2025/8/24 [1/4日目]山陰へ神話と伝説の旅_愛知~鳥取(鳥取砂丘、白兎海岸、白兎神社、すなば珈琲、大衆酒場村尾))
九州福岡の田舎町で過ごした子供時代、まだまだ娯楽が少なかった昭和の子供会では、夏休みになると公民館のまんが映写会や神社の肝試しなどが催されていた。 そして、上級生に連れられて歩くその夜道、土手のハゼノキの下で青白く揺れる人魂、ため池や川辺のヨシを揺らすカッパを信じる子供だった。
その当時は、電柱の足元をぼんやりと照らす街灯が灯ると、その先の闇からは妖怪や幽霊などの類が、こちらを覗いている気がしていたのである。 現在では、監視カメラを避けて闇に潜むのは暴漢や変質者の類で、実在する人間の方が魑魅魍魎の類よりも恐ろしいと感じる世の中になってしまった。
しかし個人的には、他界した父母や祖父母に守られているような感覚は今でも残っている。 そして、地方に伝わる神話や伝説、妖怪が登場する民話など耳にすると、少しばかりドキドキしながらその話に聞き入ってしまう昭和親父なのである。
そんな昭和親父の今回のバイク旅は、山陰地方まで日本海沿いに折り返して神話と伝説の地をめぐるツーリングである。 鳥取から島根に至る山陰地方には、「古事記」「日本書紀」そして「出雲国風土記」に描かれた神話や伝説ゆかりの地が数多く残っており、これまでずっと訪れたかった場所なのである。
また、そんな山陰地方の風土を背景に、「耳なし芳一」「雪女」などの怪談を書いた明治の文豪小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の旧邸、子供のころ夢中になった妖怪漫画の巨匠水木しげるの記念館など、童心に帰って不思議な世界を覗ける場所にも事欠かない。
そして、満を持して愛知から山陰地方まで足を延ばす今回の旅、その道中も含めて少しでも多くの神話と伝説の地を巡るために、三泊四日の贅沢な行程を組むことにした。
まず初日は、高速道路を一気に走り継いで鳥取まで移動し、山陰旅の基点に宿をとったJR鳥取駅周辺で、鳥取砂丘や白兎海岸などの観光地をめぐることにした。 また、夕食には山陰の美味いものと地酒をいただき、翌日からの行程に備えるつもりである。
二日目は、鳥取から島根へと走って大国主大神を祀る出雲大社で折り返し、その往復の道中に点在する「黄泉比良坂」などの神話と伝説の地を訪ねることにした。 またその帰路では、中国地方の最高峰大山(標高1,709m)を経由し、神話の舞台にもなった霊峰を見上げる峠道でライディングを満喫するつもりである。
三日目は、鳥取から日本海沿岸をたどって浦嶋伝説が残る丹後半島をめぐり、さらに鬼伝説が残る大江山の普甲峠を越えて舞鶴湾沿岸へと走り継ぐことにした。 その後、人魚伝説が残る小浜を経由して敦賀湾にたどりつくと、JR敦賀駅近くに宿をとり新鮮な若狭湾の魚と福井の地酒をいただくことにした。
そして四日目の最終日は、敦賀から「天女の羽衣伝説」や「菊石姫伝説」が残る余呉湖、「夜叉が池伝説」が残る揖斐川沿いを経由して、「孝子伝説」で有名な養老の滝に立ちよって木曽三川沿いを下って旅を終えた。
実際に、思いつくままに訪れる神話と伝説の地を探してみると、とても回り切れぬ土地々々に伝わる物語の多さに驚くこととなった。 そして、旅の思い出も一度に伝えきれそうにないので、初日から四日間の旅を順に思い出しながらレポートしてみたい。 まずは旅の初日、生まれて初めて訪れた鳥取の旅と、そこで味わった山陰の美味いものをお伝えしてみたい。
鳥取砂丘西端の白兎海岸、古事記神話「因幡の白兎」の舞台
ルート概要
(1日目)
伊勢湾岸自動車道→四日市JCT-新名神高速道→草津JCT-名神高速道→高槻JCT-新名神高速道→神戸JCT-中国自動車道→佐用JCT-鳥取自動車道(無料区間)-鳥取IC-国9→鳥取IC入口-国29→南隈-国9→鳥取市覚寺-県265→鳥取砂丘-県265→鳥取市覚寺-国9→白兎海岸,白兎神社-国9→鳥取大橋-県26→JR鳥取駅
ツーリングレポート
早朝の伊勢湾岸道から新名神高速道そして名神高速道へと走り継ぎ、大津市街越しに琵琶湖を見下ろす琵琶湖SAに立ち寄り朝食休憩をとることにした。 名古屋高速から名神高速に走り継ぐ北回りルートを避け、新名神を経由する南回りルートをたどったおかげか、山陰に向けて混雑することもなく順調な走り出しである。
さて、琵琶湖SAに入って二輪駐車場に相棒を停めると、琵琶湖を見下ろす二階カウンター席でハンバーガーを頬張りながら、山陰ツーリングの起点となる鳥取自動車道鳥取ICに向けてのルートを確認することにした。
名神高速道大津SAで朝食休憩、大津市街越しに琵琶湖を望む
そして決めたのは、大阪と兵庫の街中を貫ける名神高速道を北側に迂回する新名神高速道を経由して、そのまま神戸JCTから中国自動車道へと走り継ぐルートである。 Googleマップによると遠回りになる迂回ルートだが、既に親父の頭は山陰巡りのまったり旅モード、できるだけ混雑する街中を避けて神々と妖怪の国に入りたいところである。
その後、思惑通り混雑を避けながら中国自動車道に走り継ぐと、作用JCTから鳥取自動車道に分岐して旅の起点鳥取ICを目指して走り続けた。
作用平福ICで高速料金を精算し、無料の鳥取自動車道で鳥取ICをめざす
ところで、作用JCT~鳥取IC(62.3km)をつなぐ 鳥取自動車道の通行料金は全線無料! さらに二日目に予定する行程で、鳥取IC~米子西IC(88.0km)をつなぐ山陰自動車道の通行料金も全線無料とのこと! これら鳥取県内の高速道路には、採算性の低い路線は有料道路会社に任せず、国費で建設・管理するという「新直轄方式」なる制度が適用されているらしい。
我が身の日常を振り返ると、二重三重に課せられる税金に疲弊しながら、高額な高速道路料金か街中の渋滞かの選択を迫られる現実。 それも一票の格差の恩恵か?などと羨みたくなるところだが...それも、古代日本を創った神々のご利益だろうと気持ちを切り替え、無料高速道路の恩恵を最大限に活用させていただくことにする(笑)。
さて、鳥取自動車道で一気に中国山地を越えて鳥取ICにたどり着くと、早速インターを降りた鳥取市街からほど近い鳥取砂丘を訪れることにした。
この鳥取観光の目玉ともいえる鳥取砂丘は、中国山地の花崗岩が風化した砂が千代川によって流され、日本海の潮流で海岸線に堆積して海風で内陸に広がった海岸砂丘である。 地質学的には、鳥取市の中心を流れる千代川の東西約16㎞の海岸線に広がるが、植林や農地開発が進んだ現在は砂丘らしさが残る浜坂砂丘が鳥取砂丘の代名詞になっている。
今回はまず、鳥取市東側に位置し大勢の観光客でにぎわう鳥取砂丘(浜坂砂丘)を訪れ、その後日本海沿いの国道を砂丘西端まで移動し、神話「因幡の白兎」の舞台となった白兎海岸を訪れて初日の行程を終える算段である。 昼飯抜きで初日の行程をこなし、鳥取の美味いものと地酒三昧の夕食を満喫して、二日目からの本格的な神話と伝説の舞台巡りに備えたいところである。
そんな思惑とともに、千代川沿いを北上して鳥取市街を抜けると、日本海沿いを走る国道9に合流してさらに東へ舵を切り、程なく鳥取砂丘の外周県道に差しかかった。 そしてまずは、外周路から覗く砂丘を眺めながら観光施設や土産物店が立ち並ぶ砂丘西側の観光エリアを訪れてみた...っが、子供のころ体験したコテコテな賑わいぶりに、観光アナフィラキシーを発症した昭和親父は(笑)、相棒の停車場所を探すことなくま折り返すことにした。
鳥取砂丘の散策口を探す外周県道、防砂林越しに覗く砂丘
そして、鳥取砂丘ゆかりの歌人達の歌碑が立つ砂丘南側の駐車場まで折り返すと、人気のないクロマツの防砂林を抜けて砂丘を散策することにした。 砂丘入口に立つ熱中症注意の看板は想定内だが、安全・快適に砂丘観光を楽しみたいのであれば、記録的な暑さを更新し続ける真夏を避けて訪れた方が無難だろう。
鳥取砂丘南側の防砂林を抜け、いよいよ砂丘に足を踏み入れる
駐車場脇に立つ熱中症の注意看板、猛暑日に訪れる場所では無いかも(笑)
そして、ヘルメットやメッシュジャケットを脱いでクロマツの防砂林の木陰を歩くと、日本海から砂丘越しに吹く風が心地よい。 猛暑日の砂丘観光に興じる観光客が少ないのか、土産物屋が並ぶ観光エリアから離れているせいか、自分以外に人けが無いクロマツ林を貫けて鳥取砂丘に歩き出した。
広大な鳥取砂丘には、日本海と平行に数十mの行程さを有する三本の砂丘列が走っている。 今回は、歩き出した南側の駐車場からほど近い二番目の砂丘列まで歩き、起伏のある特徴的な砂丘地形越しに日本海を望んだところで散策を終えることにした。
ちなみに、砂丘に歩き出す前の勝手な思惑では、風紋に覆われた砂丘に足跡を残しながら山陰旅の非日常に浸るつもりだった。 しかし正直なところ、一面観光客の足跡に覆われた足元の絵面だけ切り取ると、週末ツーリングで訪れた海水浴場の散策と変わらぬかもしれぬ(笑)。 イメージ通りの砂丘観光を満喫するには、景色がリセットされる嵐が過ぎた翌早朝に訪れるなど、それなりの段取りが必要かもしれぬ。
その後、砂丘散策を終えて防砂林にむけて歩き出すと、草原化した砂地が多いことに気付かされる。 第二次世界大戦後、農地や集落を砂から守るために防砂林が植林され、マメツヨイグサなどの外来種が定着し砂丘の草原化が進んだそうである。 1970年以降、景観維持のための防砂林の一部伐採やボランティアによる除草活動などが始まり、現在も自然環境と人の暮らしの共存活動が続いている。
山陰の旅の最初に何気なく訪れた観光名所だが、狭い国土に自然環境と人の暮らしが交錯する日本国、地域社会の努力無しにその共存は難しいことを再認識することになった。
鳥取砂丘の第二砂丘列まで歩き、起伏のある広大な砂丘越しに日本海を望む
東西広範囲に広がる鳥取砂丘の東端で、その代名詞になっている浜坂砂丘の散策を終えると、日本海沿いの国道9を西へ走り鳥取砂丘西端の白兎海岸にたどりついた。 この白兎海岸は、日本で最も知られた神話の一つ「因幡の白兎」ゆかりの海岸である。
その古事記に綴られた「因幡の白兎」は、賢いうウサギがワニザメを騙して並ばせ、隠岐の島から因幡(鳥取)へ海を渡ろうとしたが、その魂胆がばれて皮を剝がれてしまうという話から始まる。 その後、出雲(島根)の大国主命(大黒様)に傷を治してもらったウサギが、大国主命と因幡の八上姫との婚姻をを取り持つという結末になる。
昭和親父が小学生のころには、大国主命に重たい荷袋を背負わせる意地悪な八十神(兄神)達は、傷ついたウサギも虐めて八上姫との婚姻を逃すという対極の物語と合わせて、因果応報の世の中を教えられたような気がする。 しかしそれから半世紀以上の時が経ち、古事記や日本書紀が編纂された政治的な背景を知ると、子供のころ学んだ物語もまた違って見えるようになった。
神話「因幡の白兎」の舞台となった白兎海岸から続く鳥取砂丘
712年までに天地開闢から推古天皇までの国史をまとめた「古事記」は、天皇の国土の支配や皇位継承の正当性を国内に示す目的で編纂された天皇家の歴史書とも言われている。 一方、720年までに天地開闢~持統天皇までの国史をまとめた「日本書紀」は、唐や新羅などの外国に対峙するために編纂された国の歴史書と言えるらしい。
今更ながらではあるが、先日の近江の旅で持統天皇や藤原不比等による日本書紀編纂の経緯に触れ直してから、前述のとおり、子供のころから慣れ親しんだ神話が描かれた背景として、古代日本の政治的な背景や国際情勢が影響していたことが分かるようになった。
ちなみに神話の世界では、天上の世界「高天原(たかまがはら)」と地下の世界「黄泉の国(よみのくに)」があり、その中間にあるのが地上の世界「葦原中国(あしはらのなかつくに)」と言われていた。 古事記において、未開の「葦原中国」である出雲国を治める大国主神が正当な統治者でなければ、その後の国譲り神話で大国主神が天照大御神の子孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に国を譲り、天孫が統治する「豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)」が完成したという歴史につながらなかったのであろう。
平たく言えば、天皇一族の大和王権が、地方豪族代表と交渉し出雲国を支配した正当性、ひいては天皇による日本国統治の正当性につなげる必要があったのだろう。 荒っぽい地方豪族達を束ねた大国主命の人望を示す逸話が、皮を剥がれたウサギを助ける...って下りでよいのか疑問だが(笑)。 実際のところ、1300年後の教科書でその物語が伝えられる事実があり、神話の編纂者たちの創作力にはただただ感心させられるのである。
そして、白兎海岸と国道9をはさんだ丘に建つ「白兎神社」には、古事記神話「因幡の白兎」で大国主命と八上姫の縁を取り持った白兎が祀られている。 皮を剥がれた白兎が境内の身洗池で体を洗いガマの穂を塗し回復した逸話と合わせ、縁結びや皮膚病にご利益があるとされている。
白兎神社の鳥居脇の駐車場に相棒を停めると、参道石段を登り枯れることのない身洗池の脇を抜けて、小さいが品のある大社造りの本殿に参拝した。 とりあえず、恋人との縁結びは脇に置いて(笑)、家族の無事と山陰の旅の安全をお願いする。 そして本殿の隣にある社務所で参拝記念の御朱印をいただくと、JR鳥取駅近くにとった宿を目指して白兎海岸から国道9へと折り返した。
白兎海岸と国道9を挟み建つ白兎神社、鳥居をくぐり参道石段を上る
白兎神を祀る白兎神社、小さいが品のある大社造りの本殿
白兎神社社務所でいただいた御朱印、白兎のスタンプが可愛らしい
その後、国道9を折り返して千代川を渡り鳥取市街にたどりつくと、JR鳥取駅傍に予約したホテルのチェックインを済ませ、山陰旅初日の行程の汗を流し一息ついた。 鳥取飯と地酒をいただく夕餉の時間までにはまだ間があり、JR鳥取駅の物産店など訪れ地元食材や地酒など下調べしてみることにした。
そして、鳥取県一の乗降客数を誇る鳥取駅を訪れて印象的だったのは、行き交う人の少なさとその流れにの穏やかさである。 ちなみに、せっかち(早歩き)の47都道府県ランキングなるものが存在しており、果たして鳥取県の順位は期待通り?の47位であった。
人の歩みに限らず、鳥取インターを降りてからの車の流れもしかり、真っ直ぐに歩くのも難しい名古屋駅の混雑に慣らされたバイク親父は、穏やかな時間の流れに非日常を感じることとなった。 その旅先で感じた日常とのギャップが、その後とんでもない結果をもたらすことになるとは...そのオチは後にして、とりあえずはレポートを続けさせてもらうことにする。
鳥取県一の乗降客数を誇るJR鳥取駅にも、緩やかな鳥取時間が流れる
そして鳥取駅構内に足を踏み入れると、コンコース脇で賑わうスターバックスが目に留まる。 そういえば、かつて都道府県で唯一スタバが無かった鳥取県、スタバは無くとも「すなば珈琲」があるという洒落の効いた自虐?ネタは今も記憶に残っている。 2015年以降、現在鳥取には6店舗のスタバがオープンしているようである。
当然だが、せっかくの山陰旅でスタバに立ち寄る気にもなれず、駅構内の土産物店で鳥取の特産品や地酒の下調べもほどほどに、検索した鳥取駅最寄りの「すなば珈琲 新鳥取駅前店」を訪れることにした。
そしてたどり着いた「すなば珈琲」は、地元に根付いた喫茶店らしく、名古屋弁で言うところの”安気”な店構えであった。 カウンター席に落ち着きメニューを見ると、昭和親父好みの定食達が目を引くが夕食まで間が無く、”砂焼きコーヒー” 550円也を注文することにした。
”砂焼き”を冠する商品名は伊達ではなく、実際に鳥取砂丘の砂で焙煎したブラジル豆を、手間のかかるサイフォンで抽出したこだわりの珈琲らしい。 実際にいただいてみると、柔らかな口当たり、深いコク、そしてすっきりとした後味...正直なところ、ストレート珈琲の味わいを比べれば、”スタバ”よりも”すなば”の方に軍配が上がりそうである。
「すなば珈琲」新鳥取駅店、地元に根付いた安気な喫茶店
”砂焼きコーヒー” 550円也、鳥取砂丘の砂で焙煎したこだわりの一杯
すなば珈琲でまったりと過ごし、名古屋時間と鳥取時間との時差ボケを解消?すると、鳥取飯と地酒を探してたどり着いた大衆酒場「村尾」の開店時間となった。 早速、すなば珈琲新鳥取駅店からほど近い「村尾」に移動すると、案内されたカウンター席に落ちつき冷たい生ビールで人心地、そして鳥取駅の土産物店で予習した山陰の旬の食材と地酒を注文することにした。
鳥取特産の美味いものと地酒を検索したどりついた大衆酒場「村尾」
まずは日本海の新鮮な海の幸、甘く歯ごたえの良い白いか、ねっとりした食感の鯛、鰤のサッパリした脂、アジはショウガでサッパリといただく。 夏を感じる新鮮な刺身には、酸味と軽い旨味のバランスが良い瑞泉の純米酒を合わせた。
さらに、塩味が程よい大山どりの串盛りと口直しのもずく酢には、ひたすらサッパリの日置桜の純米酒がすすむ。 そして山陰の珍味、カニみそ、スルメ麹漬け、そして砂丘ラッキョウをつまみながら、後味が個性的な冨玲の特別純米酒を満喫することとなった。
鳥取の地酒は、中国山地の軟水で仕込まれたスッキリとした味わいと、鳥取県オリジナルの酒米「強力」の旨味が特徴で、食事に合う酒として定評がある。 その評判通り、山陰の旬の食材と地酒の相性の良さを堪能する夜となった。 そして最後には、お約束の宍道湖産しじみの味噌汁とホカホカの白飯で、大満足の鳥取飯を〆ることにした。
余談だが、鳥取の醤油と味噌がおもいがけず甘口で、故郷九州福岡を思い出した昭和親父である。 時折、福岡に南国九州のイメージを持つ人に出会うが、山陰と関門海峡を挟んで日本海を望む福岡は、冬場にはどんよりした曇り空が続くことが多い。 初めて訪れた土地なのに、食事や酒の味わいに懐かしさを感じるのには、生まれ育った故郷と気候風土が似ているせいかもしれぬ。
山陰ツーリング初日の夕餉、大衆酒場「村尾」で山陰の旬の食材と地酒を堪能する
さてさて、神話と伝説の山陰ツーリングの初日、予定通りに愛知から鳥取まで高速道路を走り継ぎ、鳥取市街からほど近い鳥取砂丘や白兎海岸をめぐりおえることとなった。
千代川を挟んで東西16㎞に続く鳥取砂丘の生い立ち、広大な砂丘と生活環境両立の難しさ、そして因幡の白兎の政治的な背景などなど、山陰の自然や神話の現実に触れ直す旅となった。 また夕餉には、山陰の美味いものと地酒を満喫し、充実した旅の初日を終えることができたと思う。
明日二日目は、さらに鳥取から島根へと日本海に沿って移動し、神話の地を巡りながら出雲大社で折り返すルートをたどることになる。 さらにその帰路では出雲国風土記の国引き神話の舞台「大山」を経由し、中国地方最高峰を見上げる峠道をめぐるつもりである。
はてさて、神話と伝説の旅をテーマにした山陰ツーリング、いよいよ二日目は、その目玉となる立ち寄り場所が盛りだくさんの行程となる。 そして、山陰初日の旅の余韻と美味いもので満たされたバイク親父の頭は、まだ見ぬ神話の風景への期待がさらに膨らみ続ける。 まだまだ旅は始まったばかり、まだまだ吞み足りぬ地酒もほどほどに床に就くことにしよう。
...二日目に続く
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