2022/07/09 (2/2日目) 国道標高一位、渋峠を越えて渋温泉(鬼押しハイウェー、万座ハイウェー、歴史の宿金具屋)



 信州の峠越えを北へ繋ぐ一泊ツーリングの二日目を迎えた。 初日に国道標高二位の麦草峠を越えて宿泊した軽井沢から、鬼押しハイウェー、万座ハイウェーを北上し、さらに国道標高一位の渋峠を越えて渋温泉へ駆け降りるつもりである。 可能な限り信州の峠を北へ繋いで上信越自動車道へと折り返し、長野自動車道、中央道を南へ繋いで一気に名古屋方面へと帰還する算段なのだ。

 また今回は、還暦の峠を越えた晴れふら親父が、若手を名乗れる会社OB達とのツーリング(笑)。 そして軽井沢で宿泊した宿は、カワサキUKチーム監督としてカワサキをWGP制覇に導いたケン鈴木さんが、カワサキのWGP撤退を見届けて1984年に開業したペンション・シルバーストーン。 先輩達がツーリングを通じて、ケンさんとの交流を長く続けてきた宿である。 

 身近な会社OBから元WGP監督まで、オートバイが縁で知り合えた先輩たちの生き様は、自分の仕事や人生との向き合い方を立ち止まって考えるきっかけとなる。 仕事やツーリングの仲間との他愛ない思い出話や家族と過ごす近況の中に、色々なヒントが見え隠れするのだ。 特に今回は、コロナ禍でツーリングが中断している間に定年の節目を迎え、そこで下した決断や現在の自分を振り返る旅となった。 

 心配なのはお天気、初日の雨予報が二日目にずれ込んだこの日、宿から名古屋方面へ折り返すツーリング本隊と別れ、さらに北の峠越えへと進路をとる晴れふら親父である。 雨に降られれば、ライディングも絶景も台無しとなり辛いばかりの峠越えルート、己が下した判断と引きの強さを信じて走り出すことにする。


シルバーストーンの朝、ベッドルームの窓を開けると...尽きぬKawasaki愛


ルート概要


ペンションシルバーストーン-しなの鉄道踏切→軽井沢中学校前-国18→中軽井沢-国146→峰の茶屋-鬼押しハイウェー→笹平-国144→三原大橋-県59→三原-万座ハイウェー→万座温泉-県466-国292(渋峠)→渋温泉(金具屋)-国292→吉田・新井入り口-志賀中野有料道路→信州中野IC-上信越自動車道→更植JCT-長野自動車道→岡谷JCT-中央道→飯田山本IC


ツーリングレポート


 晴天を祈りながら眠りについたシルバーストーンの朝、お天道様にその願いが通じたのか、避暑地の爽やかな日差しと共に目覚めることとなった。 残念ながら、これから駆け上がる浅間山方面の空は雲に覆われているが、ドライコンディションに走り出せるだけでもありがたい。 昨夜、久しぶりの再会で近況を交わしたツーリング・メンバーは、朝食を挟んで思い思いに身支度を整え、ケンさん夫婦の見送りを受けながら軽井沢の街へと走り出した。 

 そして程なく、名古屋方面へ折り返すメンバー達と走りながらの挨拶を済ませ、しなの鉄道中軽井沢駅前から国道146へと独り駆け上がっていくことにした。 しばらくは、リゾートホテルやペンションが立ち並ぶ避暑地の景色が続くが、徐々にそれもまばらになり林間の峠道へ変わって行く。

 その後、左右に大きく弧を描く上りコーナーが長く続き、徐々にバンク角を深くしながら重心を落とし込んでゆく。 通行車両は多いが上り車線は複線化されており、遅い先行車にストレスを感じることは無いだろう。 スリップダウンを避けるために、タイヤの接地感を感じながら慎重なアクセルワークを心掛けたいところである。

 そしていよいよ、峰の茶屋にさしかかり鬼押しハイウェーへ分岐すると、峰の茶屋~鬼押出し区間の自動二輪通行料150円を支払い、浅間山の麓へと走り出す。 125cc以下の二輪車の通行は禁止されているので注意が必要。

 ETC利用が日常になった現在、懐から小銭を取り出しレシートをもらう作業が煩わしいが、後に続く車両も見当たらず焦ることなく観光ワインディングにへと走り出す。 さらにもう一か所、鬼押出し料金所で、鬼押出し~三原区間の250円を支払う必要がある。 

 さて、浅間山の麓を走る鬼押ハイウェーは、長野県軽井沢町と群馬県嬬恋村三原を結ぶ全長約16kmの有料観光道路で、プリンスホテルにより運営管理されている。 鬼押しハイウェーに走り出して直ぐに長野から群馬の県境を越え、渋峠を越えて再び長野に復帰するまでは群馬県を北上することになる。

 国道146の大きく弧を描く峠道で十分に標高を稼いだため、鬼押しハイウェーに駆け出した後は浅間山(標高2,568m)の裾を駆け抜ける緩やかな快走路が続いている。 路側に続く林は徐々にまばらとなり、休業中の浅間六里ヶ原休憩所付近にさしかかると、麓から浅間山山頂へと続く活火山らしい剥き出しの山肌を見上げることが出来る...はずである。

 

浅間山の麓を真っすぐに駆け抜ける鬼押しハイウェー


 しかしこの日、残念ながら浅間山は低い雲に覆われ、何度も噴火を繰り返して形成された円錐形の裾野の先に、標高2,568mの山頂を見上げることは叶わず。 しかし贅沢はいうまい、景色を遮る雲が水分を蓄えてくれるおかげで、真夏の日差しに焼かれることも無く乾いた路面のライディングを満喫できる...と考えることにしよう。 とりあえず、Googleマップで晴天の路側から見上げた浅間山稜線を映し、灰色の雲に遮られた景色を妄想しながら溜飲を下げる(笑)。


低い雲に覆われた浅間山、標高2,568mの山頂は望めず


 

 雲で覆われた浅間山の麓を駆け抜ける直線道路を走り続けると、1783年(天明3年)の浅間山噴火で噴出した溶岩が積み重なる”鬼押出し”につきあたった。 実際のところ、火口で鬼が暴れて押し出されてような奇怪な形をした溶岩が、突然目の前に現れるとギョッとさせられる。 鬼押出しを散策できる鬼押出し園が営業しており、園内には噴火の犠牲者を供養する浅間山観音堂も建立されている。

 残念ながら、渋峠越えの空模様ばかりが気になる今回は、1951 年(昭和26 年)に開業した鬼押出し園で、どこか懐かしい昭和観光?を楽しむのはまたの機会とした。 鬼押出しを過ぎると緩やかな林間のワインディングとなり、利根川の支流吾妻川が流れる吾妻谷に向けて下って行く。


1783年(天明3年)の浅間山噴火で噴出した鬼押出しの溶岩群


 鬼押ハイウェーを走り終えて国道144に突き当たると、JR吾妻線万座・鹿沢口駅前から県道59に分岐し、さらに草津白根山の西側山麓を走る万座ハイウェーへと駆け上がる。 万座ハイウェーは、群馬県嬬恋村と万座温泉を南北に結ぶ全長約20km観光道路で、鬼押ハイウェーとおなじくプリンスホテルによって運営管理されている。 自動二輪(125cc超)の通行料金は750円、125cc以下の二輪通行は禁止されている。

 ここで草津白根山とは、南北につながる本白根山(標高1,171m)、逢ノ峰(標高2,110m)、白根山(標高2,160m)の総称である。 白根山の噴火警報レベルが上がると、隣接する国道292(志賀-草津)では二輪通行が規制されることが多く、万座ハイウェーが唯一の志賀方面ルートとなる。

 以前、二輪通行止めの国道292を万座ハイウェーに迂回しようとした小型二輪乗りが、進路を断たれ途方に暮れる様を目にしたことがあり、事前に白根山の噴火警報レベルを確認してルート設定した方が無難である。


万座ハイウェー三原料金所、後続車両も無く落ち着いて二輪料金750円をお支払い


 万座ハイウエーへと駆け上がり三原料金所で通行料金を支払うと、さらに草津白根山西側の嬬恋高原を貫けながら、標高1,800mまで約1,000mの高低差を駆け上がって行く。 嬬恋高原まではナラや紅葉などの広葉樹、さらにカラ松やモミ等の針葉樹、その後白樺やタケカンバ等の林間となり、硫黄のかおりが漂う万座温泉にたどり着く。

 国道292へと迂回する観光車両が殆どなのか、料金所を越えて万座温泉にたどり着くまで通行車両は無く、標高を稼ぐにつれて表情を変える林間ワインディングを贅沢に独り占めさせてもらう。 残念ながら、路側の木々に遮られた視界は完全には開けず、有料道路らしく良く整備された路面でライディングに集中することにした。

嬬恋高原の林間ワインディングで標高差1,000mを駆け上がる



 万座ハイウェーを万座温泉まで走りきると、厚生省が万座・草津地域の自然情報発信のために開設した「万座しぜん情報館」に立ち寄りトイレ休憩を済ませた。 そして、道なりに県道466のタフな九十九折れへと駆け上がり、渋峠へと続く国道299に合流した。


万座温泉から国道292へ、県道466のタフな九十九折れを駆け上がる


 国道292に駆け上がり渋峠に向け走り出すと、満を持して、ZX-6Rを停めた路側から後方に振り返る。 この景色が見たくて、ツーリング本隊と別れて渋峠越えのルートを北上することにしたと言っても過言ではない。

 そして期待通り、善光寺平こと長野盆地の先に北アルプス(飛騨山脈)の稜線が繋がる絶景に言葉を失うこととなった。 頭の中でこんがらがっていたややこしいことが吹き飛んで、文字通り何も言えなくなった。 雲がかかる稜線は多少ぼやけてはいるが些細な事、迷える還暦親父にこの神々しい景色を見せるため、溜めこんだ雨を我慢してくれたお天道様に感謝する。


国道292から北アルプスの山並みに振り返る、毎度言葉を失う絶景


 北アルプスの絶景に後ろ髪を引かれながらも走り出し、渋峠南側展望駐車場(標高2,119m)から白根山山頂(標高2,160m)に振り返る。 草木も無く荒涼とした白根山火砕丘頂部には、水釜、湯釜、涸釜(かれがま)の3火口湖が存在するが、噴火警戒警報レベル1の現在でも500m以内の立ち入りが禁止されている。

 労せずして、白根山の湯釜を覗き込みたかったのだが、標高が足りぬ展望駐車場からはそれも叶わなかった。 いつものように、「山は遠くから眺めるのが一番」と開き直りたい高所恐怖症親父だが、本当の絶景は己の足で登り詰めた方々のモノのようだ(笑)。


渋峠南側展望駐車場から、荒涼とした白根山山頂に振り返る


 渋峠南側展望駐車場から再び国道292に走り出すと、程なく「日本国道最高地点2,172m」の記念石碑が立つ渋峠にたどり着いた。 さすがに日本一の称号を持つだけあって、石碑周辺はオートバイに限らず大勢の自転車や四輪乗りで溢れている。 さすがに記念撮影待ちの列に並ぶ気にはなれず、以前撮影した写真を掲載させていただくことにした。

 ところで、有料道路として1965年に開通した志賀草津道路(有料道路)が、無料開放されて国道292に組み込まれたのは1992年である。 それにより、昨日越えた麦草峠は国道標高二位の座に甘んじた訳だが、その扱いに何の違いがあるかと言われると...渋峠の石碑の方が麦草峠の看板よりも立派なぐらいか(笑)。


渋峠にある日本国道最高地点標高2,178mの記念石碑(2018年5月撮影)


 白根山から渋峠を越えて横手山(標高2,307m)へと走り続けると、北アルプスの右手北側から戸隠連峰の稜線が見えてくる。 渋峠で群馬から長野への県境をまたぎ、そして長野と新潟に跨る戸隠連峰の稜線を望む、その地球規模の空間をイメージしながら景観を楽しめるのも山岳ツーリングの醍醐味ではなかろうか。

 さらに、横根山西側の急斜面に巻き付くような国道292を走ると、広大な志賀高原のスキーリゾートへと駆け降りて行く。 走りごたえのあるワインディングであるが、徐々に観光車両の通行が目立つようになり、駐車場から出入りする車も増えるので、二日間にわたる信州縦断の旅を安全に締めくくると割り切って、肩の力を抜きながらゆっくりとクールダウン。

横根山西麓の急斜面に貼りつく国道292、前方右手に戸隠連峰の稜線


 深い夏の緑に覆われたスキー場を見上げながら志賀高原を下りきると、渋温泉街に分岐して歴史の宿金具屋に立ち寄ることにした。 残念ながら今回宿泊は叶わなかったが、昭和初期の風情を今に伝える登録有形文化財斉月楼は一見の価値がある。 個人的には、映画「千と千尋の神隠し」に登場する八百万の神の温泉宿、油屋にしか見えない(笑)。

 木造四階建ての斉月楼の客室は、それぞれ独立した家屋に見立てられ、玄関、土間、框、次の間、本間、縁側がつくられている。 そのため、楼閣に客室は七室という贅沢な造りで料金もそれなりだが、友人達との宿泊ツーリングでシェアしたいところ。

  

渋温泉の歴史の宿金具屋、登録有形文化財斉月楼(2018年5月撮影)


 さて、昭和十一年に完成した金具屋斉月楼、大正から昭和にかけて鉄道網が完成し、都会から大勢の観光客が押し寄せると踏んだ六代目西山平四郎氏が建てたもの。 従来の地元の湯治場を絢爛豪華な観光旅館にしようと思いたったのが始まりとのこと。 宮大工の棟梁と一緒に日本全国をまわり、面白いと思った建築様式や装飾を全て取り入れて完成させた、遊び心満載の温泉宿なのである。

 宿泊客向けには、こだわりの宿を解説してくれる「金具屋文化財めぐり」が無料開催されている。 旅館の中に色々な様式の家屋を創るという発想も面白いが、使い込まれた水車小屋の歯車をそのまま装飾に使ったり、富士に見立てた飾り窓を照らす満月の照明、大浴場の通路には玉砂利が敷かれ藍に塗られた漆喰天井、夜空の出店を表現した通路にはノスタルジーさえ感じる。 今も色あせぬ気取らぬ発想の豊かさには驚かされるばかり。

 また肝心の温泉に関しては、金具屋には三つの大浴場(鎌倉の湯、浪漫風呂、龍瑞露天風呂)と、無料で利用できる五つの貸切風呂(和予の湯、美妙の湯、恵和の湯、子安の湯、岩窟の湯)、合計八つの内湯があり全て源泉100%かけ無しの火山性高温泉。 金具屋が所有する四か所の源泉を使い分けているので、泉質の違いを感じながら入り比べてみるのも良さげである。 チェックインからチェックアウトまで、一泊で全湯制覇するにはかなりの意気込みが必要かもしれぬ(笑)。


趣向を凝らした昭和初期の風情と、一泊で回りきるのは難しい内湯(1018年5月撮影)


 渋温泉を後にすると国道292に復帰して道なりに走り続け、上信越自動車道信州中野ICに連絡する志賀中野有料道路へ走り継いだ。 志賀中野有料道路は、鬼押ハイウエーや万座ハイウェーと同じくETCが使えず支払いが面倒だが、最後までかっての観光ツーリング気分を味わえるとしておこう(笑)。 ちなみに現在の通行料金は、利用促進キャンペーンのため全車一律100円に割引中。

 志賀中野有料道路を走り終えて料金所脇の駐車場で水分補強とトイレ休憩を済ませると、ZX-6Rの燃料を補給して上信越自動車道信州中野ICに駆け上がった。 予定通りここで信州北上の旅を折り返し、上信越自動車道、長野自動車道、中央道へと走り継ぎ、名古屋方面への帰路に着く。

 そして、上信越自動車道を更埴JCTまで南下して長野自動車道に分岐すると、駆け抜けてきた善光寺平を一望できる姥捨SA(上り)に立ち寄り、二日間の旅を締めくくることにした。 


長野自動車道姥捨SA(上り)に立ち寄り、旅してきた善光寺平に振り返る


 姨捨SA(上り)の駐輪場にZX-6Rを停めると、身支度もそこそこにマスクを着け展望公園へと歩いた。 すると徐々に、足元のリンゴ畑の先に善光寺平(長野盆地)の大パノラマが広がってきた。

 右手前方には渋峠から駆け降りた志賀高原、左手には渋峠越えから稜線を望んだ戸隠連峰、そして、犀川が千曲川に合流する善光寺平のほぼ全域が、武田信玄と上杉謙信による川中島の戦いの戦場である。 その景色を眺めていると、川中島の合戦の痕跡を探しながら、さらにその先の越後へと駆け上がる旅のイメージが沸き上がってくる。

 そして、今回の旅を折り返した北信州の景色を眺めていると、二日間にわたり越えてきた峠のこと、久しぶりに再会した先輩達の生き様、さらに、二年前に突然のガン宣告を受けて迎えた定年の節目のことなど...旅を終えて帰路に着く安心感からなのか、我が身に起こった様々なことまで頭に浮かんできた。

 あーすればよかった、こーすればよかったと思い悩んでもどうしようもない。 諸行無常の世を見極めて軌道修正することは必要だが、現状を受け入れて俯瞰した自分の判断を信じて進むだけである。 雨模様の予報にもかかわらず、独り、日本一、ニ位の峠越えを目論むツーリングをみれば、どんな生き様を示そうとしているのか推して知るべし(笑)


姥捨SA(上り)展望公園から善光寺平の眺め、右手前方が旅を折り返した志賀高原


 姨捨SAの善光寺平の景色で旅を振り返ると、後は長野道から中央道へ走り継いで一気に帰還するだけである。 下り坂の天気予報とともに走り出した渋峠越えの行程だったが、幸いにも、雨に降られる事なく乾いたワインディングを満喫することとなった...かっ、そう都合よく最後まで物事が進まぬのが世の中である。

 中央度に分岐してSAで昼食休憩を取りながら順調に走り続けるも、何の前触れも無く突然に、先行車も見えぬほどのゲリラ豪雨に見舞われることとなった(泣)。 一度走りだしてしまえば次のSAまで雨宿りも叶わず、頭上で鳴り出した雷に怯えながら、水上バイクのようなライディングで走り続ける。

 まるで、これからの人生を暗示しているような旅の終わり(笑)。 しかしゲリラ豪雨も程なく上がり、立ち寄ったSAは濡れネズミのバイク親父だらけ、恨めしく笑いながら雨水が溜まったブーツを逆さにする。 永遠に降り続ける雨など無い、ぶれずに走り続ければ目指す場所にたどり着ける、これもまたお天道様からの啓示なのである。


あとがき


 コロナ禍で途絶えていた先輩達とのツーリングへの復帰は、中断中の我が身の出来事を思い返す感慨深い旅となった。 定年後の暮らしを満喫する先輩達の話に触れ、ガンを告知され迎えた定年退職やそこで下した己の判断など、様々なことを思い返す旅になったのだ。

 きわめて個人的な話になってしまうが、あとがきとして、還暦バイク親父の定年退職にまつわるジタバタぶりをお伝えしてみたい。 退職後の生き方はそれぞれで正解など無いが、共感できること出来ないことをひっくるめて、充実したセカンド・ライフを手に入れるためのケース・スタディになれば幸いである。 仕事に関する曖昧な表現や業界方言もまじり、分かりにくいところはご容赦いただきたい。


思い描いていた定年退職

 老いてなおオートバイに乗り続ける先輩や友人達から学ぶことは多い。 お衰えぬ創造へのこだわりと自信、共感する仲間や家族との思い出に対する愛おしみ、現状を受け入れて示せる毅然とした態度など、フランクルが示してくれた生きる意味の身近なケーススタディに触れることが出来るのだ。

 我が身を振り返ってみると、2020年の10月に還暦となり、めでたくリーマン稼業の定年を迎えることとなった。 エンジニアとしてのキャリアを振り返ってみると、デバイス研究から電子回路、ソフトウエア、システム、終いにはマーケティングにまで手を出してきた。 自分で創造した技術の種を、世界中の人たちに貢献できる価値に育て上げ、届けるプロセスを十分に楽しめたと思う。

 年を追うごとに、付加価値の高い上流へとシフトしていった己のキャリアが、日本のモノづくり産業の衰退を表しているようで感慨深い。 色々手を出したかったわけでは無く、それをやらないと事業にできなかった結果である。

 小学校の卒業文集で掲げた夢をそれなりにやりきった感もあり、次の60~75歳のステージでは、卒業文集に掲げたもう一つの夢を実現するプロセスを、ゆっくりと楽しむつもりだった...がっ、その直前に受けた突然のガン宣告。 それを理由に人生観が変わるようなことは無かったが、これまで以上にあることを意識するようになった。


湧き上がってきた新たな想い

 諸行無常の世の中、いつ何時人生を終えることになるとも限らない。 ましてや、没頭していることをいつまで続けられるかなど誰にも分からないが、先輩たちの様に10年、20年、30年後になっても夢中になった仕事や仲間との思い出を熱く語れるように、”人生の密度”を高めて行くことは可能だと思う。 実際にガンを宣告を受けてみると、その”人生の密度”を以前にも増して強く意識するようになったのである。

 その結果、セカン・ドキャリアを楽しむのはまだ早すぎると思った。 仕事に没頭する自分を支えてくれてきた家族にも相談し、定年前にやり残していた構想をもう一度立ち上げ直し、60~65歳の5年間でやりきると腹をくくくることにした。

 これからやることばかりでななく、これまで没頭してきた仕事の密度を遡って高めたくなったのである。 丁度定年を迎えた年から、労働生産性改善を柱にした働き方改革が始まり、新たな思いの実現に必要な仕事の肩書きや対価が得やすくなった側面もある。

 ところで、完全に引退してバイク道楽などに浸りきることも可能なのだが、不思議なことにそんな思考は全く湧いてこなかった。 自分にとってオートバイはメンタリティの高い道楽であり、仕事やボランティアなどで提供する創造価値との両輪で、それぞれを補い高め合えるものなのである。


定年退職から再雇用まで、そして伝えたいこと

 やりたいことが決まってしまえば、自分の企画やプレゼンスを商品に見立てて、売り込みむためのマーケティングプロセスを踏むことになる。 人生の密度を高める個人的な大義は、会社にとっても生産性向上につながるという信念を持って臨んだ。
 まずは、組織管理の責任や業務を排除し限られた時間を目的に特化するため、かつ縦割れの組織全体に網をかけ人材と知恵を活用するため、トップ直轄の5年プロジェクトを企画し成果をコミットした。 軽井沢で老舗ホテルの痕跡を見かけた、星野リゾートのビジネスモデルのようにも聞こえるがパクリでは無い(笑)。 実際には、毎年の計画でリソーセスやメンバーからの共感を取り付けながら、還暦親父の経験と瞬発力を発揮してゆかねばならぬことになる。

 結果的には、還暦親父の想いが会社に通じたのか、再雇用に合わせて構想通りのプロジェクトを起動する運びとなり、必要な肩書と納得する対価も手に入れることとなった。 元々は当てにしていなかった対価は自分への共感のバロメータ、舵の切り直しでスタートが5年遅れたセカンドキャリアの授業料にでも充てることにする。

 皮肉なことに、これまで海外で仕事をする機会が多く、羨ましく思っていた欧米人の働き方を、再雇用の身になって手に入れることが出来たことになる。 さらに、コロナ禍の影響で勤務形態に関する裁量がここまで高まるとも思ってはいなかった。

 アドラー心理学にも共通する、高いキャリア意識やメリハリの効いた時間の使い方、上司や会社とのフェアな成果報酬や雇用交渉等々...日本の労働生産性の低さは、国や会社からあてがわれる労働環境の要因もあるが、個人々々の意識の違いによるところが大きいと実感している。

 最後になってしまったが、告知されたガンを治療できねば、どんな還暦キャリアの目論見も獲らぬ狸の皮算用。 自分の場合、幸いにもステージⅠの早期発見だったこともあり、プロジェクトの準備と並行して受けた陽子線治療の経過も順調である。

 家族や仲間との思い出を傍らに人生の密度を上げてゆくことは、誰にでも必ず訪れる死を毅然と受け入れる唯一の方法だと信じている。 また、ガンの告知は誰にも起こり得ることで、それ自体にあわてるべきでは無いが、治療の選択肢、ひいては人生の選択肢を増やすために、早期発見につながる定期検診を受けることをお薦めする。



ツーリング情報


鬼押・万座ハイウェー  群馬県吾妻郡嬬恋村鎌原711-1 (電話)0279-97-3123


鬼押出し園  群馬県吾妻郡嬬恋村鎌原1053 (電話) 0279-86-4141


歴史の宿金具屋  長野県下高井郡山ノ内町平穏2202 (電話)0269-33-3131


長野自動車道姨捨SA(上り)  長野県千曲市大字八幡字柳田7340 (電話)026-274-2981



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