#映画 「ノマドランド」
オートバイで旅に出たくなる理由、なぜだと聞かれてもはっきりと答えられない理由、それを教えてくれる映画に出会った。
「ノマドランド」は、クロエ・ジャオ監督、フランシス・マクドーマンド主演・制作の、2021年に公開された米国映画である。 第93回アカデミー賞、第78回ゴールデングローブ賞をはじめ、ヴェネチア映画祭、トロント国際映画祭等々、数多くのメジャータイトルを手にした話題作である。 原作は、ジェシカ・ブルーダーのノンフィクション「ノマド: 漂流する高齢労働者たち」(2017年)だが、ノマドランドは原作に衝撃を受けたクロエ・ジャオ監督の創作による。
そのストーリーは、石膏採掘会社の破綻でネバタ州の田舎町エンパイヤが消滅し、長年住み慣れた住居を失ったフランシス・マクドーン演じるファーンが、キャンピングカーに亡き夫との思い出を詰め込み、現代のノマド(遊牧民)として旅立つところから始まる。 そして、過酷な季節労働の現場をまわる先々で、心の痛みや喪失感を抱えるノマド達の誇りを持った生き方に出会い、自分自身の生き方や生きる場所を見つけてゆくロードムービー。
アメリカ西部の美しく厳しい雄大な自然と、イタリアの作曲家ルドヴィコ・エイナウディの音楽で、ファーンの心情がじんわりと染み入ってくる。
フィクションでありながら、ドキュメント映画のような不思議な雰囲気が漂う作品である。 本作で三度目のアカデミー主演女優賞を受賞したフランシス・マクドーンと、ファーンに好意を抱くデイブを演じる デヴィッド・ストラザーン以外、リンダ・メイやシャーリーン・スワンキー、そしてボブ・ウエルズ等、実在のノマド達がキャスティングされているためであろう。
この作品には、2008年のリーマンショックで家を手放した高齢者たちが、過酷な季節労働の現場を回りながら車上生活を強いられる現実を、米国が抱える社会問題として提起する側面もあるのだろうが...東の果ての島国でバイク旅にこだわる還暦親父には違って観えた。 ストーリーが進むにつれ、冒頭に書いた自分がオートバイで旅に出る本当の理由を、ファーンが代わりに探してくれているような気持になってきたのだ。 自分の生きる道は、生きる場所は、そして、自分はなぜ旅をしているのか?
そして、様々な心の傷や喪失感を抱えるノマド達が、彼ら彼女らの生き様を通じて答えを見せてくれるわけである。 ノマド達の心の傷や喪失感は決して特別なものでは無く、誰もが老いて来れば遭遇しうるものばかり。 車で旅を続けながら暮らす彼らのライフスタイルは、それらを克服して生きる意味を見出すための生き方であり、生きる場所なのである。
ロードムービーのネタバラシほど無粋なものは無いので、奥歯にものが挟まったような終わり方になるが...映画の終盤、ボブ・ウエルズがファーンに対し、彼がノマドになった理由、ノマド達の支援活動を始めた理由を告白するシーンがある。 ファーンが探していた答えを見つけたシーンであろう。 その後のラストシーンは、ファーンが廃墟になったエンパイヤの自宅跡にもどり、再び旅立つシーンで締めくくられる。 オープニングの旅立ちに比べて、自分の生き方や生きる場所を、はっきりと認識した決意を感じるエンディングである。
「ノマドランド」を観終えて頭に浮かんできたのは、やまなみハイウエイの先に繋がる九重山のシルエット...母親が亡くなって独り暮らしを始めた父親の元にオートバイで帰省したときの記憶である。 フェリーが到着した早朝の別府港から故郷福岡に向けて、やまなみハイウエイに走り出したときの景色が突然浮かんできたのだ。
そして、その季節、その時間、その時しか出会えない景色とともに、子供の頃に家族でドライブした時の記憶、高校生になって友達とツーリングした記憶、大学生になってかみさんとドライブした記憶...上書きされる事なく積み重なった様々な思い出が、まるで目の前にあるように、次々と浮かんできたのである。
半世紀もの時が流れ、朽ち果てたドライブインや観光施設も多く、反対に中国や韓国からの観光客目当てのににぎやかな通りが目に留まるようになった。 諸行無常の世の中、永遠に続くものなどないことは分かっているが、少なくとも自分が生きている間は、記憶に残る時間が永遠に続くと思える。 そしてオートバイで旅に出ると、新しい感動を思い出の引き出しにしまえるだけでなく、忘れかけていた大切な記憶を手繰り寄せて、フランクルが示した”生きる意味”を実感することが出来るのである。
さらにその旅が日常になるノマド達の生き方は、物理的にも精神的にも生き様の密度が高くなる。 出演者の言葉や映像で表現されるエンハンスされた生き様は、我々がありふれた暮らしの中に生きる意味を探す道標になるのではなかろうか。
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