2022/07/08 (1/2日目) 国道標高二位、麦草峠を越えて軽井沢(伊那南部広域農道、高遠そばますや、シルバーストーン)


 40年ほど続く会社OBとのツーリングチームがある。 最近、コロナ禍で中断していたツーリングが再開され、今回軽井沢への宿泊ツーリングに参加させてもらうことになった。 久しぶりの宿泊ツーリングである。 幹線ルートをたどるメンバーとは宿で落ち合うことにし、南信から中信、そして北信へ、信州が誇る峠越えルートを二日間かけて北上することにした。

 その初日、伊那南部広域農道と県道18を走り継いで伊那谷を北上し、諏訪市街から国道299で八ヶ岳連峰へと駆け上がり、国道標高二位を誇る麦草峠を越えて軽井沢をめざした。 さらに二日目は、宿泊した軽井沢から、鬼押しハイウェー、万座ハイウェーを北上し、国道標高一位の渋峠を越えて渋温泉へ駆け降りるルートをたどる予定である。

 二日間の日程で、可能な限り信州を北上して折り返すと、上信越自動車道、長野自動車道、中央道を走り継いで一気に名古屋方面へと帰還する算段である。 セコイ話だが、金曜日の初日は一般道や高速道路無料区間をつなぎ、土曜日の二日目は高速道路の二輪車定率割引をフル活用する思惑もある。

 そして宿泊したのはペンション・シルバーストーン、元カワサキ世界GPチーム監督のケン鈴木(鈴木建夫)さんが、1982年にカワサキがWGPから撤退した後、1984年に軽井沢で開業したペンションである。 そのペンションには、1978 -1979年のWGP250/350両クラスを二連覇したチャンピオンマシンKR250や、1980-1982年のWGP500クラスに挑戦したド迫力のKR500など、マニア垂涎のお宝で溢れている。

 ケン鈴木さんは、トーハツ、ブリヂストンのエンジニアとして日本の二輪競技の創成期を支え、カワサキと共に名手コーク・バリントンを擁し世界GPタイトルまで上り詰めた人物。 その伝説の生き様は、オートバイという共感の媒体を通して、日本経済を下支えしてきた製造業の技術者を全うした、身近な先輩達の生き様ともシンクロする。

 自分が還暦を越えた今でも、いや、還暦を越えた今だからこそ、そこで語られる過去と現在から学ぶことは多い。 仕事へのこだわりや仲間との思い出、そして時代の変化や加齢への向き合い方まで、フランクルが著書「夜と霧」で示した生きる意味にも通じる、身近なケース・スタディに触れることが出来るのである。

 さてさて、早々に開けた今年の梅雨だが、再梅雨入りを思わせる雨模様のツーリングとなってしまった。 旅慣れたメンバーとは宿で落ち合うこととし、雨が降ったら台無しになりかねぬ山岳ルートをたどることにした晴れふら親父である。 たのむから晴れてくれーっ! 


名手コーク・バリントンが操ったカワサキ最後のWGPマシンKR500


ルート概要


中央道飯田山本IC-三遠南信自動車道(無料区間)→飯田上久堅・喬木富田IC-国256→牧野内集会場(牧野内バス停)-伊那南部広域農道(南信州フルーツライン)→河野大宮神社-県18→飯沼橋→本郷-国153→道の駅田切の里-県18(火山峠)→伊那市立富県小-市道-県209→小原-国152→高遠そばますや-国152(杖突峠)→湖東新井-国299(メルヘン街道、麦草峠)→八千穂高原IC-中部横断自動車道(無料区間)→佐久小諸JCT-上信越自動車道→佐久平スマートIC-市道-ふるさと大橋-市道-児玉東(雪窓公園)-県137→追分-国18→中軽井沢-国18→軽井沢中学校前-しなの鉄道踏切→ペンションシルバーストーン


ツーリングレポート


 平日の初日、早朝の出発で通勤渋滞を避け国道153を北へ走り出すと、愛知県豊田市から長野県下伊那郡根羽村へ県境を越えた。 これから二日間にわたり、南信州、中信州、そして北信州へと、信州縦走の旅が始まる。 前日までの予報通り、今にも泣きだしそうな空模様と乾ききらぬ路面に怖気づいた晴れふら親父。 走りだしに予定していた、県道46で根羽村から売木村へ売木峠を越えて、県道1で阿南から天竜峡へ貫ける山岳ワインディングを諦めることにした。

 そして、県道46への分岐をやり過ごし、そのまま幹線国道153を道なりに走り続けると、泣き出しそうな親父を不憫に思った?空は徐々に明るくなってきた。 治部坂峠、寒原峠を越えて飯田市街に差し掛かる頃には、夏の晴れ間も見え隠れするドライ・コンディションとなった。 

奥三河から国道153を北上し南信州へ、泣き出しそうな空と濡れた路面


 そして、国道153から飯田山本ICへと駆け上がると、三遠南信自動車道(無料区間)で天竜狭を越えて、終点の飯田上久堅・喬木富田ICまで一気に移動した。 その後、国道256に駆け降りて飯田市街方面へ折り返すと、いよいよお気に入りの伊那南部広域農道へと駆け出した。 

 明石山脈(南アルプス)の西側に寄り添う伊那山地、その麓を走る伊那南部広域農道からは、天竜川が流れる伊那谷を挟み木曽山脈(中央アルプス)の稜線を望むことが出来る。 景色だけでなく、適度なアップダウンを伴う走りごたえのある峠道は、信州峠巡りの走り出しの足慣らしとして申し分ない。


伊那南部広域農道から伊那谷を挟み木曽山脈(中央アルプス)を望む


 まだら雲が残るものの雨の気配が消え去った伊那南部広域農道、安心して荷重を預けることができる乾いた路面が何ともありがたい。 残念ながら、雄大な中央アルプスの稜線は雲に遮られていたが、伊那谷の大パノラマを眺めながら期待通りのライディングを満喫した。

 何ヶ所かの分岐を案内標識に従いながら広域農道を繋ぎ、広域農道北側の起点となる河野大宮神社脇で県道18に合流した。 その後は、伊那山地の丘陵地帯から天竜川沿いへと駆け降り、伊那方面に向けて北上を続ける。 その道中、県道18の酷道区間を国道153伊南バイパスに迂回し、国道沿いにある道の駅「田切の里」でトイレ休憩と水分補給を済ませることにした。

 現在、県道18から国道153へ渡る坂土橋は工事通行止め、今回はその先の飯沼橋へ迂回して事なきを得る。 この迂回路を見逃すと、天竜川の川面間際の苔むす酷道を、泣きべそをかきながら進むことになる(笑)。 その後、休憩した道の駅「田切の里」脇から直接県道18に復帰して火山峠を越えると、天竜川の支流三峰川沿いの県道209へと走り継ぎ、花見の名所高遠城跡公園脇で国道152に合流した。



県道18から三峰川沿いの県道209へ、中央アルプスを背に高遠を目指す


 高遠で国道152に合流した後は杖突峠から茅野市街へと駆け降り、国道299へ走り継いで国道標高第二位の麦草峠へと駆け上がる予定である。 茅野市街には飲食店も多いが、混雑した茅野市街を一気にやり過ごしたかったので、高遠で早めの昼食を済ませることにした。

 そして立ち寄ったのは、高遠城址公園を過ぎた国道152沿いにある高遠そば「ますや」。 タイミングよく開店時間の到着となり一番乗りの入店となった。 平日ながらその後も途切れなく客が訪れ、休日に訪れる際には入店待ちも覚悟する必要がありそうだ。


高遠そば「ますや」、焼味噌と辛味大根つゆが特徴の高遠そばをいただける


 席に落ち着き、供された冷たいそば茶で一息つくと、早速こだわり感あふれるメニューに目を通した。 天ぷらやかけそばメニューは見当たらず、ざるそばに特化した品揃えである。 その分、産地と石臼の挽加減が異なる四種のそば、焼味噌・辛味大根・ねぎの薬味と合わせる高遠つゆや江戸前など三種のつゆが用意され、好みに応じてそれらの組み合わせを楽しむことが出来る。

 注文したのは、高遠産そばの細打ち二八「玄」と、同じく高遠産蕎麦の太打ち十割太「田舎」が二枚セットになった、高遠相盛り1,400円也。 甘めの鯖節つゆに、焼味噌・辛味大根・ねぎの薬味でいただく高遠スタイル。 瑞々しい茹でたてのそばを供するために、頃合いを見計らって二枚目が配膳される。

 メニューに添えられた手順書?に沿って、焼味噌をつゆで溶きながら薬味の加え方などを確認していると、一枚目の細打ち二八そば「玄」が運ばれてきた。 味噌こうじの香りが個性的な高遠つゆで二八そばの喉越しを楽しむと、タイミング良く二枚目の甘皮が打ち込まれた十割そば「田舎」が配膳された。 香りと食感を味わいたい二枚目は、蕎麦と一緒に供された粗塩でいただいた後、高遠つゆで味の変化を楽しんだ。 食後には黒蜜でいただくそば寒天が供され、客を飽きさせたない大満足の昼食となった。

 高遠そばは、醬油や鰹節、砂糖や味醂が贅沢品だった江戸時代、畑で採れる蕎麦、味噌、辛味大根、ネギだけで食べられてきた郷土料理がルーツ。 そんな歴史を踏まえながら、個性的な高遠そばを味わいたいところである。 そして最後に、そば湯でつゆをわっていただくと、なんだかホッとする...それもそのはず、入っているものを考えてみたら味噌汁ではないか(笑)。


高遠相盛り1,400円也、二八の玄そばと十割の田舎そばを高遠つゆでいただく


 昼食後、駐車場脇に停めたZX-6Rの元へ帰ると、相棒のタンクは触れぬくらいに熱く照らされていた。 走り出しの雨模様が嘘のような強烈な日差し、まったくもって、温帯モンスーン気候と学んだ我が国の気候は過去の話である。 熱帯雨林並みの突然の集中豪雨はご勘弁と願いながら、蒸し上げられた相棒を風で冷まそうと、杖突峠へと続く国道152に急ぎ走り出す。 高遠の里の景色は徐々に林間へと変わり、しばらくの間は、緩やかで腹ごなしに最適な快走路がつづく。

 伊那市高遠町と茅野市の市境付近の杖突峠(標高1,247m)を過ぎると、緩やかな林間ルートは一変し九十九折れの下り坂となる。 視界を遮る木々でビューポイントは限られ、峠で営業する茶店ののぼり旗広告に興ざめするが、見通しの良い路側を探して諏訪盆地の大パノラマを見下ろした。


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国道152杖突峠から見下ろす諏訪盆地、その奥に繋がる八ヶ岳連峰


 杖突峠から国道152の九十九折れを一気に駆け降りると、道なりにロマンチック街道こと国道299へと走り継いで混雑する茅野市街を貫けた。 市街地を抜けると信州らしい雄大な田園風景が広がり、行く手には北の蓼科山(標高2,530m)から南の編笠山(2,530m)までの南北約30km、赤岳(標高2,899m)を最高峰とする八ヶ岳連峰が連なっている。


国道299で茅野市街を抜けると、左手蓼科山を北限とする八ヶ岳連峰が連なる


 国道299が八ヶ岳の麓へとさしかかると、丸山(標高2,330m)と茶臼山(標高2,384m)の狭間を越える、麦草峠(標高2,127m)に向けて駆け上がって行く。 別荘地を抜けながら一気に標高を稼ぐ上り始めの勾配はきつく、トリッキーな九十九折れが延々と続いている。 見通しの良い場所で振り返ると、杖突峠から見下ろした諏訪盆地の景色を反対側から眺めることが出来る。


麦草峠へ駆け上がる国道299の九十九折れ、振り返って諏訪盆地を見下ろす


 九十九折れの急な駆け上がりで一気に標高を稼ぐと、カラマツ林が広がる緩やかな快走路となる。 針葉樹の中で唯一落葉するカラマツ、紅葉の季節の景観のすばらしさは推して知るべし。 そしていよいよ、茅野市から佐久穂町の町境を越えたところで、メルヘン街道最高地点の標識がかかる麦草峠にたどりついた。 その標高は2,127m、日本の国道第二の高さを誇っている。

 かつては麦草峠が日本の国道最高位だったらしいが、現在は国道292の渋峠(標高2,172m)にその肩書を譲っている。 その理由は、峠の隆起や沈下によるものでは無く、1992年に渋峠を越える志賀草津有料道路が無料化され、国道292に組み込まれたためである。 肩書は兎も角、標高2,000mを越える峠の爽やかな空気が、下界の猛暑を忘れさせてくれることに変わりない。 ZX-6Rのエンジンを停めて、鳥の囀りなんぞを聴きながらしばしのクールダウン。

 峠近くには、標高2000mを越える池としては国内最大の白駒池があり、池周辺の苔むす原生林や高原植物が咲く草原を散策するハイカーも多い。 国道沿いには公衆トイレのある駐車場も設けれれているが、峠付近の路側には駐車防止のロープが張られており、休日の混雑ぶりがうかがえる。 雨模様だった平日、日本で二番目に高い国道峠を独り占め♪


国道299は緩やかな快走路となり、国道標高二位麦草峠(2,127m)を越える


 麦草峠を越えて佐久穂町側への下りが始まると、再び傾斜の急な九十九折れを駆け下りることになる。 そして下り始めて間もなく、八千穂高原の散策起点となる自然園駐車場付近に差しかかると、地元観光協会が日本一をうたう約50万本の白樺群生林が広がる。 日本一の真偽は定かでは無いが、実際のところ、国道沿いからどこまでも続く白樺の群生は圧巻である。


八千穂高原の白樺群生林、樹高のある白樺がどこまでも続く


 八千穂高原の白樺群生をすぎたところで、松原湖へ下る八ヶ岳ビューロードの分岐にあるレストハウスでトイレ休憩を済ませ、国道299のトリッキーな下りを一気に駆け降りた。

 その後、道なりに幹線国道をつないだ場合、千曲川沿いの国道141で佐久市、そして小諸市へと北上し、国道18を東へ走り軽井沢町をめざすことになる。 しかし、平日とはいえ市街地を抜ける幹線国道の混雑は必至、国道299を下り終えたところにある八千穂高原ICから、高速道路を利用して街中の移動を回避することにした。 幸いなことに、八千穂高原ICから上信越自動車道小諸JCTまでをつなぐ中部横断自動車道は無料区間となる。 

 さらに、佐久平スマートICまで上信越自動車道をわずかにつなぎ、県道137など市街地を避けた郊外ルートで、背後の浅間山をランドマークに軽井沢を目指し北上することにした。


上信越自動車道佐久平スマートICから、浅間山を目印に軽井沢をめざす


 予定通り、佐久平スマートICから県道137へと走り継ぐと、突き当たった国道18で中軽井沢を抜けて、宿泊するペンション・シルバーストーンにたどりついた。 中軽井沢周辺でわずかな信号渋滞に遭遇したが、思惑通りに天下の避暑地周辺の混雑を回避することができたようである。

 今にも降り出しそうな朝の走り出しであったが、期待以上の晴天に恵まれペース良く初日の行程を終えることができた。 また、タフな峠越えや通り雨を想定して早朝に出発し、さらに混雑する市街地を高速道路で迂回したおかげか、幹線ルートをたどるツーリング本隊よりも早く一番乗りの到着となった。  


軽井沢のペンション・シルバーストーン、日本の二輪レースの歴史が詰まった宿


 身支度を整えて玄関のドアを開けると、まずはカワサキが世界GPを撤退した最終マシンKR500(1982年型)が目に飛び込んでくる。 まるで工芸品のようなクリア塗装のアルミタンクに、職人技で先端技術を磨き合っていた昭和のなごりを感じる。

 さらに、カワサキが先進性を探ったバックボーンフレームや機械式のアンチ・ノーズダイブ機構等々、二輪技術の進化をけん引した歴史が刻まれる競技車を眺め、40年後に、それらが結実した量産型SSに乗れる我が身の幸せを噛みしめる。 時代による進化は、素人のバイク親父が、WGPマシンのスイングアームの細さを頼りなく感じるほどである。
 そして、KR500に目を奪われていると、変わらず温和なケンさんに出迎えていただき、案内された部屋で荷を下ろして一息、リビングで本隊の到着を待つことにした。


玄関に入るとKR500(1982年型)がお出迎え、クリア塗装のアルミタンクが美しい


 リビングに足を運ぶと、まずは、WGPのチャンピオン・ゼッケンを冠した、KR250(1980年型)のライムグリーンが目に留まる。 その他にも、ケンさんの、トーハツ、ブリヂストン、ピアッジオのエンジニア時代、カワサキUKのWGP監督時代の思い出の品々が飾られている。 それは日本の二輪レースが生まれ育った昭和の歴史、世に名を残した方々との交流の品々も多く、還暦バイク親父の憧れの記憶を呼び覚ますものばかり。

リビングに飾られたKR250(1980年型)、そして昭和の二輪レースの歴史


 程なく本隊メンバーも到着し、思い思いにケンさんのキャリアと思い出を見学しながら、ツーリングメンバーとシルバーストーンの交流の思い出や近況の話題に花が咲く。 その後、欧州でケンさんのレース活動を支え、共にペンションを切り盛りしてきた紀子夫人の美味しい手料理をいただき、さらに深く熱~い話が続き軽井沢の夜が更けてゆく。 天下の避暑地はエアコンいらず、熱帯夜が続く名古屋だったら間違いなく熱中症になる(笑)。

没頭できるのは家族との絆あってのこと、心がこもった紀子夫人の手料理


 ”オートバイ”という共感する言語がなかったら、出会うことも無かったであろう同僚や先輩達、シルバーストーンを訪れることも無かったと思う。 自分が還暦を越えた今、共感するものが何なのか、そうありたいと思うものが何なのか、何となくわかってきたような気もする...

 ツーリングに参加する度に、四半世紀以上前に引退した先輩が、情熱を注いだ仕事や共に戦った仲間のことを、まるで昨日のことのよう熱く語り、現役エンジニアの苦労に耳を傾けてくれる。 リタイヤ後も衰えぬこだわりに、会社や社会に貢献するものを創造してきた自信とプライドを感じるのである。

 そしてその自信やプライドは、世界GPの頂点を取るような偉業で無くとも、身近な仕事を通じて得ることが出来ることを学ぶ。 見栄えのする成果のある無しでは無く、日々の課題に共感できる仲間と全力で向き合い、それを支えてくれる家族との絆で乗り切った体験がそれにつながる気がする。

 誰もが没頭してきた仕事から引退を考えねばならぬときがやってくる。 仕事へのけじめのつけ方やリタイヤプラン、その後のライフプランは人それぞれだが、バイク乗りの面々は周りに流されるのではなく、明確な意思をもって自分の態度を決め、したたかにそれを実現しているように見える。

 それもさもありなん、社会的に乗り続けることが困難なオートバイ、入学、就職、結婚、育児、そして60、70、さらに80歳と歳を重ね乗り続けるには、強いこだわりと続ける意思、それを可能にするしたたかさがなければ成しえない。 そんな生き方を尊重してくれるパートナーや家族への感謝、寄り添う態度も恥ずかしそうに見え隠れするのである。

 コロナ禍以降仲間とのツーリングが途絶えた間に、背中を追いかける大先輩が亡くなった。 病に倒れ亡くなる直前まで熱く語り、乗り続け毅然とした生き様は色あせない。 亡くなってなお、生き様や人生の意味を共感する先輩から学ぶことが多いのである。


 翌日の天気とルートが気になりだした頃、尽きぬ話はお開きとなり就寝の挨拶を交わすこととなった。  翌日も幹線国道をたどる本隊と別れ、浅間ハイウェー、万座ハイウエーを北上し、国道標高一位の渋峠を越える予定である。 予報では午後から生憎の雨模様、信州縦走を終えて高速道路の帰路に着くまでは、たのむから晴れてくれ~っ!
 軽井沢の快適な気候だけでなく、往路の峠越えの心地よい疲労感、再びこのツーリングに参加できた充実感とともに、久しぶりにぐっすり眠れる夜になった。

...二日目に続く



ツーリング情報


道の駅 田切の里  長野県上伊那郡飯島町田切2598-1 電話(0265)98-5525

高遠そば ますや  長野県伊那市高遠町東高遠1071 電話(0265)94-5123

ペンション シルバーストーン  長野県北佐久郡軽井沢町長倉2484-35 電話(0267)46-2832



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