2023/05/16 農免道路たどり知多半島根元で童心ランチ(新美南吉記念館、天気輪の柱、げんきの郷)


 午前中に、二年前に受けたガン治療の経過観察検査を無事に終え、知多半島根元へのランチツーリングに出かけることにした。 毎月の検査のストレスを振り切ろうと走り出したのは、名古屋市内の治療センターから名古屋高速と名四国道を走り継ぎ、豊明ICから知多半島根元の田園地帯へと南下するルート。

 まずは、名鉄河和線坂部駅近くの住宅地でひっそりと営む、宮沢賢治ゆかりの屋号を冠する喫茶店で昼食をとり、知多半島道路半田中央IC近くの新美南吉記念館を訪れて旅を折り返すショートツーリングである。

 今更ではあるが、上述した宮沢賢治(1896-1933)と新美南吉(1913-1943)は、小学校の教科書でも学んだことのある日本を代表する童話作家である。 童心に帰って、彼らが生きた時代の気配が残るの田園地帯をたどりながら、賢治の「銀河鉄道の夜」や南吉の「ごんぎつね」の世界観に思いを馳せてみたいところである。

 っが、しかし、長いことリーマン稼業で生きてきた還暦親父には、彼らの作品に込められた孤立感や現実への憤りばかりが、身につまされる結果となってしまった。

 はたして、リーマン稼業、バイク道楽、そして己の生き様を探し続ける還暦親父は、賢治や南吉が作品に込めた思いに、己のどんな境遇を重ね合わせたのか? 初夏を思わせる爽やかなツーリングとともに、少しばかり面倒くさい親父のジタバタぶりをお伝えしてみたい。


旅を折り返した新美南吉記念館、芝生に覆われた斬新な半地下構造



ルート概要


国道23(名四国道)豊明IC-県57→大府森岡-県252-(げんきの郷)-県252→高丘町二丁目-農免道路→阿久比旭台-県46→福住-県55→ふれあいの森西-(踏切)→名鉄河和線坂部駅(天気輪の柱)→県55→漫画喫茶-市道→阿久比スポーツ村-市道→松尾製作所-市道→新美南吉養家-市道→南吉の家(養家)看板-県265-(知多半島道路半田中央IC)-県265→新美南吉記念館-往路へ折り返し



ツーリングレポート


 国道23豊明インターから県道57に駆け降りると、道なりに大府市街を抜けて愛知健康の森公園方面へ南下した。 その後、県道252に分岐して愛知健康の森公園北側を走り、高丘町二丁目交差点から阿久比に至る農免道路へとさらに走り続けた。

 農免道路へ駆け出すと、愛知用水が引かれた水田に立夏の空が映り込み、緩やかな起伏の田園で波乗りするようなライディングを満喫する。 そんな日本の田園風景に、空冷二気筒360°クランクエンジンの鼓動は良く似合い、遠くから聞こえる耕運機のエンジン音とも仲良くハモる(笑)。


愛知健康の森を過ぎると、大府から阿久比へ南下する農免道路へと走り出す


 大府市から始まる農免道路は東浦町を貫けて、阿久比町に入った県道46に突き当たって終りとなる。 知多方面へと舵を切ると、市道を繋いで名鉄河和線坂部駅脇の踏切を渡り、ランチツーリング最初の目的地「天気輪の柱」にたどり着いた。

 小さな住居ビルの一階でヒッソリと営業する喫茶店、聞きなれぬ屋号「天気輪の柱」は宮沢賢治の童話作品「銀河鉄道の夜」に登場する、銀河ステーションの丘に立つモニュメントである。 賢治が生まれた現岩手県花巻市の寺には、鉄の輪を回して死者の供養や晴雨を願う花崗岩の柱が立っている。 天気輪の柱はそこからイメージされた賢治の創作物で、銀河鉄道が天国へと昇る列車であることを暗示しているようでもある。

 可能であれば、37歳で亡くなった宮沢賢治の夭折な生涯や作品の世界観に触れ直して訪れると、この店の独特の雰囲気をさらに楽しめるだろう。 「銀河鉄道の夜」はそれほど長い作品では無いので、天気輪の柱を訪れて文庫本を開いてみるのも良さ気である。


名鉄河和線坂部駅近くの住宅地でヒッソリと営業する天気輪の柱


 あまりに地味な店構えに、ここで店をやっているのか?と恐る恐るドアを開けると、木調の内装に抑え気味の照明が灯る喫茶店の景色にホッとする。 そして、チャイコフスキーのアンダンテ・カンタービレが静かに流れる店内を進み、突き当りの大きな窓に店裏の田園風景が映るカウンター席に落ち着いた。

 その田園風景を縁取るように名鉄河和線が走っていて、銀河鉄道の原風景になったであろう今は無き岩手軽便鉄道の沿線風景を想像させる。 そして、店主に語り掛けられているようなメニューに見入っていると、丁度、6800系の二両編成車両が通りかかりスマホカメラのシャッターを切った。

 どこかクラシカルな赤い名鉄電車に昭和の風情など感じる親父だが、6800系が登場したのは九州親父が愛知で働きだして間もない1987年、あれから36年の年月が流れたことに気付かされる。 まだまだ現役で走り続けるであろう名鉄電車、引退を思案するクラシカルな身の上は己の方であった(笑)。 


天気輪の柱の店裏に広がる田園風景、名鉄河和線の赤い電車が走る


 そして今回は、珈琲に食事がセットになった”お昼の特別”の中から、スモークド・チキンカレーを注文した。 お昼の特別、いわゆるランチメニューとしては、スパゲッティー・トマトソース、オムライスを含む三種類の中から選ぶことが出来る。

 香り高いドリップ珈琲が350円也、そして珈琲に時間帯に応じたサイドメニューが付いた、朝の特別350円也、お昼の特別750円也、午後の特別500円也...作り置きを暖めて注ぐだけの珈琲が500円のご時世に、手作りのサイドメニューを添えてこの値段は何ともリーズナブル。

 配膳を待つ間店内を眺めていると、注文取りから食事の調理、珈琲のドリップ、配膳、そして会計まで店主一人のオペレーション。 その忙しさを感じさせずにまったりとくつろげるのも、店の外観から始まり尖ったところが無い店の雰囲気作りが上手いからなのだろう。

 今回はランチタイム終了間際の来店だったが、運よく空きがあった5台の駐車場枠は、お昼の特別目当ての客で直ぐに埋まる人気ぶりである。 駐車台数で客数を抑えて店主一人でやり繰りするオペレーションは、固定費を抑えたリーズナブルな商品価格につながり、それをリラックスして楽しめる店のブランド作りと合わせて、調和のとれたフィットが構成されている...っと、ついつい、職業病が顔を出すリーマン親父ではあるが、気の向くままに好きな商売をやっているようにも見える店主は、実は実は、マーケティングの達人なのかもしれない(笑)

 さて、程なく配膳されたお昼の特別スモークド・チキンカレーは、食材の自然な旨味を感じるスパイシーなカレー、軽いルーは粘り気が少ない胚芽米との相性も良い。 ホロホロに柔らかいがブロック感が残る、主役のスモークドチキンにも存在感がある。 そして、インド人や韓国人の同僚も引く激辛好き親父には、チリパウダーの小瓶が添えられているのがありがたい。

 有名チェーン店のハウス食品系カレーライスや、インドやタイの尖ったスパイスカレーを巡ってきた還暦親父だが、終のカレーにたどり着いたというのは大袈裟だろうか(笑)。 少なくとも、一度味わったらまた来たくなる、クセになる一品であることは間違いない。


お昼の特別、珈琲に添えられるスモークド・チキンカレー


 食事を終えて一息つくと、程よいタイミングでお昼の特別の主役、レギュラー珈琲が運ばれてきた。 それにしても、全体を俯瞰しながらマルチタスクをこなす店主の腕前には感心させられる。 レギュラーを謳うだけあって、バランスの取れた香り高い珈琲、もったいぶらずにたっぷりのカップで供されるのがうれしい。

 それにしても、リーズナブルな価格に反して、珈琲へのこだわりも相当なものである。 ブレンド珈琲は、350円也のレギュラー/イレギュラー、ライト/ヘビー、ビター/ノンビター、そしてアイス珈琲、500円也のディープ/ダーク/ヘブン、と沢山の選択肢が用意されている。

 同じく350円也で、産地別のストレート珈琲も提供されるが、メニューには人間のキャラクターに例えた文学的な解説が添えられている。 果たして、それが分かりやすいのか、そうでも無いのか?は微妙なところである(笑)。 忙しい店のきりもりの隙を見計らい、直接店主のこだわりを聞いてみたいところだが...かなりの勇気が必要なことは間違いない(笑)。


香り高く淹れられたたっぷりの珈琲、様々な珈琲がリーズナブルに提供される


 大満足の食事を終えて珈琲をすすりながら、名鉄電車が走る田園風景を眺めていると、親父の思考はツーリングに繰り出す前の医療センターにまでさかのぼる...


 造影剤を注ぐチューブを繋がれ、巨大な電磁石の筒に閉じ込められると、まるで戦場に行ったジョニーのような閉塞感、焦燥感に苛まれる。 ガン治療の経過観察の必要性は理解できるし、再発の所見が見られぬ現状にも感謝しているが、毎月の検査ストレスで、当たり前だと思っていた日常が当たり前じゃなかったことを思い知らされる日々。

 おのずと、プライベートはもちろん、仕事においても、フランクルが問いかける生きる意味を探して、罹患前にもまして前のめりの生き様を示すことになる。 しかし実際のリーマン稼業では、そんな暑苦しい親父は事情を知らぬ周りとの温度差、価値観の違いにぶち当たることになる。 詰まるところ自分が、アドラーが言う共感し貢献したいと思える共同体を探し続けていることに気付く。

 そんなことを考えていると、ともに若くして亡くなった宮沢賢治や新美南吉のことが頭に浮かび、賢治の作品名をなのる喫茶店や南吉の記念館をめぐることになった。 共感を探しジタバタする還暦親父は、理想通りに行かぬ世の中への憤りや、周りと価値観を共有できない現実やなど、彼らの童話作品の背景にあるメッセージに己の境遇を重ね合わせてしまうのである...  


 宮沢賢治は明治29年(1896)に、岩手県稗貫郡(現花巻市)の裕福な商家の長男として生まれる。 当時岩手県では天災や飢饉が多発し、婦女子の人身売買が行われるほど農民の暮らしは困窮していた。 賢治は、金持ちの家への罪悪感や傾倒した法華思想を背景に、農民の生活改善に人生を捧げ心象的な理想郷を実現する志を抱くことになる。

 そしてまさに知行同一、家業の跡取りへの期待や父親の宗教観に反発しながら、盛岡高等農林学校に進学して農業教育に従事し、ついには自ら農民になって、無償の農業指導や芸術活動を通じた農民の暮らし改善に没頭した。 終には、雨にも負けず、風にも負けず...のストイックな生活がたたり、昭和8年(1933)に37歳の若さで急逝する。

 賢治の強力な行動力と精神力は、病弱で余命を意識した刹那的な人生観、そして信仰の後ろ盾によるところが大きいのだろうが、生涯続けた童話の創作も、その助けになっていたのではなかろうか。 亡くなるまで推敲を続けた銀河鉄道の夜には、賢治が問い続けた人の幸せと理想の世の中への想いが集約されている。

 崇高な理想を掲げながらも、現実的には周囲や世の中の共感を得るのが難しく、さらにその理想を実現することも叶わぬことを理解しており、それを補い精神的な平穏を保つ手段が、共感したい価値観を童話作品として形に残すことだったのであろう。

 出来レースの狭間の蜘蛛の糸をたどりながら、己の志を貫き続けてきたリーマン稼業、人生のすべてをそこに費やすつもりなど毛頭ないが、リーマン人生の範疇で見れば賢治が抱いたであろうそんな思いは身につまされるのである。


 ...ってなことを、様々なこだわりが詰まった天気輪の柱の空間で思い巡らせ、もう一人の童話作家新美南吉の記念館を目指して走り出すことにした。

 天気輪の柱を後にすると、半田市街へと南下する県道55へと走り出すが、名鉄河和線沿いの生活道路の混雑を避けるため、知多半島道路を越えた市道へと迂回することにした。

 そしてしばらくの間、愛知用水沿いの田園地帯を快走すると、南吉が養子に出された実母りゑの実家新美家に突き当たる。 養家の周辺には「ごん狐」の舞台となった矢勝川をはじめ、南吉作品の原風景を思わせる田園風景が広がっている。

 行程的には先に立ち寄りたくなるところだが、新見南吉記念館を先に訪れて、南吉の生涯と童話作品の世界観に触れてから再訪することをお薦めする。 今回も、新美南吉養家をやり過ごして県道265を半田市街へ進み、程なく芝生に覆われた半地下構造の新美南吉記念館にたどりついた。


芝生に覆われた半地下の記念館、南吉の生涯と世界観を展示


 新美南吉記念館の入場料(一般)220円也を支払って館内に入ると、時代ごとに南吉の生涯がパネル解説されており、南吉作品の源流を量り知ることができるだろう。 その後、月替わりでビデオ上映されている代表作「ごん狐」と「手袋を買いに」、また作品書籍の物語に触れ直してみると、大人になった今だからこそ身に染みるメッセージを感じ取ることが出来るかもしれない。

 入館時に手渡されるパンフレットの裏面には、往路でやり過ごした南吉の養家をはじめ、南吉の作品の舞台として登場するゆかりの地マップが載っており、時間がある時に巡ってみるのも良さげである。


南吉が新美姓となった養家、亡くなった母りゑの実家で祖母と暮らした


南吉養家の裏手に広がる、当時を想わせるのどかな田園風景


代表作「ごん狐」の舞台となった矢勝川、物語のリアルな情景が浮かぶ


 さて新美南吉は、大正2年(1913)、愛知県知多郡半田町(現半田市)で畳屋を営む渡邊多蔵の長男として生まれた。 幼くして母りゑを亡くし、その後養子に出されて新美姓となったが、寂しさから父親と継母の元へもどり異母兄弟とともに育った。

 旧制愛知県立半田中学校(現半田高校)時代から動揺や詩の投稿を始め、東京外国語学校卒業後教員などを続けながら創作活動を続けたが、長く結核を患い、初の童話集を出した翌年の昭和18 年(1943)に29歳の若さで他界した。

 故郷の原風景や人間関係が作風に影響を与え、病気で若くして亡くなった童話作家として、先に紹介した宮沢賢治と新美南吉の共通点は多い。 しかし、賢治の創作活動が生涯を賭けた理想郷実現のプロパガンダともとれるのに対し、南吉は文学そのものに自分が存在する意味を見出そうとしていたように感じる。

 そのため南吉作品には、自分の満たされぬ境遇や孤独感に触発された、理不尽な世の中への憤りや、理解し合えない人間関係へのあきらめがにじみ出ているような気がする。 身近な舞台設定や分かりやすいストーリーゆえに、なおさら深い悲しみやあきらめ感が伝わってくるのかもしれぬ。


 結果的にバイク親父が、知多半島根元の田園地帯をめぐり、宮沢賢治と新美南吉の痕跡を探したどり着いたのは、「努力すれば分かり合えるというのは妄想であり、永遠に共感できない壁が存在する」、という当たり前の結果だろうか。 日本を代表する二人の童話作家は、永遠に得られぬ共感を追い求めても報われぬ現実があることを、自分たちの生涯をかけて教えてくれているような気がするのだ。

 社会貢献が云々と鼻息が荒くリーマン稼業を続ける還暦親父の、平々凡々な人生にその教訓を当てはめてみると...仕事にしろバイク道楽にしろ、仲間と共感できる価値観を見いだせなくなったときが、躊躇せずその場から身を引く潮時なのだろう。

 人生を賭けて後世に作品を残す芸術家でもなく、共感できるステージに身を移せばよいだけのこと。 唐突だが、以前紹介したことのある「ベンジャミン・バトン数奇な人生」って映画が、新しい世界に踏み出す手助けになるかもしれない。



 さて、天気輪の柱の昼食に合わせて走り出した今回のツーリング、新見南吉記念館からそのまま往路へと折り返し、南吉養家に立ち寄り帰路に着くことにした。

 もし、記念館前から県道265を常滑方面へと走り継げば、知多半島広域農道味覚の道に合流することが出来る。 朝食に合わせて走り出せば、知多広域農道で知多半島先端まで足を延ばす行程へのアレンジも可能だろう。 

 そしてツーリングの終わりには、JAあぐりタウンげんきの郷に立ち寄り、知多半島産の食材を仕入れて帰ることにした。 美浜町の海鮮市場魚太郎も出店しており、知多半島産の農産物や加工品だけでなく、伊勢湾や三河湾の海の幸も仕入れることが出来る。

 ツーリングの道中で買い逃した特産品を仕入れるに便利な産直施設だが、家族との夕食に何をこさえようか等々、重た~い童話作家の生涯から浮上して他愛もない日常に戻るゲートにもなる。 己が成し遂げたいことな何なのか考え、共感できるコミュニティを探すのも重要だが、他愛の無い日常に一番大切なものがあることは、ガン治療の経過観察検査の度に身に染みていることである。

  

JAあぐりタウンげんきの郷、知多半島産の農水産物を一網打尽



ツーリング情報


天気輪の柱  愛知県知多郡阿久比町卯坂坂部39 (電話)0569-48-8027


新美南吉記念館 愛知県半田市岩滑西町1-10-1 (電話)0569-26-4888


げんきの郷  愛知県大府市吉田町正右エ門新田1-1 (電話) 0562-45-4080 

 


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