アルフレッド・アドラー著「人生の意味の心理学」
職場や交友関係そして家庭などの対人関係に悩みを抱えている人、過去の体験を引きずって悩みから抜け出せずにいる人、そんな人達に紹介したいのがアドラー心理学である。 抱え込み方は様々だと思うが、心理学的に体系化された理屈を理解して視点を変えるだけで、自己実現に向けて無駄なストレスを回避できるかもしれない。
アドラー心理学を提唱したアルフレッド・アドラー(1870-1937)は、オーストリア出身の心理学者そして精神科医。 欧米ではフロイト、ユングと並ぶ三大心理学者として知られており、現代心理学において自己啓発の父とも呼ばれている。 アドラー心理学の根底にある「すべての人は皆対等である」という考え方は、今なお実現途上にある民主主義の先駆けとも言える。
自分が存在する意味や人生の目的を見失いそうになった時、辛い逆境を乗り越えてまで生きる意味を見失いそうになった時、前に紹介したフランクルの著作「夜と霧」が助けになると思う。 そして、他者や世の中に対して違和感や生き辛さを感じた時には、アドラー心理学が助けになるのではなかろうか。 自分自身で答えを見つけてゆかねばならぬことに変わりは無いが、フランクルやアドラーはその道標を提供してくれる。
ここでは、Alfred Adler(著),岸見一郎(訳),「人生の意味の心理学 上/下)」,アルテ/星雲社、および同書を分かりやすく解説した、岸見一郎(著),100分de名著「アドラー人生の意味の心理学」,NHK出版、また「嫌われる勇気」, 岸見一郎/古賀史健(著),ダイヤモンド社を参考に、私なりのアドラー心理学の解釈とそこからの気づきを綴ってみたい。
新たな一歩を踏み出す勇気を持つ
アドラー心理学では、自分の不幸な経験や境遇が今の失敗や生き辛さの“原因”だと考える人は、「そこから抜け出す新たな一歩を踏み出したくない」という“目的”のために、踏み出さずにすむ理由を探し出し“原因”として意味づけしていると考える。 変えられぬ過去が“原因”ならば今の問題を解決できないことになるが、将来の“目的”ならば変えることが可能になる。
ここで、踏み出さぬ理由の意味づけの基準(ライフスタイル)は人それぞれ、自分自身の劣等感だったり、他者や社会に対する敵対心だったり、自分の思い描く理想との乖離だったり...自分の今の生き方や行動が、何かの原因によって決められていると考えるのは、自分の態度を決める責任を曖昧にしたいからなのである。
実際のところ、子供の頃から植え付けられてきたライフスタイルを変えるのは容易では無いだろうが、そういう思考の癖があることを認識しなければ何も変えられない。 すべてをなしとげることは難しいが、踏み出した先にある本当の“目的”に向かう態度は決められるはずである。 アドラー心理学の言う、勇気をもって新たな一歩を踏み出した瞬間から、自分をとりまく世の中は変わり始めるという理屈も理解できる。
対人関係の悩みを転換する
アドラー心理学では、「すべての悩みは対人関係によるものである」と考える。 極端な言いきりにも聞こえるが、精神科医のカウンセリング現場で体系化されてきた心理学だけに説得力もある。 そして、対人関係の悩みを克服する基本となるのは、“課題の分離”というコンセプトである。
他者がどう思うのかはその人の課題であるという考え方により、他者にどう思われているか云々という悩みや心配事が解消されるわけである。 逆に、他者は自分のために生きているわけでは無いので、自分を認めてもらえぬことに憤りを感じる等々、自分が世界の中心であるという妄想を捨てる必要がある。
ここで、“課題の分離”を都合よく解釈すると孤立無援状態に成りかねないが、実際は生きて行くために他者の協力は必須となる。 その助けとなるのが、“共同体感覚”というコンセプトであり、価値観を共有できる人達と課題を共有するプロセスが重要になる。 共同体なるものは、職場、交友関係、そして家族のような目に見える人間関係ばかりでなく、宇宙や地球規模の概念まで含まれる。
対人関係の悩みを断ち切るために対人関係に踏み込まなければならぬジレンマのように聞こえるが、“課題の分離”と“共同体感覚”の考え方を順序だてて組み立てることにより、他者や世の中との居心地のよい関係を作り上げてゆくことが可能なのではなかろうか。 重要だと感じるのは、ある共同体との関係を創れなくとも、また何らかの事情で失ってしまったとしても、共感して自分が貢献できる場はそこだけでは無いということである。
リーマン親父の気づき
上述の通り、他者や社会とのかかわりに生き辛さを感じたときに、自分のライフスタイル(劣等感、敵対心、理想との乖離)を認識してみると、他者や世間に責任転嫁しない前向きな一歩が踏み出せそうな気がする。
また、人は誰も対等であるという前提に立ち、他者がどう思うのかはその人の課題である(課題の分離)、共感を得て貢献できる場所がある(共同体感覚)と考えると、他者や社会のかかわりを恐れず生産的な関係を築いて行くことができるだろう。
ところで、対人関係と言ってもそのかかわり方は様々ある。 永くは続かぬ仕事関係、永く続くが運命は共にしない友人関係、そして永く続き運命も共にする恋人や家族関係…いずれに対してもアドラー心理学のコンセプトは変わらぬが、具体的な実践方法は関係の永続性や運命を共にする責任によって変わってくるだろう。 ここでは両極にある仕事関係と家族関係に関し、リーマン親父の手前味噌な気づきに触れてみたい。 初めに紹介した書籍には、具体的な事例も多く紹介されているので参考になるだろう。
仕事関係の気づき
高度成長時代の終身雇用制度の終焉期を過ごした昭和親父、永いこと続けてきたリーマン稼業を振り返ると、欧米人との仕事へのかかわり方の違いに遭遇することも多かった。
実際のところ欧米では、己のキャリア形成に熱心で特定の会社への帰属意識も希薄だと感じてきた。 希望するキャリアを築くために会社を渡り歩くスタイルは、会社や上司との対等な関係がベースにあるアドラー心理学に沿っているように見える。 フェアでチャンスに溢れる社会だと言えなくも無いが、売り込める自分の価値が無ければ生きる糧を得ることも難しくなりそうである。
江戸時代から日本人に植え付けられてきた、上下関係をベースにした儒学的な思想や年功序列の雇用形態と対照的で考えさせられることは多い。 どちらが良い悪いと決められるものでは無いが、(残念ながら)日本的な良さが世界標準になり得ぬのも現実だろう。
義理人情に頼りながら滅私奉公する世の中では無いのは既成事実だが、成り行きでキャリアを身に着けるのでは無く、自己実現に向けて築きたいキャリアを狙い、レベルアップして行く意識の重要性を感じる。 若い人への提言や忠告などと振りかぶるつもりは無く、また過去にさかのぼって後悔するつもりも無く、還暦親父自身がこれからのキャリを考えるにも重宝する考え方である。
家族関係の気づき
時限的な共同体感覚を探し続ける仕事関係と異なり、人生を通じて運命を共にする責任が生じる家族関係は、共感できないからと言って簡単にリセットできないだろう。 特に、育児や教育の悩みを抱えている親は多いのではなかろうか。
親の課題を子供の課題にすり替えて、期待ばかりを押し付けていないか? 上から目線で期待通りにやった子供を褒め、失敗したら感情に任せ叱責していないか? 少なからず、思い当たることがあるかもしれない。 褒め過ぎると自己承認欲求に支配され、叱りすぎると劣等感を踏み出せぬ言い訳にするライフスタイルを強いてしまいそうである。
そしてアドラー心理学に触れてみると、子供が抱える課題を共有し支援に徹するべきだと気づかされる。 子供が課題を克服できたら祝福し、期待に応えてくれたなら感謝を告げる。 親の課題を押し付けず断りなく子の課題に介入しなければ、親自身が親子関係の悩みから解放されることになるのではなかろうか。 ここでもまた、過去に遡った後悔を強いるのが目的では無く、これからの創造的な関係づくりに役立つ考え方なのである。
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