることとなった。 結果は前述の通り、お互いの退路が交錯したこの第4次川中島の戦は、5回に渡る川中島合戦最大の激戦となり、武田軍4,000余、上杉軍3,000余の兵を失ったのである。
余談だが、この経緯に触れて思い浮かんだのは、徳川家康が武田信玄に大敗した三方ヶ原の戦いであった。 戦国史上負け知らずとも称される謙信と、このような駆け引きを繰り返していた信玄に、浜松城から誘い出された若き家康が待ち伏せを食らったのもさもありなん。
妻女山展望台では武田軍と上杉軍の動きが分かりやすく図解されている
さて、善光寺平の街並みを見下ろしながら県道34を下りきると、国道403を走り継いで犀川と千曲川に挟まれた三角地帯にさしかかった。 そしていよいよ、川中島古戦場巡り最初の目的地である川中島古戦場史跡公園にたどりついた。
そして、はやる気持ちを抑えながら相棒を公園駐車場に停めると、公園内の八幡社境内にある武田信玄と上杉謙信の一騎打ち像と対面した。
この場面は前述の合戦の経緯でも触れた、八幡原で待ち伏せた信玄本隊に謙信が逆奇襲をかけたときの一場面を再現したものである。 実際に戦国最強の両雄の一騎討があったかどうかは別にして、単騎で攻め込んだ謙信の馬上からの一太刀を、胡床に座る信玄が軍配で捌く絵面は一見の価値があるだろう。
川中島古戦場史跡公園八幡社、武田信玄と上杉謙信の一騎打ち像
その後、犀川と千曲川の三角地帯にある川中島古戦場史跡公園を後にすると千曲川を渡り、二番目の目的地、信玄が川中島攻略の拠点として山本勘助に築かせた海津城址へと移動した。
現在は江戸時代に真田氏が松代藩主をつとめた松代城跡が復元されており、川中島の合戦当時の海津城の痕跡は海津城跡の石碑が建つのみとなっている。
また、川中島の合戦当時の千曲川は現在よりも南側を流れており、川中島を見渡す海津城は千曲川を外堀とする天然の要塞であった。 現在の城跡内で最も高い戌亥櫓(うしとらやぐら)に登ってみたが、残念ながら激戦地となった川中島の八幡原や上杉謙信が陣を構えた妻女山を望むことは叶わなかった。
真田氏が藩主を務めた松代城跡として復元されたかつての海津城跡
松代城跡内に立つ海津城跡の石碑、川中島合戦当時の痕跡は少ない
そして、古戦場巡りの最後に訪れたのは、上杉謙信が陣を構えた妻女山山頂。 国道403から分岐して離合もままならぬ山道を少し登ると、程なく足場が組まれた山頂展望台にたどりついた。 そしてその山頂展望台からは、川中島合戦の舞台となった犀川と千曲川の三角地帯、信玄が本陣を構えていた海津城など善光寺平の全景を見渡すことができる。
生憎今回は、大きく茂った木々に海津城城跡への視界を遮られていたが、謙信が海津城の動きで武田軍別動隊の奇襲を察知して、八幡原の信玄本隊に先制攻撃を仕掛けた進軍ルートなど、全体を俯瞰して合戦を妄想するに十分な眺望であった。
また展望台には、冒頭に紹介した両軍の動きを図解した解説版が設置されており、両軍の布陣や進軍ルートを現在の景色と照らし合わせながら、善光寺平で繰り広げられた合戦を想像することができるだろう。
妻女山山頂展望台から善光寺平の眺め、正面を横切る千曲川の先に川中島古戦場
さて、川中島古戦場を巡る観光ツーリング、その最後を飾るにふさわしい妻女山からの眺めを心に刻むと、妻女山を下って最寄りの長野自動車道更埴ICに向けて走り出した。
そして長野道更埴ICから名古屋方面へ走り出して程なく、善光寺平を一望する姨捨SAに立ち寄った。 川中島の古戦場を巡る旅を終えてみると、千曲川が流れる先に広がる善光寺平の景色もまた、これまでと違って見えるから不思議なものである。
川中島古戦場巡りを終えた姨捨SA、千曲川の流れの先に広がる善光寺平の眺望
さてさて、天候にも恵まれ信州を縦断し川中島古戦場を巡った今回の旅、前回雨模様だった軽井沢ツーリングで走り残した行程をあらためて満喫する旅となった。
また観光ツーリングを掲げた今回の旅、日頃の峠と食堂飯を巡る無骨な旅とは異なり、家族とも楽しめそうな旅情報をレポートできていれば幸いある。 高遠そばや佐久平の郷土料理、女神湖や旧軽井沢銀座、鬼押出し園の散策など定番コンテンツは兎も角、川中島古戦場巡りなど多少の親父臭が漂うレポートについては適宜転読ください(笑)。
...と言いつつも、武田信玄びいきの昭和親父の心に残ったのは、やはり川中島古戦場巡りで垣間見た信玄の生き様であった。
決して豊かではない地元甲斐の繁栄を大義に掲げる信玄が、宿敵謙信と川中島の肥沃な土地を懸けて戦う覚悟に触れ直し、また戦わずして勝つ戦略思考や納得のゆく戦術にこだわる生き様に改めて共感する旅となった。
勝負は時の運、先の読めぬ世の中だからこそ、結果を受け入れて納得のゆくプロセスにこだわりたいところである。 信玄が生きた痕跡探し旅するごとに、こころざし半ばで病に没しながらも、それを実践した信玄の生き様にさらに傾倒してゆく親父なのである。
ツーリング情報
APPLE PIE lab 飯島 長野県上伊那郡飯島町七久保2252 (電話)0265-98-5660
高遠そば ますや 伊那市高遠町東高遠1071 (電話)0265-94-5123
そばダイニング上仲屋 長野県佐久市佐久平駅北24-2 (電話)0267-88-7561
鬼押出し園 群馬県吾妻郡嬬恋村鎌原1053 (電話)0279-86-4141
ヴェルデ 長野県上田市菅平高原菅平1223-4365 (電話)0268-74-3018
川中島古戦場史跡公園 長野市小島田町1384-1 (電話)026-224-5054(長野市役所内)
松代城跡(海津城跡) 長野県長野市松代町松代44 (電話)026-278-2801(真田宝物館)
妻女山山頂展望台 長野県長野市松代町岩野 (電話)026-278-3366(信州松代観光協会)
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