2024/10/12 田峯城から岩村城へ晩秋の峠巡り(田峯城跡、岩村城跡、設楽ダム見晴展望台、県道10(設楽根羽線)、茶臼山高原道路、矢作ダム、加茂広域農道、割烹ふじ吉)




 暦の上では仲秋を過ぎて晩秋に差しかかっているのだが、実際の気温は真夏日の基準となる30℃をやっと下回るようになったばかり。 今年もさらに夏から冬へと季節の二極化が加速し、山の紅葉は色づく前に散ってしまうかもしれない。 それゆえ今回は、短い秋に乗り遅れまいと晩秋に差しかかったばかりの奥三河山間へと走り出すことにした。

 まずは、東海環状道豊田松平インターを降りて国道301に駆け上がると、国道420を走り継いだ田峯城跡を旅の起点に国道275を北上し、奥三河の峠をめぐりながら岩村城跡で旅を折り返すことにした。 田峯城と岩村城いずれの山城も、織田信長と徳川家康に対する武田信玄の争いの狭間で、悲惨な逸話の舞台となった場所である。

 また、田峯城跡から岩村城跡へ向かう途中では、豊川に建設中の設楽ダムを一望できる展望台に立ち寄ることにした。 断片的な橋梁工事など目にすることはあったが、これほど大規模なダム工事が進んでいることに気付けずにいた。 設楽ダムが完成すると流域の国道257や県道10が水没し、建設中の迂回道路をたどるツーリングは随分と様変わりするだろう。

 そして道中の昼食休憩には、上矢作集落にある創業30年の割烹料理「ふじ吉」に立ち寄り修業を積んだ板前が造る定食をいただいた。 お品書きはいたって普通だが、配膳された生姜焼き定食は普通ではなかった(笑)。

 ちなみに今回は、摩耗した純正タイヤDUNLOP K300GPをMICHELIN ROAD CLASSIC(F:100/90-18、R:130/80-18)に換装しての慣らしツーリングでもある。 路側の紅葉の色づきを探しながら巡った、県道10、茶臼山高原道路、矢作ダム湖畔道路、そして加茂広域農道のライディングと共に、はじめて装着したミシュランタイヤの印象など伝えてみたい。

 いやはや、城跡巡り、ダム工事見学、割烹定食、そして峠巡りに紅葉狩りと、思いつくままにやりたいことを挙げていたら、何ともてんこ盛りな五目ツーリングになってしまった。


岩村城跡出丸駐車場から標高717mに築かれた本丸石垣を見上げる




 ルート概要


東海環状道豊田松平IC-国301→根崎-県77-県363→大羽橋-国473(野原川観光センター)→阿蔵駐在所-国420→大輪橋-国257→田峯城跡-国257→田口(設楽ダム見晴展望台)-国257→設楽大橋東-県10(設楽根羽線)→折元IC-茶臼山高原道路(県507)→西納庫IC-国257→稲武町-国257-国418→上矢作(割烹ふじ吉)-国418-国257→岩村城跡-国257(折り返し)→押川大滝-県20矢作ダム県356→小渡-県366→まんじょう橋-加茂広域農道→平沢下(バス停)-国153→千田(バス停)-加茂広域農道→深山茶屋(バス停)-国420→おおわけ橋-加茂広域農道→日折峠-県363-県77→根崎-国301→東海環状道豊田松平IC



 ツーリングレポート


 Tシャツにレザージャケットを羽織っての走り出し、少しヒンヤリとした朝の風が心地よい。 甚大な被害をもたらした台風と大雨、そして気忙しいリーマン親父の日常にも流され、前回の甲斐ツーリングから二か月以上乗れぬ日々が続いていた。 

 そのせいか、記憶に残る猛暑日ツーリングとのギャップに、夏を丸ごと全部飛び越してしまったような不思議な感覚を覚える。 一昔前なら、夏のツーリングシーズンを無駄にしてしまったと後悔したのだろうが、蒸し上げられる猛暑をやり過ごせたと思える時代になってしまった。

 ところで今回は、天候不順や気ぜわしい日常の合間にも時間を見つけ、以前から厚ぼったいデザインが気になっていたリアシートの補正加工や、スリップサインがでたタイヤ交換を済ませての走り出しである。 無理無駄を楽しむバイク道楽、一般的には手間のかかる段取りも、乗れずとも心で風を切るネタになる(笑)。 

 そして久しぶりのツーリングの初めに、給油に立ち寄ったガソリンスタンドで、リフォームしたシートをじっくりと眺めてみることにした。

 結果的に、タンデムシート部分のクッション材を薄く削ったおかげで、浮き輪のようだったリアシートまわりが”シュッ”としたような気がする...っが、正直なところ誰も気づかぬ自己満足のレベルであろう(笑)。 長旅で疲れぬように厚みを残した、前方シートとのバランスを考えるとこんなものだろうと溜飲を下げる。

 今回純正シートを持ち込み施工を依頼した(株)丸直では、縫製方法やパイピング、張り替えシート材など個々に選択できる。 そして今回の加工費は税込総額28,500円也、盆休みを挟んだので通常二週間の納期は約一か月の待ちであった。

 ちなみに、実際に乗ると見た目よりも着座面の滑り具合の方が気になる。 着座位置がしっくりと収まっているので問題ないが、純正のシート材に比べて若干滑りやすくなった気がした。 着座面のシートにマッドな風合いを選んだのだが、シート材の堅さや張り具合などが影響するのかもしれない。 


厚ぼったかったリアシートを削り加工、多少シュッとした気もするが自己満レベル(笑) 


 さてツーリグに話を戻すと、名古屋の街中から高速道路をつないで東海環状道豊田松平インターを降りると、予定通り国道301を作手方面へと駆け上がって行った。

 冒頭でお知らせした通り、今回はスリップサインが出たダンロップK300GPを、ミシュランRORD CLASSICに換装しての走り出しである。 まずは、国道301根崎交差点から分岐して野原川沿いを北上し、国道420で慣らし前のウオーミングアップを済ませる予定である。

 そして、僅かに色づきだした野原川沿いの紅葉を眺めながら、予定通り国道420をに合流すると、今回のツーリングのランドマーク田峯城跡に向けて当具津川沿いを下って行った。 そして、新品タイヤのトレッドを一通り使い切るころには、豊川沿いの国道275に合流した。


色づきはじめた紅葉を眺めながら、国道420へと野原川沿いを溯る


  豊川沿いの国道275を上流へ走り出して程なく、田峯集落への分岐にさしかかりタイトな九十九折れに駆け上がっていった。 集落への分岐は、田峯集落の奉納歌舞伎(国指定重要無形民俗文化財)で知られる田峯観音の案内標識に従えば見逃すことは無いだろう。

 そして、田峯城跡にたどり着くと駐車場脇でヘルメットを脱いで一息、戦国時代の山城の特徴が良くわかる空堀越しに、幾重にもかさなる曲輪を見上げた。

 以前の長篠設楽原ツーリングで紹介した通り、1470年に菅沼定信により築城された田峯城は、今川氏と織田氏、そして武田氏と徳川氏の勢力争いに翻弄され続けた歴史を持つ。

 武田側として長篠設楽原の戦に参戦した城主菅沼定忠は、織田・徳川連合軍に敗れた武田勝頼とともに田峯城に帰還したが、家康方に付いた叔父の定直に締め出されてしまう。 そして勝頼とともに信州に敗走した定忠は、田峯城に舞い戻って夜襲をかけて老若男女96名の家臣を皆殺しにした。 裏切りの首謀者は地面に埋められ、首を鋸引きにされるという惨たらしさである。

 その後、菅沼定忠は武田勝頼の自害と共に自らも討死し、田峯菅沼氏の本家は途絶えることになった...旅の始まりになんとも血生臭い話ではあるが、これから目指す岩村城跡にも同様に、織田氏と武田氏の戦いの狭間で生じた悲しい逸話が存在する。

 翻ってみると、己が長く身を置いてきたリーマン稼業においても、勢力争いの狭間で割を食う局面は度々目にしてきたことである。 そんな歴史に思いを馳せながら城跡を訪れると、どこか身につまされる還暦親父なのである。

 空堀に架かる橋を渡って、標高350mの本丸御殿(入場料220円)にたつ物御台からは、眼下に豊川(通称寒狭川)の流れ、遠く鳳来寺山から平山明神山へ繋がる稜線を望むことが出来る。 今回はてんこ盛りの行程を考慮し、城跡の足元からの戦国妄想に止めて先を急ぐことにした。


田峯城跡駐車場から空堀越しに幾重にも重なる曲輪を見上げる


 さて、田峯城跡を後にして田峯集落へと走り出すと、今年2024年3月に閉校したばかりの田峯小学校が目に留まった。 昭和初期の山村の小学校の風情をつたえる田峯小学校は、国指定登録有形文化財にも指定されている。 その肩書通りの景色は、九州福岡の田舎町で生まれ育ったバイク親父に、現在は取り壊されてしまった母校の面影を感じさせる佇まいである。

 150年の歴史を閉じることとなった田峯小学校だが、閉校時の生徒数は5名まで落ち込んでいたらしい。 今回のツーリングでもまた、国の人口減少やそれを象徴する過疎問題を目の当たりにすることとなった。 この現実を目にすると、400年前に村人が「三軒になっても芝居を奉納する」と願掛けして始まった、田峯観音の奉納歌舞伎を維持して行くのは難しいだろうと心配する一見親父である。 

 小さな山間の集落に、様々な物語や懐かしい景色が詰まった田峯集落、ここを目的に再度行程を組みなおしてゆっくり訪れたいものである。 田峯小学校閉校と同じタイミングで、田峯観音の参道石段足元の直売所脇に、集落を一望する「だみねテラス」がオープンしたらしいので訪れてみるのも良さげである。


2024年3月に閉校した田峯小学校、昭和親父が母校を偲ぶ懐かしい景色


 田峯集落から豊川沿いの国道257に降りてくると、観光客やバイク乗りでにぎわう道の駅「したら」をやり過ごして田口方面へと駆け上がって行った。 そして国道257が田口中心部に差し掛かると、設楽警察署の手前を左折して設楽高等学校の脇をぬけ、街の外れにある建設中の設楽ダム見晴展望台にたどりついた。

 相棒を道路脇に停めて見晴展望台に登ると、今さらながら、豊川河口から70km上流の設楽町にこんな巨大なダムが建設されていることに驚かされた。 さらに、豊川沿いの国道257や境川沿いの県道10(設楽根羽線)が水没することも知ることとなった。

 ダム建設を遡ると、1963年から計画が浮上しては立ち消えになるを繰り返し、構造もロックフィルダム方式から現在の重コンクリート方式に変更されている。 そして、2016年の基本計画では2026年完成予定だった工事は2034年完成にまで遅れ、事業費約2,400億円は約3,200億円にまで膨らんでいるらしい。 

 個人的に、技術的な理由による設計変更や物価変動による工費の修正は致し方ない部分もあると思えるが、当初のダム建設目的だったはずの電力発電が、現在の洪水被害軽減や利水目的に変わった理由にはたどり着けなかった。 造ることが政治家や役人の目的ならば説明はつくが、腑に落ちないのは毎度のことである。


田口高等学校の脇をぬけ建設工事中の設楽ダム見晴展望台にたどり着いた


北設楽郡設楽町に建設中の設楽ダム、右手には水没する県道33の橋脚が建つ


 見晴展望台を後にして国道257を稲武方面へと走り出すと、田口中心部を抜けて豊川の支流境川にかかる境川大橋にむけて駆け降りていった。 そして、境川大橋東交差点から県道10(設楽根羽線)に分岐すると、境川に沿って津具方面へと遡って行った。

 見晴展望台に掲げられていた設楽ダム完成イメージを思いだしながら走ると、これまで断片的に目にしていた国道257や県道10の迂回道路や橋脚工事が繋がり、こんなところまで水没するのか...っと、巨大ダム工事の影響を改めて実感することとなった。

 そして、ダム建設への巨額の税金投入はもちろん、走り慣れたツーリングルートが水没するというのに、ただただ無関心だった己を反省するバイク親父である。


設楽ダム湖に沈むであろう境川沿いの県道10を根羽方面へと遡る


 さて、県道10の水没区間を過ぎてさらに根羽方面へと走り続けると、いよいよ津具集落を抜けて茶臼山高原道路折元ICへ駆け上がる、タイトな九十九折れに差しかかった。 これでもかと続く低速の切り返してバンク角を増やし、真新しいMICHELIN ROAD CLASSICの乗り味を確認しながら慣らし削る算段である。


県道10で津具集落を抜け、茶臼山高原への九十九折れに駆け上がる


 ちなみに、MICHLIN ROAD CLASSICを選択した理由は、乗り慣れたハイグリップラジアルからW800street標準装備のバイアスタイヤ、DUNLOP K300GPに乗り換えた時に感じた違和感のせいである。 具体的には、倒しこみのレスポンスが良い反面直進安定性に欠け、路面を掴む感覚が得られずバンキングも制御しずらいと感じていた。

 その原因を、K300GP特有の乗り味と言うよりもバイアスタイヤのプロファイルに起因すると考え、ベルテッドバイアス構造を採用するROAD CLASSICを選択した次第である。

 蛇足ながら、ベルベットバイアスタイヤとは、バイアスタイヤのカーカスにラジアルタイヤのベルトを組み合わせた構造で、ラジアルタイヤが主流になってきた1970年代にバイアスタイヤの性能を補うために考案されたものである。 最近のネオクラシックカテゴリーをターゲットに、最新のバイアスタイヤとして蒸し返したミシュランの商品企画が分かりやすい(笑)。

 随分と前置きが長くなってしまったが、ROAD CLASSICの乗り味は期待通りの結果であった。 路面を掴む感じが得られバンキングの制御性も格段に向上したので、県道10のようなタイトコーナーが連続する駆け上がりでも、思い切りよく切り返して行けるようになった。 その反面、倒しこみのレスポンスが若干鈍くなったが、個人的にはこれ位の安定性があった方が安心してコーナーリングを楽しめる。

 実のところ、手放しでも走り続ける直進安定性は事前に確認済みだったが、倒しこみとのバランスや深く倒しこむまでのリニアリティーは想定以上に良い塩梅であった。

 さてさて、ROAD CLASSICのパフォーマンスに気をよくしながら折元ICまで上りきると、茶臼山高原道路に乗って納庫ICにむけて駆け降りることにした。 この区間では、十分なアプローチを経て進入する下りコーナーが連続しタイヤへの負荷もふえてくる。

 県道10のタイトな駆け上がりで感じた、安定性とバンキングの制御性がより際立つ局面だが、立が強くなった進入でより大きなきっかけ作りが必要になってくる。 その一方で、W800の効かぬブレーキとよれるフレームゆえに、フロントブレーキの抜きをきっかけに倒しこむのが難しい。 おのずとカウンターステアをきっかけに倒しこんで、そのままリーンアウト気味の旋回姿勢に移行する乗り方を、より意識するようになった次第である。

 そのせいか、バンク角を増やして攻め込むほどにW800streetの幅広ハンドルのイン側の押さえ込みに難儀するようになった。 今更ながらではあるが、オートレーサの段違いハンドルの意味を体感する晴れふら親父だが、左旋回だけのツーリングルートは現実的では無く(笑)、適度な幅のトラッカーハンドルでも探してみようかと思案することとなった。


茶臼山高原道路納庫ICに向け速度が乗るダウンヒルが始まる


 茶臼山高原道路を納庫ICまで下りきると、道の駅アグリステーション前で国道257に突き当り、岩村城跡を目指して稲武方面へと舵を切って走り続けた。 丁度昼時、ROAD CLASSICを削るために少しばかり攻め込んだせいか腹も減ってきた。 国道257が稲武交差点を過ぎてさらに走り続け、国道418に分岐した上村集落で割烹「ふじ吉」に立ち寄った。

 地元客で賑わう山村の割烹料理店では、名古屋柳橋市場で仕入れた新鮮な魚介類を使った会席料理だけでなく、地元産の豚肉や野菜を使用した丼ぶり物や定食メニューもいただける。 入店時は既に、地元客らしき家族ずれでテーブル席は埋まっていたが、配膳口になっていたカウンター席に席を確保してもらい落ち着くことが出来た。


創業30年上矢作集落の割烹ふじ吉、会席料理だけでなく丼や定食もいただける


 そして注文したのは、お品書きに店の名物とあった生姜焼定食1,700円也。 生姜焼きは定食メニューの王道中の王道ゆえ、どんな名物が配膳されるのか期待しながら配膳を待つ、待つ、待つ...厨房をのぞくと東京と名古屋で板前修業を積んだ店主を中心に家族三代総出の様子、注文をさばき切れていないのかと思い始めた矢先、生姜焼きの概念を覆す巨大な肉塊が配膳されてきた。

 そして早速、生姜の爽やかと醤油の香ばしさをまとい、じっくりと焼き上げられたぶ厚い生姜焼を思いっきり頬張る。 配膳の待ち時間は、この肉塊がオーブンで焼き上がる時間だったらしい。 程よく脂をまとった肩ロースの表面はこんがり、中はジューシーで柔らかく、さらに甘過ぎぬ味付けは上品で、還暦親父の弱り気味の胃袋がもたれることも無かった。


店の名物を冠する生姜焼き定食1,700円也、オーブンでじっくり焼き上げられた肉塊


 生姜焼き定食の概念を変える割烹料理店の食堂飯を平らげると、上矢作集落から国道275へと引き換えし岩村城跡をめざして走り出した。 そして程なく、木の実峠を貫ける新木の実トンネルを過ぎると、いよいよ岩村城跡への分岐にたどりついた。

 その国道257の分岐から、離合も間々ならぬ崖っぷち林道を登って行くと、岩村城出丸跡に設けられた駐車場にたどり着く。 観光客が多い休日だったせいか、先行車が離合で立ち往生する場面に何度か遭遇し、出丸駐車場まで登り切るのにかなりの時間を要してしまった。

 砂利が浮き落差が大きな九十九折れ故に、取り回しが困難なバイクは先行車と十分な距離を取りながら登った方が良いだろう。 また、観光客で賑わう休日に四輪で訪れる場合、岩村城下町の散策を兼ねて岩村歴史資料館駐車場側から登城したほうが無難かもしれぬ。

岩村城跡出丸駐車場から標高717mに築かれた本丸石垣を見上げる


 鎌倉時代の加藤氏に築かれた岩村城は、日本一高い標高717mの城山に築かれた山城として知られ、奈良県の高取城、岡山県の松山城と並び日本三大山城の一つに数えられている。 戦国時代には加藤氏の後裔にあたる遠山氏の居城となり、その時代の縄張りを踏襲して石垣が幾重にも重ねられ現在の城跡の形に至っている。

 そしてこの城は、美濃の織田信長と信濃の武田信玄の狭間に位置するが故に、両者の争いに巻き込まれて理不尽な仕打ちを受けた女城主の逸話が伝えれている。 岩村城跡を訪れるにあたって聞きかじった事の顛末を少しだけ紹介してみたい。

 1571(元亀2)年に岩村城主の遠山景任が病没すると信長は、幼少の5男を遠山氏の養子にして城主に据え、後見人として叔母のおつやの方を送り込んだ。 それに危機感を覚えた信玄は翌年の1572(元亀3)年に大軍を率い、徳川家康の拠点である遠江と織田信長と奪い合う岩村城に同時攻撃を仕掛けたのである。

 結果的に信玄の思惑通り、朝倉義景、浅井長政、そして三好三人衆、石山本願寺らに包囲された信長は後詰めを送ることが出来ず、おつやの方は無血降伏の条件として秋山虎繁と婚姻することとなった。

 その後、三方ヶ原の戦いで家康を破った信玄が病没して風向きが変わり、設楽長篠の戦いでは武田勝頼が信長と家康の連合軍に敗れるに至った。 その勢いのまま岩村城を攻め落とした信長だが、開城の際に約束していた虎繁とおつやの方の助命を翻し、長良川河川敷で逆さ磔にしてしまった...というのが事の顛末であろうか。

本丸から岩村城下町を見下ろす、左手には相棒を停めた出丸駐車場


 己のリーマン稼業を振り返ってみると、そんな極端な二者択一の権力争いに巻き込まれるケースは稀ではあるが...いやっ結構あるか(笑)。 いずれにしても、キャリアを積み上げて行く過程でステークホルダーへの忖度を問われる機会は多い。

 掲げる大義や才能に共感できるメンターを慕いながら運命を共にするか? それとも、必要十分な距離を取りながら自分自身の大義や才能を信じてそれを貫き通すのか? 今一度自分に問い直して腹をくくった方が良いかもしれぬ。 中途半端に流されていると、期待通りの結果が得られなかった時の後悔や、恨み辛みばかりが残ってしまうことになりそうだ。 リーマン人生の終え方を探す還暦親父、気持ちだけは、名誉ある死に様を探す戦国武将と同じなのである(笑)。

 そんなことを考えながら本丸に登ると、農村景観日本一とも言われる岩村の田園風景越しに望む恵那山と、日本一高い場所に建てられた山城から見下ろす城下町の景観に迎えられる。 本丸には、信長が武田氏を滅亡させた甲斐討伐を指揮した宿営地があり、信玄びいきの親父が現実の厳しさを再認識する場所としても申し分ない。

本丸虎口から農村景観日本一の田園風景越しに恵那山を望む


 岩村城跡を後にして往路の国道257へ折り返すとライディングに頭を切り替えて、次のワインディングを目指すことにした。

 これまでに、県道10のタイトな九十九折れに駆け上がってバンク角を増やし、さらに茶臼山高原道路の緩やかなダウンヒルで負荷をかけて、ROAD CLASSICのトレッド表面を一通り剥きおえたつもりである。

 ここからは慣らしをあまり意識せずに、フラットな低速域の複合コーナーが連続する矢作ダム湖岸と、アップダウンを伴い速度域も上がる加茂広域濃で総合的な試走を試みることにした。

 そしてしばらくの間、流れの良い国道275を稲武方面へ走り続けると、いよいよ矢作ダムへの分岐にさしかかった。 矢作川を堰き止めた矢作ダム湖は岐阜と愛知の県境に位置し、今回はまず岐阜県側の北岸を走る県道20に分岐して、矢作ダムで対岸へ渡り、愛知県側の南岸を走る県道356で小渡を目指すルートをたどることにした。

 個人的には、減速帯や路面の荒れも少なくライディングに集中できる印象の愛知県側の県道356を辿ることが多いのだが、今回はよりタイトな切り返しが含まれる県道20を前半に組み合わせて、コーナーのバリエーションを増やしてみた次第である。

 

矢作ダム湖北岸の県道20、南岸の県道356よりもタイトな切り返しが続く


 結果的に、県道20と県道356を多少攻め込んでみても、ベルテッドバイアス構造を採用したROAD CLASSICのポジな部分ばかりが目立つ結果となった。

 特にK300GPに比べてバンキングの安定性と制御性が格段に向上したので、曲がりの変化やブラインドコーナーも多い矢作ダム湖岸においても、より臨機応変なライン取りが可能になった気がする。

 また手放しでも走り続けるほどの直進安定性と引き換えに、倒しこみのレスポンスが若干鈍くなったことは前にも触れたが、それも攻め込むほどに思い切り倒しこめる安心感につながてくるのである。

矢作ダム道路で対岸の県道356へ渡り小渡方面へ走り続ける


 その後、矢作ダム南岸の県道356を小渡まで走ると、県道366を走り継いでかもこう聞き農道の北側起点となる万町橋にたどり着いた。 ここから加茂広域農道へと駆け上がり、国道153、国道420と交差しながら、国道301方面へと一気に南下して帰還する段取りである。 これまで幾度か紹介した加茂広域農道、集落付近でのペースダウンは必須だが、アップダウンを伴うバリエーションに富んだ中低速コーナーが連続し、ツーリングの最後にMICHLIN ROAD CLASSICの総合力を試すには申し分ない。


加茂広域農道の北側起点万町橋からの駆け上がり、ミシュランの慣らしを仕上げる


 結果的にはここでも、タイヤ負荷をかけるほどに直進および旋回安定性を実感し、それによるバンキングや走行ラインの高い制御性が際立つこととなった。 他の最新バイアスタイヤに比べ優れているというよりも、レスポンスよりも安定性に振った乗り味が、ハイグリップラジアルタイヤに飼いならされた乗り手との好相性に繋がったのかもしれない。

 そして全体を通して、かなりラフにステア操作と加減速を組み合わせても、グリップ性能が破綻する兆候は見られなかった。 乗り手とW800streetのそれなりパフォーマンスの範疇では、極端なアンダーやオーバーステアを気にする必要もなさそうだ。

 また幸いなことに、今回のツーリングでウエットグリップ性能を試す機会は得られなかったが(笑)。 そこは、ウエット性能50%向上(前モデルのPILOT ACTIVE比)を掲げて、前後共にシリカコンパウンドを採用し、ボイドレシオ26%のトレッドデザインを施したミシュランの商品コンセプトを信じたいところである。

 さらに、標準装備のK300GPの再装を見送るきっかけとなったライフの短さ、特にリアタイヤの極端なセンター減りが解消されるかどうかは、今後乗りながら確認して行きたいと思う。  

 ちなみにK300GPの場合、リアタイヤのトレッドを使い切る前にステップが接地し、センター減りの要因の一つになっていたような気がする。 対してROAD CLASSICの場合は、同程度のバンキングでトレッドの端まで使いきれそうである。 ミシュランのネオクラシックにターゲットを絞ったプロファイル設計と、ネオクラッシック右代表のW800の車体との相性が良いのかもしれない。

 

加茂広域農道で仲秋紅葉狩りとタイヤの慣らしツーリングを締めくくる


 その後、加茂広域農道を南端まで走りきると、国道301へと走り継いで東海環状道豊田松平ICから名古屋方面へと帰路に着くことにした。

 MICHLIN ROAD CLASSICの慣らし運転のつもりで繋いだ峠だったが、全行程を通してミシュランのベルテッドバイアスタイヤの高い安定性や制御性を実感する結果となった。 個人的に、高性能SSの公道ツーリングで回せぬストレスを抱えるよりも、乗り味に振ったバイクで安全マージンを残しながら全開を楽しむ目論見が、いよいよ形になってきた感がある。 

 また今回は、ライディングと共に紅葉狩りツーリングを楽しめそうな峠道を繋いでみた。 しかし晩秋に差しかかったにもかかわらず、記録的な猛暑を引きずったせいか路側の紅葉はまだ色づきだした程度であった。 随分と短くなってしまった秋をピンポイントで楽しむには、加速する冬と競いながらまめに峠へと繰り出す必要がありそうだ。

 さてさて、峠巡りや紅葉狩りの他にも、城跡巡り、ダム工事見学、割烹定食と、文字通りの五目ツーリングを終えてみると、まるで幾つもの旅を終えたような充実ぶりであった。 思いつきで繋げたツーリングルートだったが、実際にたどってみると色々な気づきがあり、考えさせられることも多かった。 

 最近は、自分が生きているうちに経験するとは思わなかったことばかりで、諸行無常の世の中が自分の身の回りに限らぬことを思い知らされている。 パンデミックに戦争、地震に津波、台風に大雨、それらに対応できず没落の一途をたどる日本の政治や経済...変わらぬ世の中を前提に生き様を探ってきた還暦親父だが、もはやその前提も担保されぬ世の中になってしまった感がある。

 でもまあ、悲観してばかりもいられない。 今更ながらではあるが、日常の種々雑多な情報に流されがちな自分を、非日常のバイク旅で見つめ直せるのも、還暦を越えて乗り続けてきたおかげであろう。

 無理無駄と言われがちな道楽を色々なものに折り合いを付けながら続けるスキルや、限られた己の技量やバイクの性能でライディングを楽しみつくすスキルは、外乱に惑わされず後悔のない人生を全うするために役立つと信じている。



ツーリング情報


田峯城跡  愛知県北設楽郡設楽町田峯字城9 (電話)0536-64-5505


岩村城跡  岐阜県恵那市岩村町字城山 (電話)0573-43-3231


割烹ふじ吉  岐阜県恵那市上矢作町3076 (電話)0573‐47-2620



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