2023/10/07 東白川村でけいちゃん&とんちゃん、古い町並み巡り甘味三昧(白草、妻籠宿 ゑびや、岩村城下町 あまから)
このところ忙しかったリーマン稼業も峠を越え、秋のツーリングシーズンを迎えた本物の峠に走り出すことにした。 地球温暖化の影響で夏冬の二極化が進む昨今、この一週間で朝夕の冷え込みも一段と厳しくなってきた。 里山が色づくにはまだ早いかもしれぬが、ぼやぼやしていると、革ジャンを羽織り峠を駆け回る機会を逸してしまうだろう。
そして今回ツーリングは、久しぶりの出社で顔を合わせたH-D乗りとの二人旅である。 コロナ禍以降、在宅勤務のすれ違いで友人と顔を合わせる機会は減ってしまったが、たまにバイク乗り同士が顔を合わせるとツーリングの段取りが始まる。 そして仕事の合間の立ち話で手早く旅先を決めるには、山間の食堂でいただく”けいちゃん”や”とんちゃんを持ち出すのが手っ取り早い(笑)。
そして今回の旅もご多分に漏れず、岐阜県加茂郡東白川村を流れる白川沿いにある「白草」の、”けいちゃん”と”とんちゃん”を目当てに走り出すことになった。 旅を共にするH-D乗りの友人は、Street Bob 114の純正チョッパー仕様ハンドルを、低く構えるハンドルバーに換装し峠を攻める気満々の様子(笑)。 前回のツーリングでたどった、東美濃から中美濃へ中野方峠を越えるワインディングにも満足してもらえるだろう。
昼食後には、文化庁の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている、長野健木曽郡南木曽町の妻籠宿、岐阜県恵那市岩村町の岩村城下町に立ち寄り、旬を迎えた栗の甘味やお気に入りの五平餅をいただきながら帰路に着くことにした。 観光地でもある古い町並みをつなぐ帰路では、混雑する幹線国道を経由する必要があり、できる限り県道や農道などの迂回路を盛り込むことにした。
さてさて、六十にして耳順えぬ晴れふら親父、日頃は黙々と馬鹿ペースで走り続けることになりがちだが、今回は良識ある?友人との二人旅である。 果たして、馬鹿親父x良識親父の答えが、良識^2に校正されるのか、はたまた、馬鹿^2へと引き込まれてしまうのだろうか(笑)。 今回のツーリングは、友人達との旅を楽しみながら永く乗り続けるための試金石になるかもしれない。
中野方峠へ駆け上がる県道68から笠置山に振り返る
ルート概要
東海環状道豊田勘八IC-国153→中金町日影-県344-県33→豊岡-国153→新盛-県19→小渡-県11→新町(明智町)-国363→山岡町-国418→道の駅そばの郷らっせいみさと-国418 →武並橋(木曽川)-県412→河合-県68(中野方峠)→河岐トンネル北-県62→白草-県62→神土平-国256→加子母-国257(飛出山トンネル、塞の神トンネル)→田瀬-県3→坂下-国256→弥栄橋-国19→南木曽町妻籠-国256→妻籠宿(ゑびや)-国256→吾妻-県7(馬籠峠)→沖田-国19→深沢-市道-東美濃ふれあい街道→東野-県407→広岡公民館-国363→岩村城下町(あまから)-惠南ささゆり街道→上手向-国363→野志-農免道路(明智を迂回)→みんなのテラス前-国363→東海環状道せと品野IC
ツーリングレポート
久しぶりにW800 streetで早朝の街へと駆け出すと、一週間前の真夏日からタイムスリップしたような冷え込みに驚かされる。 極地の氷が融けだすドキュメントを見るにもまして、暑さ寒さが急峻に切り替わる日常に地球温暖化の影響を感じてしまう。
客観的に見ると、足並みのそろわぬ温暖化対策でオーバー・シュートは収まらず、この年寄りが生きているうちに引き戻せないところまで行き着くことになるだろう。 大袈裟では無く、バイクに乗れているうちに”かつて”の四季を心に焼き付けておきたいものである。
さて、友人と待ち合わせた東海過剰自動車道鞍ヶ池PAの駐輪場に駆け込むと、久しぶりにStreet Bob114とW800 streetの2ショットとなった。 突然だが、第二次世界大戦前のアメリカのフラットダートレースで、鉄製の重たいフェンダーなどの重たい装備をとっぱらったのがボバ―・スタイルのルーツらしい。
H-D純正のボバ―・スタイルを名乗るStreet Bobの横に並ぶと、相棒のW800streetは昭和ボバ―・スタイルと呼べるかもしれない(笑)。 そんな印象もシンプルな空冷エンジンの外観を壊さぬよう、排ガス規制や安全基準に必要なデバイスのレイアウトにこだわった、カワサキ設計者の努力の証であろう。
そんな設計者の想いを感じるW800 streetも、晴れふら親父の愛車2023年型を最後にカタログ落ちした様子である。 残念と言うよりは、欲しいものが簡単に買えない時代、造るものを絞り込まねばならぬ時代、惰性では暮らしも商売も成り立たぬ厳しい時代になったと感じるばかりである。
東海環状道鞍ヶ池PA、相棒のW800Streetと友人のStreet Bob114
友人との挨拶もそこそこに鞍ヶ池PAから東海環状道へと走り出すと、豊田勘八インターから国道153へと駆け降りた。 そして、矢作川勘八峡を抜けて足助方面へと走り続けると、里山を駆け抜ける県道344に分岐して、足助の町中を迂回することにした。 足助の香嵐渓が紅葉狩り客で賑わうにはまだ早いかもしれぬが、町中の信号で滞留する車の流れを迂回出来るだけでもありがたい。
その後さらに、国道153から県道19に分岐して小渡方面へ北上すると、矢作川に注ぐ明智川沿いを走る県道11へと走り継いで明智方面へと北上を続けた。 明智川の下ヶ渕付近は、国鉄明智線(現明知鉄道)の開通記念に植樹された紅葉の名所として知られている。 11月中旬の見頃にはまだ早いが、県道11の路側から急な冷え込みに晒されわずかに色づきだした紅葉を眺める。
明智川沿いの県道11、下ヶ淵の紅葉にわずかな色づき
明智川沿いの県道11が国道363に突き当たると、明智鉄道終点の明智駅や大正村を眺めながら町中を抜け、国道418に分岐して木曽川にむけてさらに北上を続けた。 ここまで国道153から県道19に分岐して以来、県道11、国道363、そして県道418へと里山を縫う走りごたえのあるワインディングが連続する。 H-D乗りのコンディションも気になるので、道の駅「そばの郷 らっせいみさと」に立ち寄り休憩を挟むことにした。
すると、流石に秋の行楽シーズンだけあって、道の駅の駐車場は沢山のオートバイで賑わっていた。 Tシャツに革ジャンを羽織っただけの晴れふら親父、朝の冷え込みに凍えながらの入場である。 さっそく自販機に駆け寄り暖かい缶コーヒーを探すも、夏仕様の自販機にはホット・コーヒーは仕込まれておらず、道の駅中の自販機を探し回ることとなった。
そして、やっと見つけ出した暖かいコーヒーをすすり人心地つくと...キンキンに冷えたソフトクリームを頬張りながら、友人のStreet Bob乗りの登場となった(笑)。 彼によると道の駅に立ち寄れば、どんなに凍えていてもご当地ソフトを頬張るのが慣例らしい。 そんなこだわりを実行出来るのも、彼が十分な防寒装備で走り出したおかげであろう。
凍えながら暖かい缶コーヒーをすする親父と、涼しい顔で大盛りソフトを頬張る親父のツーショットも面白いが、周りのバイク乗りから聞こえてくる缶コーヒーネタも身につまされた。 聞こえてきたのは、我々よりも年上らしき風貌のバイク乗りからの「コーヒーは飲むな」という戒めである。 会話から文脈を推し量るに、コーヒーを飲むとトイレが我慢できなくなるぞという切実な事情であった。
幸いなことに今のところは、トイレ休憩を意識にせずに黙々と走り続ける晴れふら親父である。 しかし、これからさらに齢を重ねて友人達と乗り続けるためには、道の駅などのトイレ休憩をまめに挟みながらの行程が必要不可欠になることを再認識した次第である。 尿意のばらつきを考えると、大所帯になるほど休憩の頻度が増えるのは押して知るべし。
道の駅そばの郷らっせいみさと、温かい缶コーヒーで暖を取る
休憩を終えて国道418に走り出すと、里山を縫う峠道を下り切りきって、笠置峡にかかる武並橋で木曽川を渡った。 その後は、木曽川に注ぐ中野方川沿いの県道68に分岐して、東濃恵那市から中農加茂郡白川町への境を越える中野方峠に向けて駆け上がってゆく。
中野方峠への上りが始まると、笠置山を望む緩やかな九十九折れは徐々にタイトになり、最後には落差のあるトリッキーな峠越えとなる。 それぞれに己の技量を知るバイク親父達は、気負うことなく、それぞれのペースでライディングを楽しむ。
山里の景色とともにドコドコと低速トルクを味わうのも良し、一速、二速シフトダウンして最大トルク付近でペースアップしてみるも良し、ライディングの楽しみ方の自由度が高いW800がシニア層に受けるのも分かる気がする。 友人のStreet Bobもライディングの自由度は高そうだが、排気量114cu.in.(1,868cc)のエンジンを本気で回すと、山の峠を越える前に命の峠を越えてしまいそうだが(笑)。
中野方峠への緩やかな上り、県道68から笠置山に振り返る
県道68で木曽川に注ぐ中野方川沿いを遡り中野方峠で分水嶺を越えると、飛騨川に注ぐ赤川にそって緩やかなワインディングを下って行く。 そして、県道68が国道41に合流する直前で白川沿いの県道62へと舵を切り、白川沿いに焼肉屋「白草」を探しながら東白川村方面へと走り続けた。
ちなみに、岐阜県に残る「村」は、合掌造り集落で世界遺産に登録された大野郡白川村と、今回訪れる加茂郡東白川村だけだが、地勢的にも離れた両村には全くか関係がない。 今回訪問するにあたり東白川村のことなど調べて見ると、明治の廃仏毀釈で仏教建造物のほとんどが破壊された寺が無い村、幻の珍獣ツチノコの目撃が多発するツチノコ村、等の肩書きを見つけた。
しかし、村にない寺を訪れるにもいかず、捕えられていないツチノコを見学することも叶わず(笑) 何処か立ち寄るところが無いかと思案した結果、加茂郡白川町から東白川村にはいった斜面に大きな看板をみ見つけた、「白川茶発祥の地」に立ち寄ってみることにした。
白川沿いの急峻な斜面で栽培される白川茶は、朝霧に覆われて昼夜の温度差が大きな気候により、深みのある味わいと香りが育まれ、いくつもの受賞履歴を誇っているらしい。 ってな前振りで、県道62から分岐した小路を上って行くと、荒れた小さな茶畑にたどり着いた。
少しばかり残念な荒れっぷりだが、約600年前とは栽培方法も随分と様変わりしているだろうから、こんなところから始まったという記念地としてはむしろリアルかもしれぬ。 元祖白川茶の見事な茶うねを背景に、W800とStreet Bobの記念撮影を目論んでいた親父は、茶畑から見下ろす白川沿いを走る県道62を撮影して溜飲を下げる。
そして、白川茶発祥の地から県道62に駆け降りると、ほどなく目当ての焼き肉屋「白草」にたどり着いた。
白川茶発祥の地?から白川と県道62を見下ろす
前回ツーリング立ち寄ってから久しぶりの印象が強いが、実際に過去のレポートを確認してみると実に13年振りの来店であった(驚)。 「久しぶりに白草に行ってみるか」っと思い立つのに十数年の時が流れているわけだから、知らぬ間に自分が齢を重ねたことなど気付くはずもない。
そして実際に白草を訪れて見ると、何も足さず何も引かず、晴れふら親父の記憶と寸分違わぬ姿で迎えてもらうこととなった。 昔は良かった、世の中が変わってしまったと嘆いても、実際には自分の方が変わってしまっていることが多い。 十数年の時間を挟んで何も変わっていないと感じられるのは、自分も変わらずに走り続けてきた証と思いたい、何だかそれを嬉しく感じる親父であった。
十数年ぶりに訪れた「白草」、何も変わらぬ東白川村の小さな焼肉屋
さて、白草名物のけいちゃんは、採卵を終えたひね鶏を丁寧に筋引きして使うところにこだわりである。 ひね鶏の歯ごたえが残る食感と、秘伝の味噌だれで凝縮された旨味が、他では味わえぬ白草の売りなのである。
そして今回も、名物のけいちゃんと新鮮なとんちゃんがセットになった白草定食1,320円也を注文した。 定食にはご飯と味噌汁が添えられるが、ご飯は大盛りにしておくことをお薦めする、絶対に白飯が足りなくなる(笑)
二品選べる白草定食1,320円、けいちゃんととんちゃんのツートップを選択
程なく運ばれてきた二人前の白草定食、ニンニク醤油と生姜醤油の付けダレが供される。 早速コンロで炙った鉄板で、けいちゃんととんちゃんを香ばしく焼き上げ、付け合わせの野菜とともにニンニク醤油ダレの香りを纏わせ、白飯にのせてガツガツと掻き込んでゆく。 スマホで適当に撮影した写真ではあるが、萎えぎみの親父の食欲も刺激するシズル感が十分に伝わると思う。
説明のいらぬ絵面、ニンニク醤油ダレで大盛りごはんが消える
白草でけいちゃんととんちゃんを一気に平らげると、店裏の白川の流れを眺めながら身支度を整え、県道62へと再び走り出した。 走り出しの寒さに凍えていたが、日も十分に高くなり、最高のツーリングコンディションとなった。
そして二人の親父達は帰路を相談し、岐阜県中津川市加子母経由で国道257を南下し、長野県木曽郡南木曽町の妻籠宿を目指すことにした。 お目当ては秋の旬を迎えた栗の甘味、さらに馬籠峠を越える県道7のワインディングをセットで満喫する目論見である。
そして、白川沿いの県道62を道なりに国道256へと走り継ぐと、中津川市加子母(旧加子母村)で国道257に突き当り中津川方面へ舵を切った。 その後、中津川市街が近づくごとに交通量が増える国道257から県道3に分岐して、山里を繋ぐワインディングを満喫しながら国道256へと走り継ぎ、中山道42番目の宿場妻籠宿にさしかかった。
繰り返しになるが妻籠宿では、1968年に全国に先駆けて古い町並みの保存活動が始まり、1976年には文化庁の重要伝統的建造物保存地区に初回選定されている。 さらに、2016年には妻籠宿をはじめとする木曽地域が、文化庁の「日本遺産」の認定を受けることとなった。
そんな国の文化財登録の背景として妻籠の人達は、町並みを守るために家や土地を「売らない・貸さない・こわさない」の住民憲章を定め、ここで生活しながら江戸時代の町並みを後世に残す活動を続けているのである。 時に、観光地としての経済活動と相反するであろう保存活動が、古の町並みの趣きやら穏やかな接客に繋がっているのだと共感をおぼえる親父であった。
さて、国道256沿いにある町営第二駐車場にW800とStreet Bobを預けると、二輪駐車料金として整備保存協力費200円也を支払い妻籠宿の町並みへと歩き出した。 妻籠宿保存の原点となった寺下の町並みに足を運べば、1969年に解体復元された木賃宿旧上嵯峨屋など、江戸中期の宿場の様子をそのまま伝える見どころも多い。 しかし今回は、バイク親父二人のマッタリ旅の行程も押しており、お目当ての甘味処「ゑびや」を直接訪れることにした。
妻籠宿の茶房「ゑびや」、千本格子越しに通りを眺め手作り甘味をいただく
立ち寄った「茶房 ゑびや」は、バイク親父が妻籠宿を訪れる際には必ず立ち寄るお気に入りの甘味処である。 早速、格子戸から妻籠宿の通りを眺める特等席に陣取ると、この時期しか味わえない、たっぷりの栗あんを贅沢に使った「栗餡汁粉」900円也を注文した。
猛暑による栗の不作の影響だろうか、多少の値上がり感は否めぬが、ここでしか味わえぬ椀一杯に張られた栗あんの味わいを考えるとそれも納得できる。 砂糖は控えめで栗自体の素朴な甘さと、香ばしい焼餅との組み合わせは絶品である。 最近”胸焼け”という言葉の意味が分かるようになった還暦親父も、毎度飽きることなく最後まで飲み干してしまう一品。
ゑびやの栗餡汁粉900円也、栗餡の素朴な甘みと香ばしい焼餅の完璧な組み合わせ
妻籠宿とゑびやの素朴な雰囲気に、ついつい、まったりと、くつろいでしまったバイク親父達。 日没までには帰還したいと駐車場にもどり、早速国道257から県道7に分岐して馬籠峠に向けて駆け上がって行った。
馬籠峠(標高790m)越えは旧中山道の難所の一つ、落差の大きな九十九折れはバイク親父にとってもトリッキーな峠越えとなる。 中山道42番目の妻籠宿と43番目の馬籠宿の間には9km程のハイキングコースが整備され、古の街道を歩く外国人観光客を見かけることも多い。
この日も馬籠峠に立ち寄ると、二台の日米バイクに興味津々の外国人親父と挨拶を交わすこととなった。 家族と共に旅行中のこのフランス親父、かなりお疲れのご様子で、「なぜ自分の足で歩かないのか?」と八つ当たり気味(笑)。 そういえば、海外を訪れるとトレッキング・ツアーなんぞに参加するくせに、日本の旧街道を歩くことなど無かったなぁと我が身を振り返る。 そして、「もちろん、フランスに行ったときには俺も歩く」などと笑ってごまかしながら、良い旅をと別れの挨拶を交わして峠を後にした。
ところで、妻籠と馬籠は古からから信州と美濃との国境に位置し、また豊富な木曽谷の森林資源を有するため、武田信玄、織田信長、豊臣秀吉、そして徳川家康と、代わる代わる時代の覇者に支配されてきた。 2005年に平成の大合併で、長野県木曽郡山口村の馬籠宿が岐阜県中津川市に編入され、長野県木曽郡南木曽町と岐阜県中津川市の県境となる馬籠峠が現在の国境になっている。
馬籠宿の県境越え合併の経緯は以前にも紹介したことがあるが、古の建造物や町並みをそのまま残す妻籠宿の余韻にひたりながら、相変わらず大勢の観光客で賑わう馬籠宿を横目に県道7を駆け下り、中津川市街を貫ける国道19に合流した。
中山道の難所馬籠宿(標高790m)、長野県妻籠宿と岐阜県馬籠宿の国境
現代の中山道とも言える国道19、観光、生活、そして物流を担う幹線国道の混雑ぶりは毎度のことである。 国道19を名古屋方面に走り出すと、中津川市中心部の混雑を避けるため東美濃ふれあい街道に迂回し、明知鉄道沿いを岩村に向けて南下する県道407へと走り続けた。
その後、県道407は程なく国道363に突き当り、農村景観日本一展望所の足元を抜けて岩村城下町を目指した。 この農村景観の肩書き、平成元年に環境問題が専門の大学教授が、日本一と称して話題になったとのことだが、正直なところ昭和親父の記憶に残る農村の景色と区別はつかず(笑)。 個人的には、日本の農村景観は世界一という肩書にしてほしいものである(笑)。 時間と体力が許すならば、国道363沿いにある農村景観日本一展望所に立ち寄り、のどかな風景を見渡してみるのも良さげである。 それぞれの心に残る田舎の景色を、きっと想いだすことが出来るだろう。
さて、国道363が岩村城下町にさしかかると、突き当たった国道257で明知鉄道岩村駅側に移動して一方通行の岩村町本通りに走り出した。 岩村町本町の古い町並みは、平成10年(1998)に「重要伝統的建造物群保存地区」に選定され、八百年以上続く城下町の面影を今に残している。 南木曽町の妻籠宿とおなじく、戦国時代には武田信玄と織田信長勢によって争われた場所故に、当時の古い町並みが人々の暮らしと共に残っていることに驚かされる。
そして、古い町並みに走り出すと程なく、お目当ての五平餅店「あまから 」にたどりついた。 「あまから」は恵那市大井町に本店を構える創業60年の五平餅専門店、1998年から岩村城下町の加登宇酒店前でこの岩村支店が営業している。
「重要伝統的建造物群保存地区」の岩村城下町で五平餅を頬張る
あまからの五平餅は団子型、個人的には、わらじ型よりもタレが良くからみ、香ばしく焼き上がる好みのスタイル。 そして、胡桃と胡麻のコクがたっぷり加えられた、しょうゆベースの甘辛タレは絶品、老舗五平餅専門店の実力を感じる。 まずは店先で焼き立ての五平餅120円也/本を頬張り、家族への土産を詰めてもらうことにした。 店主から、電子レンジは使うな、オーブントースターを使うと、香ばしく焼き直せると指南を受けた記憶が残る。 炭水化物の過剰摂取が気になるお年頃だが、何本でも行けちゃうんだよなぁ(笑)。
「あまから 」の五平餅120円也/本、胡麻と胡桃の香ばしいあまから醤油ダレ
妻籠宿に続いて甘味なんぞでまったりとくつろいだおかけで、日暮れまでに帰還する目論見があやしくなり、H-D乗りの友人と帰還ルートを思案することとなった。 そしてまとまったのは、東海環状道せと品野ICから名古屋方面へと帰路に着く行程である。 国道363の車列に繋がり明智の町中も抜けなければならぬが、農道の迂回路を繋ぎながら走れば滞ることなく一気に移動できるだろう。
さて、「あまから」で甘辛い五平餅を堪能すると、土産に包んでもらった五平餅をポーター・バックに詰め、一方通行の岩村町本通へと走り出した。 そして、約1.3kmの古い町並みを散歩速度で走り抜けると、再び国道363に合流して国道252へと走り継ぎ、恵那警察署岩村警部交番脇の小路に分岐して惠南ささゆり街道へと駆け出した。
里を繋ぎながら田園を駆け抜ける惠南ささゆり街道は、明知鉄道沿いの住宅街で滞る国道363を一気に迂回できる優れものである。 さらに、惠南ささゆり街道を走り終えて国道363に復帰すると、明知鉄道野志駅をすぎたところで再び農免道路に分岐し、生活車両で込み合う明智の町中を一気に迂回することにした。 山間の集落を抜けるルートだが通行車両は殆ど無く、見通しが良いところではペースアップも可能である。
その後、国道363の通行車両は徐々に減って行き、雨沢峠を越えて始まるタイトな九十九折れダウンヒルを下りきると、お互いに残りの行程の無事を願いながら挨拶を済ませ、東海環状道せと品野ICに駆け上がってそれぞれの帰路に着くこととなった。
さてさて走り終えて見ると、親父飯から甘味処まで充実した美味いもの旅になった気がする。 それにしても、日頃一人で黙々と走り続ける感覚で行程を組むと、親父の二人旅ゆえの積もる話で行程が押してしまうものである。 走るそばから紹介したい場所が目白押しになってしまうが、日帰りでこれ以上の行程を盛り込むのはやめた方がよさそうだ(笑)。
そして多少の遠回りにはなったが、タフなショートカット酷道を避けてルートを組み立てたので、Street Bob乗りにもそれなりに峠を楽しんでもらえたと思う。 しかし、純正ボバ―スタイルの売りとも言えるエイプハンドルを、峠道優先のフラットハンドルに換装する潔さは見習いたい。 相棒の井出達の方向性は今だ定まらぬが、W800 streetの昭和ボバ―スタイルを壊さぬよう、峠を駆けるための勘所を押さえながら手を入れて行きたいものである。
ところで、性能限界を抑えた昭和レトロな相棒に乗り代え、低速域の乗り味なんぞを覚えた晴れふら親父ではある。 とは言っても、ず~っとそのペースで収まるはずもなく、食指が動く峠では馬鹿な勢いで飛び出すことになる(笑)。 しかし、経験豊富なH-D乗りは慌てず騒がず己のライディングを満喫し、分かりにくい分岐前で合流しながら先を目指すこととなった。
このスタイルでお互いのライディングを満喫できれば、年齢や趣向が異なる友人達とも永く旅を楽しむことが出来るかもしれない。 そう割り切ってしまえば、馬鹿っ速いSS乗りの親父達とも気兼ねなく走り出せそうだが、いずれ皆、身体を折りたたんだ長旅は辛いお年頃になることだろう(笑)。
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