2025/07/26 [1/2日目]湖東~湖南 近江ツーリング_琵琶湖を食らう(日牟禮八幡宮、近江八幡山城跡、八幡堀、琵琶湖博物館、古川酒造、下田屋)


 日本一の広さを誇る琵琶湖を有する近江の国、その湖東~湖南エリアをめぐる一泊旅に出かけることにした。 これまで西美濃の峠道をつなぎ湖東~湖北エリアを訪れることはあったが、市街地走行が多くなる湖東~湖南エリアをツーリングする機会はほとんどなかった。

 そして今回、遅ればせながらではあるが、琵琶湖八珍とも呼ばれる淡海の幸、その郷土料理に合う近江の地酒を味わおうと、泊りがけの旅に走り出すことにした次第である。

 しかし、名古屋から日帰りも可能な近江地方ゆえ、二日間かけて近江の美味いものをいただくだけではもったいない。 近江や琵琶湖の歴史や文化を学びながら旅を満喫する行程を組むことにした。

 大まかに言えば、一日目は神社や史跡、博物館を訪れて近江と琵琶湖の歴史や食文化を学び、琵琶の美味いものと近江の地酒を満喫する。 そして二日目は、壬申の乱の激戦地となった瀬田の唐橋を旅の起点に、奈良、平安時代から現代に続く日本の型ができる歴史に思いを馳せ、甲賀の鹿深の道へ続く古代ルートをたどり帰還する行程になる。

 ここではまず一日めのレポートに際し、初日にたどった工程の概要をお伝えしておきたいと思う。

 まず、東海環状道大安ICを旅の起点に国道421の石榑トンネルで鈴鹿山脈を越え、近江八幡市の日牟禮八幡宮、近江八幡山城跡(八幡山ロープウェー)、八幡山城下の八幡堀を訪れることにした。

 そして、琵琶湖湖岸のさざなみ街道を南下して県立琵琶湖博物館を見学し、宿泊するJR南草津駅近くのホテルに早めのチェックインを済ませる予定である。

 その後、JR南草津駅近くの旧東海道草津宿の酒蔵古川酒造に立ち寄り、さらにJR琵琶湖線で移動した大津駅近くの下田屋で、近江の郷土料理と地酒を満喫し初日の旅を終えることにした。 

 さてさて、今回初めて訪れた湖東~湖南エリア、琵琶湖や近江の歴史や食文化にも触れ直し、ただ広いだけだった琵琶湖や通り過ぎるだけだった街々の印象も変わるかもしれぬ。 まずは初日、近江と琵琶湖の歴史や食文化を学び、琵琶の美味いものと近江の地酒を満喫する旅をレポートしてみたい。


近江国の守護日牟禮八幡宮、昭和29年近江八幡市の由来になった



ルート概要


東海環状自動車道大安IC国421(石榑トンネル)→永源寺ダムー国421→市原野町グラウンドー県170 →近鉄市辺駅-県168→蛭子神社-市道-国421→友定町-県26→県道多賀→市道→日牟禮八幡宮,近江八幡山城跡(八幡山ロープウェー),八幡堀,白雲館(旧八幡東小学校)-市道→大房(大房町農村公園)-県26→湖岸白鳥川-県559(さざなみ街道)滋賀県立琵琶湖博物館県559(さざなみ街道)→帰帆北橋-県42-県18→JR南草津駅(旧東海道草津宿 古川酒造)-JR琵琶湖線→JR大津(下田屋)


ツーリングレポート


 名古屋から伊勢湾岸道を経由して東海環状道大安インターを駆け降りると、2011年に開通した全長約4.2kmの石榑(いしぐれ)トンネルで鈴鹿山脈を越える国道421へと舵を切った。

 これまでの旅を振り返ってみると、その石槫トンネルが開通する以前の2006年に訪れ、当時の相棒ZRX1100を切り返すにも難儀する酷道に苦戦し、巨大ブロックで車幅制限された石槫峠を越えた記憶が残っている。

 かつて泣きながら越えた峠道へのノスタルジーは兎も角、目指す近江八幡の日牟禮八幡宮へのルートを遮る鈴鹿山脈を、労せずに貫けられる石槫トンネルの完成はありがたい。 早朝の走り出しと相まって、観光客でざわつく前の静かな八幡宮参拝が叶いそうである。


石槫トンネル開通前の国道421と石槫峠(2006年6月撮影)


 さて、石槫トンネルでお気楽極楽の峠越えを目論んでいた晴れふら親父だが、国道421がいよいよ鈴鹿山脈越えの麓に差しかかると、突然行く手に湧いてきたぶ厚い雨雲に遭遇する。 ここまで、名古屋から猛暑を予感させる朝日を背に走り続け、雨に降られるこよなど思いもしなかったバイク親父は、成すすべもなくたた雨雲に向けて走り続ける。


近江を目指す国道421、鈴鹿山脈の山々を覆う突然の雨雲に遭遇する


 そして、ままよと雨雲に突っ込むと想像以上の激しい雨脚、それをメッシュジャケット越しに全身で浴びながら、停まることもできずに走り続ける。 それからしばらく濡れながら標高を稼ぐと、雨雲を抜けたのか雨は小降りとなり行く手の見通しも開けてきた。

 たまらず濡れネズミの身なりを整えようと、雨水が川のように流れる路側に相棒を停めた。 相棒の車体色パールストームグレー、平たく言うと鼠色、まさに濡れネズミ(笑)。 まったくもって、幸先の良い走り出しである(泣)。

雨雲を抜け雨も小降りになってきた、路側で濡れネズミの身なりを整える


 その後、石槫トンネルの三重県側の入り口に差しかかるころには雨も上がり、冒頭で紹介した石槫峠を越える旧国道421への分岐が目に留まった。 巨大なコンクリート・ブロックで車幅が規制されていた石槫峠の様子も気になるが、少なくとも乾燥重量220kgを越える今の相棒とその峠を越えることは無いだろう(笑)。

石槫トンネルの三重県側入り口、左手に旧国道421の分岐が見える


 さて、石黒トンネルを貫けて滋賀県東近江市に駆け出すと、三重県いなべ市側の雨雲が嘘のようにさわやかな晴天が広がり、琵琶湖に注ぐ愛知川(えちがわ)の源流域を下って行った。 渓流釣り師で賑わう山村の景色を眺めながら、国道421の緩やかな快走路をテンポよく下るうちに、濡れネズミだった乗り手と相棒の体は乾いていった。 

石槫トンネルを貫けると爽やかな大空が広がり、国道421の緩やかな快走路を下る


 その後、愛知川の流れに沿って国道421を下り続けると、湖東エリアに農業用水を供給する永源寺ダムの湖岸道路にさしかかった。 琵琶湖の美味いものや近江の地酒を妄想しながら走ると、それを産み出すための苦労がこんな上流から始まっていることに気づかされる。 そんなことに気づける食い意地まみれの旅も、まんざらではないと悦に入る煩悩親父であった(笑)。

 さて、永源寺ダムにむけてダム湖を大きく回り込むような湖岸道路、濡れネズミになった峠越えの埋め合わのような快走路を、W800streetの小気味よい排気音を響かせながら駆け抜ける。 その後国道421を道なりに東近江市街へと駆け降り、さらに県道を繋ぎながら近江八幡市街へと走り続けた。


愛知川沿いの国421を駆け降り、永源寺ダムの湖岸道路を快走する


 国道421を東近江市街まで下ってくると、県道を繋ぎながら近江八幡市街を貫けて、最初の訪問地日牟禮八幡宮にたどり着いた。 早朝の走り出しが功を奏して開門後間もない到着、、神社前にある無料駐車場の参拝車両もまばらであった。

 さて、日牟禮八幡宮は約1800年の歴史をもち、近江の人々の守護として天皇、大名、近江商人にも永く崇拝され、昭和29年の市政移行時には近江八幡市の由来になった古社である。

 また日牟禮八幡宮には、誉田別尊(応神天皇)、息長足姫尊(功皇后)、比売神(宗像三女神)が祀られ、厄除け開運をはじめ商売繁盛などのご利益が知られている。


日牟禮八幡宮の楼門(随神門)、1800年の歴史をもつ近江の守護


 早速、木造入母屋造の楼門脇に設けられた駐輪スペースに相棒を停めると、障がい者向けに設けられた拝殿横の石段を登り本殿に参拝した。

 そして、いただいた御朱印に添えられていた由緒書きによると、691(持統5)年に藤原不比等が参拝して詠んだ、「天降りの 神の誕生の八幡かも ひむれの杜に なびく白雲」の和歌に因み、現在の日牟禮社に改名されたとのことである。

 思いがけず、壬申の乱(672年)の後に日本の型を創ったと言われる藤原不比等と、日牟禮八幡宮の縁ににふれることになった。

 ちなみに二日目の旅のはじめには、壬申の乱が決した瀬田の唐橋を訪れる予定である。 そこで改めて、不比等が大国唐に対峙するために創った日本の雛形についても触れてみたい。 その業績がなければ、現在の日本は中国の歴史の一部として埋もれていたかもしれぬ。


開門後間もない静かな境内、本殿に参拝し御朱印をいただく


 近江八幡の由来となった日牟禮八幡宮に参拝後、隣接する八幡山ロープウェーで、標高約272mの八幡山に築かれた八幡山城跡に登ってみることにした。 早速、近江鉄道が営む八幡山ロープウェーの麓駅を訪れ、大人950円也の往復チケットを購入すると、5分足らずの乗車で近江八幡を見下ろす山頂駅にたどり着いた。

 ちなみにこの八幡山城は、1582(天正10)年本能寺の変に伴う安土城落城から3年後、1585(天生13)年に近江43万石の領主となった豊臣秀次によって築かれた山城である。 織田政権の簒奪を果たした豊臣秀吉は、この八幡山城を安土城に変わる近江の国城と位置づけ、安土城の建物や城下町の移築を普請したとされる。


八幡山ロープウェー麓駅から5分足らず、近江八幡を見下ろす山頂駅に到着した


 八幡山ロープウェーの山頂駅に到着すると、まずは山頂駅からほど近い二の丸展望台を訪れることにした。 そして二の丸展望台からは、1576(天生4)年に織田信長が天下統一の拠点として築いた安土城跡を望むこととなった。 湖東エリアに広がる青田の先、西の湖の右手東側に目をやれば、標高約199mの安土山に残る城跡を見つけることができるだろう。

 歯止めの効かぬ猛暑の中、還暦バイク親父が安土城跡の石段を登りきるのはかなり厳しい。 ロープウェーで労せず登頂した八幡山城跡から、安土城跡も眺める一石二鳥の城跡観光は、全くもってありがたいのである(笑)。


八幡山城跡二の丸展望台からの眺望、西の湖右手東側に安土山城跡を望む


 ところで、安土城に変わって近江の国城となった八幡山城と、城主の豊臣秀次の物語には悲しい続きがある。 秀吉の養子となり関白職を継いだ秀次だったが、秀吉に嫡男秀頼が誕生すると謀反の嫌疑で高野山謹慎を命じられて切腹、秀次の首が晒された三条河原で妻子達も斬首される凄惨な結果となった。 秀次が八幡山城の城下に、近江商人の町の礎を築いたわずか5年後のことである。

 豊臣政権はこの秀次事件で下支えを失ったせいで崩壊したともいわれており、また織田政権も長島一向一揆で信長の弟信興らを失ったことが政権崩壊の原因ともいわれている。 三河武士の下支えがあって天下泰平を成し得た徳川家康と何とも対照的である。 時代を問わず我々が学ぶべきことは、共感し下支えしてくれる仲間がいなければ、己一人で大義は成し得ないという教訓であろうか。

 二の丸展望台にある展望館には、八幡山城主だった豊臣秀次が遭遇した悲惨な生涯が解説されている。 それを知った直後に、二の丸展望台から西の丸跡への散策路をたどると、本丸石垣などわずかに残る八幡山城の痕跡にも悲哀を禁じ得ないのである。 本丸跡には、秀次菩提寺の村雲御所瑞龍寺が京都から移築されており供養参りも可能である。

 


西の丸に向かう散策路に残る本丸石垣、わずかに残る八幡山城の痕跡


 さて、二の丸展望台から八幡山城の痕跡を探しながら西の丸に移動すると、正面眼下に湖東エリアの琵琶湖の眺望が広がった。 左手の湖南エリア、そして右手の湖北エリアまで全体を見通すことはできず、ここでも日本一を誇る琵琶湖の大きさを体感する。

 これからたどる、湖東から湖南エリアへと続く湖岸道路を確認して山頂駅に戻ることにした。


西の丸から正面眼下に広がる湖東エリアの眺望、広すぎて琵琶湖全体は見渡せず


 八幡山ロープウェーの麓駅まで下りてくると、乗車待ちの観光客の長い列ができていた。 スケジュールやルート設定の自由度が高いバイク旅に限れば、「早起きは三文の徳」という諺はまんざら嘘でもなさそうである。

 日牟禮八幡宮の参拝と八幡山城跡の散策を終えると、城下町の水運と琵琶湖交易の要だった八幡堀沿いを散策することにした。 近江商人を生み出し、町の繁栄をもたらした八幡堀、現在も堀に沿って旧家や白壁の土塀が立ち並び、時代劇などのロケ地として使われているらしい。

 戦後には、八幡堀の物流は陸上交通にとって代わられ、ドブ川となった堀の埋め立て計画も持ち上がったが、地元の保存再生運動で当時の美しさを取り戻したとのことである。 それを知ると、機会を見て和船による堀巡り観光など体験し、地域文化の保存に協力したくなる。


木陰が涼しい八幡堀沿いの散策路、風情のある堀を巡る観光和船


 八幡堀の散策を終えて堀に架かる白雲橋から振り返ると、1877(明治10)年に八幡東小学校として建設された、白雲館(国登録有形文化財)が目に留まった。 1981(明治24)年には校舎としての役割を終えた現在は、1996(平成8)年の近江八幡市による修復工事を経て、無料観光案内所として活用され見学することもできる。

 西洋建築様式を日本の伝統技術で建てた校舎は、近江商人の寄付により建設されたもので、当時の近江八幡とそれを支える近江商人の繁栄ぶりがうかがい知れる。 自分が九州福岡の田舎町で通った小学校舎、中学校舎はすでに無くなってしまったが、どんな形にしろ思い出の詰まった校舎が時代を越えて残り続けるのはうれしいことである。


1877(明治10)年建築の八幡東学校、現在は無料観光案内所白雲館


 ところで、当初の計画では八幡山城城下の散策を終えたところで、1872年創業のたねやで冷たい甘味をいただく算段であった...が、日牟禮八幡宮の隣で営業するたねや日牟禮乃舍は生憎のリニューアル工事中であった(泣)。

 向かいには、1951年にたねやの洋菓子部門として派生したクラブハリエの日牟禮館も営業しているが、個人的には近江八幡城下からほど近いラコリーヌ近江八幡の方がお勧めである。

 クラブハリエのバームクーヘンの製造工程を見学し、施設内のカフェで焼き立てのオリジナル・バームクーヘンを味わえるのはもちろん、まるでジブリ映画の世界観のような広い敷地を散策するだけでも十分楽しめるだろう。

 琵琶湖の美味いものと近江の地酒に専心中の晴れふら親父、残念ながら今回はラコリーヌ近江八幡のバームクーヘンをあきらめて、予定通り琵琶湖岸に向けて走り出すことにした。


ラコリーヌ近江八幡、クラブハリエの焼き立てバームクーヘン(2025年6月撮影)


 日牟禮八幡宮前から走り出して八幡山南麓に回り込むと、程なく琵琶湖岸を走るさざなみ街道に合流して湖南方面へと走り続けた。

 湖南エリアの大津市から湖北エリアの長浜市木之本町まで、琵琶湖東岸を南北に走るさざなみ街道は、琵琶湖岸や近江の田園風景を眺めながら走るクルージングルートである。

 残念ながら琵琶湖を望む場所は限られるが、琵琶湖から近江平野に渡る風を遮るものは何もなく、猛暑日に空冷エンジンを跨ぐ乗り手の体感気温も心なしか穏やかに感じる。 


琵琶湖東岸を走るさざなみ街道を、湖東から湖南方面へ快走する


 さて、近江八幡市から湖東エリアの琵琶湖岸に走り出すと、さざなみ街道は琵琶湖に注ぐ最大河川野洲川を渡り、さらに琵琶湖対岸の湖西エリアに渡る琵琶湖大橋東詰を過ぎた。 

 そして湖南エリアの草津市に入ったところで、対岸に鳥山半島を臨む緑地公園で小休止することにした。 鳥山半島にはこれから訪れる、滋賀県立琵琶湖博物館が確認できた。

 ちなみに、琵琶湖博物館に立ち寄る目的は、古代湖と言われる琵琶湖が現在の姿になるまでの歴史を学ぶ、というアカデミックな建前だが...琵琶湖に生息する魚、琵琶湖の伝統漁や食文化を下調べして、夕食に訪れる郷土料理屋で琵琶湖の美味いものを食い逃さぬ目論見なのである(笑)。

 また丁度昼時、博物館内にある”ミュージアムレストラン にほんのうみ”で、琵琶湖の食材を用いた湖魚料理をいただきたいところである。


さざなみ街道沿いの緑地公園、対岸は琵琶湖博物館がある鳥山半島


 小休止した緑地公園からさざなみ街道に走り出すと、程なく滋賀県立琵琶湖博物館への分岐にさしかかった。 そして博物館入口近くで見つけた駐輪場に相棒を停めると、冷房の効いた館内で一般840円也のチケットを購入した。


琵琶湖博物館入口近くに来館者用駐輪場をみつけ冷房の効いた館内へ


 その後入館ゲートを通ると、展示室の中心にある休憩ホールで見学ルートを思案した。 すると、目に留まったホール脇のミュージアムレストランはすでに満席、展示室を回る前に席待ちの申し込みを済ませておくことにした。 携帯番号を記入すれば、順番が来たことを知らせてくれるサービスもある。

 そして最初に見学したのは、博物館最大の展示面積(約2000平方メートル)を有する水族展示室。 琵琶湖に生息する様々な湖魚が泳ぐトンネル水槽をくぐると、琵琶湖や周辺の河川に生息する魚の全種類を含む100種類以上の魚の展示水槽を見学できる。

 見学を終えると、琵琶湖には60種類を超える固有種が生息し、近江の生活や食文化に密接にかかわってきたことを知り、また近年の環境や暮らしの変化により、その固有種や固有の文化が存続の危機にあることをを学んだ親父であった。

 ちなみに、水族博物館のシンボルをうたうトンネル水槽は、クラウドファンディングによる補修工事を終え2024年に再開されたばかりとのことであった。 そしてあらためて、琵琶湖博物館の「湖と人間」のより良い未来を考えるコンセプトが広く共感されていることを知る。

 晴れふら親父が生まれ育った九州福岡の田舎町、筑後川流域の小川や田んぼににあふれていた魚や水生昆虫を、いつの頃からか見かけることは無くなった。 400年前に生まれた古代湖、近江の淡海が同じ轍を踏まぬよう祈るばかりである。


様々な湖魚が泳ぐトンネル水槽、クラウドファンディングで補修された


琵琶湖の固有種「琵琶湖大なまず」と約1300万年前から続く系統樹


 そしてまた、琵琶湖に生息する魚と近江の食文化とのかかわりを展示する水族展室には、高島の魚屋を再現されており、鮒ずしをはじめとする様々な湖魚料理のサンプルが紹介されている。 琵琶湖博物館の学術的な展示も、琵琶湖の美味いものに食い気が立つ親父には、郷土料理店のメニューにしか見えない(笑)。

 さらに、近江の自然と人のかかわりの歴史を展示したB展示室には、近江の郷土料理”えび豆”の材料になる”スジエビ”を獲る、”エビタツベ”などの様々な漁具も展示されている。 また、100個を超えるエビタツベを使ってスジエビをとっていた漁の様子も再現されていた。 ここまでお勉強して琵琶湖の美味いもの口にすれば、実際のお味以上、お値段以上に深い味わいを感じることだろう(笑)


湖魚や郷土料理を売る魚屋の様子、漁具や漁の様子までわかりやすく再現展示されている


 そして最後に、世界有数の古代湖と呼ばれる琵琶湖が、400万年前の三重県伊賀市付近に生まれて現在の姿になるまでの歴史、環境変化に伴う周辺の動植物の変化を再現展示したA展示室を訪れた。

 正直ここまでさかのぼると、琵琶湖の美味いものとの文脈を見出すのは難しいが、近江飯を肴に近江の地酒を吞むときに、琵琶湖の生い立ちなど付け焼刃のうんちくを語れば、ただの食いしん坊親父の説教も高尚に聞こえるかもしれぬ(笑)。


約120~180万年前に琵琶湖周辺で暮らしていたアケボノゾウの復元骨格


 展示室を回り終えてレストランの席待ち状況を確かめに戻ると、タイミングよく呼びだされることとなった。 そして、景色の良いカウンター席に落ち着き注文したのは、湖の幸の天丼1,450円也。 なんと、琵琶湖の固有種ビワマスと外来種ブラックバスの盛り合わせ、外来種による琵琶湖古来の生態系破壊を問題提起するメニューとのことである。

 実際のところ、琵琶湖では「滋賀県琵琶湖のレジャー利用の適正化に関する条例」に基づき、ブルーギルやブラックバスは「リリース禁止」になっている。 

 ところで、湖の幸の天丼のお味は...サクサクの衣でフワッと揚がったビワマスが旨いのはもちろんだが、天丼に相乗りしたブラックバスも同様に美味であった。 調理前の一手間があるのかもしれないが、生臭さもないブラックバスの食感は、ススキの天ぷらと言われてもわからないだろう。


湖の幸の天丼@1,450円也、琵琶湖の固有種ビワマスと外来種ブラックバス


 琵琶湖博物館で琵琶湖に生息する湖魚や周辺の食文化を学び、そして思いがけず固有種のビワマスと外来種のブラックバスの食べ比べまで体験し、頭も胃袋も琵琶湖で一杯にすることができた。    

 これから旧東海道草津宿に程近いJR南草津駅の宿に向かうに際し、今一度さざなみ街道に点在する湖岸緑地に立ち寄り、湖南エリカからの琵琶湖を眺めておくことにした。

 早速目に留まった湖岸緑地駐車場に入り水際まで歩くと、湖南エリアからの琵琶湖の眺望が広がった。 湖南エリアの対岸は比較的近く感じるが、さらに右手琵琶湖大橋の先には湖岸まで見通せぬ淡海の湖面が続いている。 毎度のことながら、潮の香りがしないこと以外に、この湖が海でない理由を見つけられず。


湖南エリアからの琵琶湖の眺望、さらに右手琵琶湖大橋の先へ淡海の湖面は広がる


 ところで、駐車場にW800 streetを停めて水際まで歩く途中、滋賀県が設置した”外来魚回収BOX”が目に留まった。 琵琶湖の生態系維持のために回収された外来魚は、養殖飼料用の魚粉に加工されたり、堆肥化されたりして有効活用されているとのことである。

 琵琶湖博物館でいただいたブラックバス料理が美味かっただけに、一般にこの魚を食べる習慣が根付かぬものかと案じる昭和親父であった。 実際に昭和親父が子供の頃、筑後川で獲ってきた魚は家族の食卓に並んでいた。 今でも、当時祖父母や両親に教えてもらった、川魚をおいしくいただく工夫やレシピは忘れていない。 


放流が禁止された外来魚の回収BOX、洋食飼料や堆肥として活用されている


 その後、JR南草津駅近くの宿にたどり着きチェックインを済ませると、旧東海道草津宿にある近江の地酒を造る古川酒造まで歩くことにした。 古から米どころとして有名な近江地方、琵琶湖を囲む山々からの伏流水を利用した酒造りも盛んだった。 現在も滋賀県内30を超える酒蔵で、近江の地酒が造られているとのことである。

 近江の地酒を味わおうと思い立った今回の一泊旅、前述の通りツーリングで酒蔵を訪ね試飲に興じるには宿をとるしかないのである。 そして立ち寄ったのは、宿が取れた南草津駅から徒歩15分の旧東海道草津宿の古川酒造、調べてみると駅から徒歩圏内にある試飲できる酒蔵は意外に少ない。


旧東海道草津宿の古川酒造、JR南草津駅から徒歩で立ち寄れる近江の酒蔵


 さて、訪れた古川酒造は草津宿の旺盛期から現存する唯一の酒蔵、近江米”みずかがみ”と湖南アルプスの伏流水を使い、”佐瀬式木槽絞り”など昔ながらの手造りにこだわる小さな酒蔵である。 主力ブランドの「天井川」とは、古川酒造のすぐ近くを流れていた旧草津川のことで、川底が高くなった川の様子が歌川広重の東海道五十三次にも描かれている。

 さて、琵琶湖の鮒ずしや佃煮などの味の強さにもまけぬ、近江の地酒の濃醇・旨口の味わいなど教えてもらいながら試飲したのは、草津で無農薬栽培された”みずかがみ”を使った「天井川 特別純米生原酒」、米本来のほのかな甘味と爽やかな後口が印象的で、料理にも合わせやすい味わいであった。

 その対極として濃醇・甘口が際立つ「天井川 本醸造原酒」は、山田錦を原料とし甘味と酸味が強調された近江の地酒らしい味わいであった。

 個人的には、「天井川 特別純米生原酒」が気に入ったのだが...猛暑の中仕入れた酒をバック・パックに背負う帰路を考えて、火入れされた「天井川 本醸造原酒」を購入することにした。 快く試飲に付き合いながら、こだわりの味わいをわかりやすく説明してくれる、何とも好感の持てる酒蔵であった。


草津宿の旺盛期から続く古川酒造、手作りにこだわる濃醇・旨口な味わい


 古川酒造の試飲を終えてJR南草津駅に戻ると、その後琵琶湖線に乗ってJR大津駅まで移動した。 そして、大津駅前の昭和の香り?漂う商店街を少し歩くと、近江の郷土料理と地酒を供する居酒屋「下田屋」にたどり着いた。 実際に訪れてみると、下田屋のお隣は琵琶湖産の食材をつかった佃煮屋さん、おのずと琵琶湖を食らう旅の初日を締めくくる夕飯への期待が高まる。


大津駅の程近く、近江の郷土料理と地酒を供する居酒屋「下田屋」


 さて、こじんまりとした店内に入ってテーブル席に案内されると、さっそく琵琶湖博物館で予習した近江の郷土料理を漏れなく注文することにした。

 また、個性的で濃い味の近江料理に入る前には、夏が旬の刺身の盛り合わせを頼むことにした。 かつて大津百町と呼ばれた交易の要であり、東海道五十三次最大の人口を有する宿場だった大津、現在でも新鮮な海産物が流通しているだろう。

 程なく、琵琶湖珍味を代表する鮒寿司、そして、エビ豆(スジエビ)、本モロコ、ゴリ、イサザ、川エビの佃煮、さらに食感の良い赤こんにゃくと、注文した近江飯が順にテーブルに並んでいった。 また、スターターとして注文した刺身の皿には、ハモの湯引き、カツオのたたき、マグロ、スズキなどの新鮮なお造りが盛られていた。

 そして、近江の地酒メニューの中から選んだのは...個性的で濃い味の近江料理に、濃厚な旨口と力強い酸味の畑酒造の大治郎、平井商店 みずかがみの甘味の後にくるしっかりとした旨味。 一方、夏が旬のさっぱりとした旨味の刺身には、喜多酒造 喜楽町の旨味のある辛口と後味のキレ、平井商店 浅芽生(あさぢを)のすっきりとした飲み口とほどよい酸味。

・・・っと、琵琶湖を味わい尽くす旅をしめくくるに十分な役者が揃い、琵琶湖博物館で予習した琵琶湖の湖魚と食文化、古川酒造で教えてもらった近江の地酒の特徴と楽しみ方が功を奏し、思惑通りの料理と地酒の相性に胃袋と心を満たす夜となった。


鮒寿司、本モロコ、ゴリ、イサザ、スジエビの佃煮、赤こんにゃく、近江の郷土料理


 さてさて、日本一の広さを誇る琵琶湖を有する近江の国、その湖東~湖南エリアをめぐる一泊旅。 その初日、神社や史跡、博物館を訪れて近江と琵琶湖の歴史や食文化を学び、琵琶の美味いものと近江の地酒を満喫する思惑通りの一日となった。

 名古屋から日帰りも可能なツーリングエリアだったが、立ち寄り場所も多く有意義な時間を過ごした結果、時間を持て余すことも無かった。 そして何より、日帰りでは絶対に体験できない近江の地酒を堪能する旅を満喫した次第である。

 そして、琵琶湖や近江の歴史や食文化にも触れ直した結果、これまでただ広いだけだった琵琶湖や通り過ぎるだけだった近江の街々の印象も変わったような気がする。 遠い近いにかかわらず、土地々々の歴史や食文化を深堀してみたくなる旅となった。

 明日二日目は、壬申の乱の激戦地となった瀬田の唐橋を旅の起点に、甲賀の鹿深の道へ続く古代ルートをたどり帰路に着く予定である。 帰り道では、琵琶湖の郷土料理とともに近江を代表する美味いもの、近江牛料理をいただきたいところである。


二日目に続く・・・


ツーリング情報


日牟禮八幡宮   滋賀県近江八幡市宮内町257 (電話)0748-32-3151


八幡山ロープウェー  滋賀県近江八幡市宮内町 (電話)0748-32-0303 


滋賀県立琵琶湖博物館  滋賀県草津市下物町1091 (電話)077-568-4811


古川酒造  滋賀県草津市矢倉1-3-33 (電話)077-562-2116


下田屋  滋賀県大津市末広町2-9 (電話)077-523-1029  


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