2022/2/28 武豊線と醸造の歴史をたどる旅(亀崎駅駅舎、半田駅跨線橋、旧武豊港駅転車台、半田赤レンガ建物、半田運河、傳右衛門、山喜うどん、いわし料理円芯)



 東海道本線大府駅から分岐し武豊駅までの全10駅を結ぶ武豊線は、1886(明治19)年に開通した愛知県初となる鉄道である。 元々は、東京~京都間を中山道ルートで結ぶ鉄道の建設資材を、武豊港から熱田まで運ぶために敷設された路線だが、1889(明治22)年に中山道からルート変更された東海道本線が開通し、大府駅からの支線として現在も旅客運行を続けている。

 2022年現在、開通から136年の時が流れる間、1970(昭和45)年には蒸気機関車がディーゼル車になり、2015(平成27)年には全線電化された。 それでも、当時の様子を今に伝える駅舎や跨線橋などが現役施設として残されてきたが、その一つ国内最古と言われた半田駅の跨線橋が昨年6月に現役を終えることとなった。 その理由となった半田駅の高架化工事は既に始まっているが、跨線橋の文化財としての保存が検討されているらしく、今もまだ仮説駅舎の脇に立ち続けているらしい。

 観光客向けの景観よりも、地元の利便性が優先されるのは仕方ないことである。 しかし、その景観を見ながら育った人達は複雑な気持ちだろう。 九州福岡の田舎町で育った昭和親父ではあるが、自分の想い出を削り取られるような感覚は想像できる。 永く故郷を離れて暮らす身の上、しばらくぶりの帰省で、全く変わってしまった故郷の景色に遭遇した時の喪失感には言葉を失う。 できることと言えば、懐かしい景色が消えてゆくプロセスを見届け、思い出と現実を紐づけしておくことくらいかもしれぬ。 

 そして今回、現役を終えた跨線橋が姿を消す前に武豊線の文化財を巡るツーリングに走りだすことにした。 鉄道には疎いバイク親父だが、これまでも度々訪れていた武豊線の景色を、バイク旅の思い出として刻み直しておくことにしよう。 故郷福岡で生まれ育ち四半世紀、愛知で生業を得て四半世紀、さらに次の四半世紀半ば、地元愛知の懐かしい景色が消える喪失感は他人事ではなくなった。

 また武豊線沿線の半田や武豊は、江戸時代から現代まで、酒や酢、そして味噌などの醸造業が盛んな土地柄である。 醸造に適した水や気候に加え、武豊線と同じく商品や原材料の海運に有利な立地が、その発展に寄与してきた背景がある。

 半田では食酢の全国シェア6割を誇るミツカンが創業し、粕酢を積みだした半田運河には黒壁の醸造蔵が並び、創業当時の雰囲気を伝えている。 また武豊は、関東の銚子、関西の龍野と並ぶ三大醸郷と言われ、現在も味噌・たまり蔵の黒板壁が続く趣ある小路が残っている。 今回の旅では、そんな江戸時代から続く醸造蔵が残る路地を、オートバイで巡ってみることにした。 きっと、バイク旅ゆえに五感で感じることができる、醸郷の雰囲気があるだろう。

 そして旅の終わりには、知多半島中央の丘陵を南北に走る知多広域農道に折り返し、大府にあるJAあぐりタウン「げんきの郷」に立ち寄り、武豊の味噌で購入した豆味噌とたまりを合わせる尾張知多の食材を仕入れ帰路に着くことにした。 「醸造の歴史」などと大上段のタイトルだが、博物館等を巡ってお勉強するよりも、味わってみるのが手っ取りばやい(笑)。 

半田運河の醸造蔵黒壁、ミツカンと相棒ZX-6Rのツーショット




ルート概要


国道23バイパス(名四国道)有松IC-国366→名高山-県253(山喜うどん)→JR大府駅前-市道→中央町七丁目-国155(大府跨線橋)→大府森岡-県252-(健康の森公園口)-(健康の森公園北)→高丘町二丁目-農免道路-(鰻池)→阿久比旭台-県46→亀崎北浦-国366→亀崎相生-県260→亀崎駅-(高根橋)-市道→平地町-県464→美原町-県261→乙川薬師町-市道→住吉橋東-県265→沢田モータース-市道→(住吉稲荷社)→半田赤レンガ建物-国247→住吉町5-県263→半田駅北側踏切-市道→半田駅,いわし料理円芯,半田運河-県265→瑞穂町東-県52→武豊港駅転車台跡,まちの駅「味の蔵たけとよ」,傳右衛門(伊藤商店)-国247→金下-県72-(武豊駅)→(南知多道路武豊IC)→南原-知多広域農道味覚の道→東渕馬-知多広域農道知多満作道→深田脇-市道→梅が丘二丁目-市道→佐布里緑と花のふれあい公園-市道→侍池東(直進)-市道-県24→緒川新田-県24→知多半島道路東浦知多IC-県23→鰻池-農免道路→高丘町二丁目-県252→健康の森公園北-県23→JAあぐりタウンげんきの郷-県23→半月町一丁目東-国155-知多半島道路大府東海IC


ツーリングレポート


 国道23バイパスに乗って名古屋市街を抜けると、有松インターから国道366に駆け降り、武豊線沿線を巡る旅の起点大府市に入った。 大府市は、境川を三河との境界にする尾張地方の東端、伊勢湾と三河湾に突き出た知多半島の北端に位置し、JR大府駅は東海道本線から分岐する武豊線の始発駅でもある。

 その後、女子レスリングで金メダルを量産する志学館大学前まで走ると、JR大府駅に突き当たる県道253へと分岐した。 そして、早速立ち寄ったのは山喜うどん、筑紫平野で生まれ育った九州親父の琴線にふれるうどん屋である。 太麺でコシのある讃岐うどん店がチェーン展開する昨今、柔らかく張りのある食感の麺が、故郷福岡を思い出させてくれるのだ。


東海道本線から武豊線が分岐する大府、旅の始まりに立ち寄った山喜うどん


 開店して間もない昭和な雰囲気が残る店内に入ると、味噌うどん480円と天ぷら120円也を注文した。 ”味噌煮込みうどん”では無く、”味噌うどん”ってのが味噌(笑)。 故郷の定番、甘口醤油の透き通ったツユは豆味噌のコクのあるツユに、さらにごぼう天は玉ねぎ天に変わっているが、福岡と愛知のハーフ&ハーフ親父に相応しい取り合わせである。

 今回は、尾張知多の味噌蔵を巡る旅の始まりらしく味噌うどんをいただいたが、鰹だしが効いた濃い目のうどんツユもクセになる味わいである。 製麺屋が営むうどん屋らしく、うどんの他、きしめん、そば、そして中華そばと、自家製麺とツユのバリエーションが揃っている。

 中毒性のあるうどんに何度も訪れる気の置けぬ店だが、以前のお値打ち感は失われた気がする。 いまだ収束せぬコロナ禍やロシアのウクライナ侵攻で物不足の真っ只中、多少の値上げは致し方あるまい。

 


 故郷福岡を思い出す柔らか麺と尾張知多の豆味噌ツユのコラボレーション


 啓蟄を間近に控え、日中の日差しは随分暖かくなってきたが、朝の冷え込みはまだまだ厳しい。 山喜うどんで温かい朝食を手早くすすり暖を取ると、大府駅前まで移動して国道155に乗り換え、大府跨線橋で東海道本線を越えた。 ZX-6Rを跨線橋の路肩に停めて見下ろすと、東海道本線上下線の間に敷かれた武豊線が、東海道本線下り線を跨ぎ武豊方面へと続いている。


大府跨線橋から東海道本線下り線をまたぎ分岐する武豊線を見下ろす


 できれば、武豊線沿いのルートにこだわりたいところだが、今回は沿線道路の混雑を避ける農免道路に迂回することにした。 武豊線分岐を見下ろした大府跨線橋から国道155を道なりに進み、愛知健康の森公園の脇を抜ける県道252へと分岐し、大府市から阿久比町へ東浦町を貫けて南下する農免道路へと駆け出した。 農免道路の距離は短いが、街中を巡る観光ツーリングゆえに、ライディングらしきものを楽しめる貴重なワインディングとなる。


混雑する武豊線沿いを避け農免道路を南下する


 農免道路で東浦町を貫け阿久比町に入ると、突きあたった県道46で衣浦港方面へと舵を切り、いよいよ目的地の半田市内に入った。 さらに程なく再会した武豊線の陸橋をくぐり、沿線を走る国道366で亀崎駅へと南下することにした。

 そしてたどり着いたのは、武豊線開通当時からそのままの姿で現役を続ける亀崎駅駅舎である。 日本最古と言われる赤茶色の木造駅舎や木製看板は、武豊線の歴史資料でみる当時の外観そのものだ。 良く手入れされた駅舎は思ったよりも新しく感じるが、駅舎の壁にある「明治19年1月」と記された建物財産標が日本最古の証である。


JR武豊線亀崎駅、1886(明治19)年開通当時の現役駅舎は日本最古


 亀崎駅を後にして駅北側の高根橋で武豊線を越えると、県道と市道を繋いだ住宅街を走り、半田赤レンガ建物にたどり着いた。 この半田赤レンガ建物は、現ミツカンの前身中埜酢店の4代目中野又左衛門が、1898(明治31)年に建造したカブトビールの醸造工場である。

 設計は、横浜正金銀行本店(現・神奈川県立歴史博物館)や横浜新港埠頭倉庫(現・横浜赤レンガ倉庫)なども手掛けた妻木頼黄によるもので、現代では珍しい中空構造を持つ複壁や多重アーチ床など、ビール工場の安定した温度や湿度を保つための構造が今も残っている。 明治時代の大規模なレンガ建造物であり、さらに現存が珍しいビール工場の遺構は、2004(平成16)年に国の登録有形文化財に登録され、2009(平成21)年には近代化産業遺産に指定されている。

 赤レンガ建物を建造したカブトビールは、2年後の1900(明治33)年にはパリ万国博覧会で金牌を受賞し、東海地方で最大のシェアを誇るまでになった。 しかしその後の業界再編で、1933(昭和8)年に大日本麦酒株式会社と合併し、第二次世界大戦で旧カブトビールの工場は閉鎖されることとなった。

 戦時中、中島飛行機製作所の衣糧倉庫として使用されていた半田赤レンガ建物は、1945(昭和20)年に硫黄島から出撃したP51による攻撃を受け、建物北側の壁面には今もその時の機銃掃射跡が生々しく残っている。 

 現在は、敷地と建物を買い取った半田市が大規模な保存・補修工事を実施し、2015(平成27年)から半田赤レンガ建物として一般公開されている。

 上述した、レンガ造りの醸造工場の特徴的な遺構は無料見学できるが、さらに200円の入場料を支払えば、半田赤レンガ建物やカブトビールの歴史を紹介する常設展示室も見学できる。 また、当時の資料を参考に濃厚な下面発酵ビールを再現した、復刻版カブトビールや地元グッズを購入できるショップやカフェも併設されている。 コロナ禍の影響でカフェでのビール提供はお休み中、まあツーリングの道中に立ち寄った親父には関係ないことだが。


半田赤レンガ建物、1898(明治31)年に建造されたカブトビールの醸造工場


ビール醸造に必要な安定した温度と湿度を保つための中空構造の複壁


半田赤レンガ建物北側の壁面に生々しく残るP51の機銃掃射跡


 半田赤レンガ建物の見学を終えて、目の前の国道247に走り出すと、武豊線に沿って走る県道263へと右折し、次の目的地半田駅に向けて南下することにした。 そして、駅北側の踏切を渡り半田駅にたどり着くと、既に1922(大正11)年建てられた旧半田駅舎は解体され、仮駅舎と跨線橋が運用されていた。

 2021年6月に始まった半田駅を含む約2.6kmの高架工事、駅前後の踏切渋滞緩和が目的とのことである。 一見ツーリング親父がとやかく言えることでは無いが、街の歴史を伝える懐かしい景色が失われるのはやはり寂しいものである。

既に大正生まれの旧半田駅舎は解体され、仮駅舎と跨線橋による営業


 仮駅舎を目の当たりにし、現役引退した旧跨線橋を見ることは叶わなかったかと肩を落とすが、工事現場覆う壁の切れ間から見覚えのある跨線橋の姿を見つけた。 皮肉にも、旧駅舎が撤去されたおかげで、その全身を見学することが可能である。 跨線橋の入り口には、既に立ち入り禁止の柵が設けられているが、文化遺産として保存展示が検討されているらしい。

 1910(明治43) 年建造当時から、同じ場所に立ち続けた元日本最古の跨線橋だが、使われなくなって急に古びた感じがするのは、現役引退を控える還暦親父の先入観かもしれぬ(笑)。 引退したリーマン親父が失う名刺とはことなり、橋の支柱に鋳込まれている「明四十三鐡道新橋」の肩書は今も残る。

 また跨線橋の傍らには、保線作業用ランプや夜間信号機の灯油を保管していた、レンガ造りのランプ小屋も解体されずに残っていた。 建造当時から一緒の跨線橋とランプ小屋、これからも運命を共にする間柄のようである。  

現役最古の看板を下ろした1910(明治43) 年建造の旧半田駅跨線橋


既に立ち入れなくなった跨線橋内部、階段のひし形窓が印象的(2016年4月撮影)


 半田駅仮説駅舎の脇には、1977(昭和47)年に開館した半田市鉄道資料館があり、愛知県初の鉄道武豊線の資料が収蔵、展示されている。 正直なところ、プレハブ造りの鉄道資料館の外観は質素、半田駅の仮設駅舎とあつらえたような一体感(笑)。

 また野外には、 1970(昭和45)年に蒸気機関車がディーゼル車に変わった折、さよなら列車をけん引したC11265蒸気機関車(昭和19年型)が保存展示されている。 東京-大阪間千往復を一世紀走った車両の貫録、速85km/h、68トンの鉄の塊のメカ感は半端ない。 役目を終えた跨線橋とその傍らに建つランプ小屋が、C11265同様に保存展示されることを願うばかりである。

 半田市鉄道資料館は第1・第3日曜日のみの開館、平日のツーリングゆえに見学は叶わなかったが、開業当時からの武豊線沿いの写真などローカルな資料が充実しており、鉄道マニアの方は事前に開館スケジュールを確認してのお出かけをお勧めする。


仮設駅舎に隣接する半田市鉄道資料館、C11265蒸気機関車の野外展示


 半田駅の高架工事柵を覗き込む怪しい親父は、お目当てだったホームに建つ跨線橋の姿を目に焼き付け終ると、駅前にあるいわし料理円芯(まるしん)で昼食をとることにした。 円芯が営業する知多繊維会館の裏手駐車場にZX-6Rを停めると、迷路のようなビル通路を抜けて、知多半島唯一をうたういわし料理専門店の暖簾をくぐった。

 日頃ツーリング先の昼食には、盛りの良い食堂飯や懐かしい洋食に食指が動く昭和親父だが、コロナ禍の在宅勤務太りの身の上を考え、健康的?ないわし料理をいただくことにした次第である。 朝っぱらからうどんを平らげたことは忘却の彼方(笑)、糖質まみれの親父の食生活が変わるはずも無く。

 知多繊維会館に架かる円芯の看板には創業60年、さらに半田市観光ガイドには創業70年とあるいわし料理の老舗である。 かつて知多半島は、知多木綿の産地として繊維産業が盛んだった土地柄、店が入る知多繊維会館とともに開業し今に至る昭和の歴史が伺える。


半田駅前のいわし料理円芯、一年中新鮮ないわし料理がいただける


 アクリル板で仕切られたカウンター席に案内され注文したのは、いわし松セット1,650円也。 刺身、天ぷら、つみれ汁、そして店の名物らしきいわし味噌、さらにいわし料理の脇を固める茶わん蒸しと冷奴と、実に盛りだくさんなセットである。

 還暦バイク親父の父親ぐらいの御年であろうか、カウンター越しに創業60~70年の調理場を仕切る大将の仕事ぶりを見ると、還暦の若造が引退を口にするのはまだまだ早いなどと考えながら配膳を待つ。 そして運ばれてきたいわし松セットは、メニュー写真通りの豪華な膳であった。

 氷に盛られた刺身はしっかりとした食感が残り、新鮮ないわしの甘みを生姜醤油が引き立てる。 サクサクの衣をまとった天ぷらは、ホクホクふっくらした食感とシンプルな旨味。 上品な出汁のつみれ汁は、噛みしめるほどにつみれ団子の複雑な旨味が口の中に広がる。 そして、店の名物であろうか、いわしの旨味とコクのある豆味噌が縁組したいわし味噌は、白米が無限にいただけそうな名脇役である。

 新鮮ないわしが、料理に応じて様々な食感と味わいになって供される膳であった。 その美味しさの前提として、いわし料理で気になる小骨が丁寧に取り除かれ、手間暇を惜しまぬ仕事ぶりがうかがえる。

 冷奴を挟みながら、いわし料理のバリエーションを一気に平らげると、茶わん蒸しと口直しの果物で親父の胃袋は満員御礼となり、大満足の昼食を終えた。


いわし松セット1,650円也、新鮮ないわしを色々な食感と味わいでいただける


 昼食を終えて半田駅を後にすると、1804年(文化元年)年に創業したミツカンの醸造蔵が建ち並び、江戸の雰囲気を今に伝える半田運河に立ち寄った。 

 現在食酢やポン酢の国内シェア約60%を有するミツカンは、創業者の初代中野又左衛門が、江戸の「早ずし」の流行をいち早くとらえ、米酢に比べて低コストな粕酢を商品化し、酒で培われた半田の海運力と販売ルートを生かし発展した歴史を持つ。

 その後、中野から中埜に改姓しながら、七代に渡る又左衛門さんがミツカンを受け継いできたとのことである。 先に紹介したカブトビールは四代目又左衛門の創業、易学に凝っていた四代目が中野から中埜に改名し、現代のミツカンマークの生みの親となった。

 半田運河を訪れて、ミツカンマークを冠した黒壁の先に建つ本社ビルを眺めると、経営陣の創業の歴史に対する強いこだわりを感じる。 上場もせずに同族経営にこだわる中埜家であるが、この景色を見れば、最近報じられる娘婿との酢っぱい争いの原因も何となく想像できる。

 ちなみに、半田運河近くで「國盛」を造る中埜酒造は、1844年(弘化元年)に初代又左衛門から酒造株を譲り受けた小栗 富治郎が創業した歴史を持つ。 粕酢造りに専念したかった又左衛門が、海運を担っていた富次郎に酒造業を譲ったのである。 その後、経営危機に陥った国盛りを中埜家が支援し、中埜酒造に社名変更し現在に至る。

 コロナ禍の影響で休館中だが、半田運河周辺には”ミツカンミュージアム”や”国盛酒の文化館”があり、半田の醸造文化と歴史に触れてみるのも良さげである。 歴史的な背景を知るとバラバラだった景色がつながり、観光パンフレット等のありふれた写真も違って観えてくる。


半田運河の醸造蔵黒壁とミツカン本社ビル、醸造の歴史が繋ぐ景色


 半田運河を後にすると、いよいよ、旅を折り返す武豊線終点の武豊駅を目指し走り出すことにした。 正確に言うと、現在の武豊駅からさらに約1km先にある、1886(明治19)年開通当時終点だった旧武豊駅が目的地である。

 その旧武豊駅は、1892年に現武豊駅ができると一旦廃止され、1930(昭和5)年に貨物を扱う武豊港駅として営業を再開することとなった。 初代武豊駅、そして武豊港駅の跡地には、武豊港からの貨車を90度回して武豊線に入線させる二線式転車台が保存展示されている。

 さて、衣浦海底トンネルへ続く県道265へ走り出すと、衣浦港岸を走る県道52に分岐して武豊町へと南下した。 国道247へと続く武豊線沿線は街中の混雑が激しく、衣浦港岸のルートに迂回した方が得策であろう。 そして、武豊駅への分岐を過ぎてさらに南下し、国道247沿いにある旧武豊港駅転車台跡にたどり着いた。 

 ずっと空き地に埋もれていたこの転車台は、平成11年に近隣小学校の校外授業で発見されたとのことで、2009(平成21)年には国の登録有形文化財に指定されている。 先入観でがんじがらめの還暦親父、小学生の想像力にはとても及ばぬが、転車台が回転し貨車が走る当時の様子を少しだけ思い描いてみる。


かつての武豊線終着駅、旧武豊港の転車台跡(国指定有形文化財)


 江戸中期から味噌・溜の醸造業が盛んな武豊町は、関東の銚子、関西の龍野と並び、三大醸造郷と呼ばれているらしい。 旧武豊港駅周辺にも老舗醸造蔵が点在しており、今回は江戸文政年間の創業で200年続く「傳右衛門」を訪ねることにした。 転車場跡近くの国道247から味噌蔵の黒壁が続く小路へ入ると、ほどなく九代目傳衛門を受けつぐ味噌蔵伊藤商店にたどり着いた。

  武豊で味噌醸造が盛んになった理由は、ミネラルを多く含む知多半島の水が醸造に適していたこと、鈴鹿おろしが吹き雑菌の繁殖少ない仕込みに適した冬、湿気が多く熟成が進む夏の気候が醸造に適していたこと、材料や商品の海運に有利な立地等があげられる。

 さらに、灘の酒などとの競争が激しくなった酒蔵の廃業が増え、逆に名古屋を中心に味噌や溜の需要が増えたことにより、道具を転用して小規模に始められる味噌醸造への転業が増えたこともあるらしい。 実際のところ、今回訪れた小路でも小規模な味噌蔵が多く、溜まりの香ばしい香りが漂う蔵の出入り口から、歴史を感じさせる杉桶がのぞいたりする。

 今回訪れた傳右衛門は、創業当時からの蔵や桶に住み着いた醸造菌を受け継ぎ、三年間の熟成を経た丸大豆味噌やでたまり醤油を造っている。 食欲をそそるたまりの香りに刺激されたバイク親父は、濃厚な旨味とコクが詰まった、主力商品の「傳右衛門味噌」と「傳右衛門溜」を購入した。 旧武豊港駅転車台に隣接した”あじの駅 武豊”では、他の醸造蔵の商品も解説付きで並んでいるので、好みの味噌やたまりを購入することができるだろう。

 

 創業200年のブランド「傳右衛門」、黒壁の小路には香ばしい香りが漂う


三年の熟成で濃厚なコクと旨味が詰まった「傳右衛門味噌」と「傳右衛門溜」


 味噌蔵の小路から国道247へと折り返すと、県道72に分岐して現在の武豊駅から南知多道路武豊インターを横目に走り続け、知多広域農道味覚の道を北上した。 まだまだ寒さが引かぬこの時期、芽吹き前の木々の間から伊勢湾の景色を見下ろしながら、知多半島内陸の高台を走り続ける。

 以前は大型車の轍や雑な補修の段差など、所々で気を遣わされる区間もあったが、再舗装工事が進み随分と走りやすくなっていた。 これから本格的なツーリングシーズンを迎えるにあたり、春かすみの知多半島をまったりとクルージングするのも良さげである。 新型コロナウイルス感染症との間合いを見切り、不要不急を楽しめる世の中になっていることを祈るばかり。

半田武豊を巡るツーリングから知多広域農道味覚の道へと折り返す


 知多広域農道味覚の道は、常滑市から知多市へと市境を越え知多満作道となり、そして”佐布里池梅まつり”で賑わう佐布里緑と花のふれあい公園にさしかかった。 梅の満開にはまだ早かったが、ZX-6Rを停めてシールドを上げてみると、公園内に植えられた5000本を越える梅から甘い香りが漂ってくる。

 梅の開花を狙って走り出したわけでは無いが、思いがけず遭遇することが多い佐布里梅まつり。 バイク親父の頭に、春の兆しを感じると知多半島方面へと走り出したくなる、ルーティーンが刷り込まれているのかもしれぬ。

 梅の開花はこれからが本番、梅が散る前にゆっくりと訪れ直してみたいものである。 しかし、平日でこの賑わいゆえ休日の混雑は推して知るべし...還暦過の身の上ながら、「花見の混雑もまた風情」位の度量で楽しめるのは、まだまだ先になりそうである。 たぶん、介護サービスでお出かけさせてもらう頃まで無いな(笑)。

梅まつりで賑わう佐布里緑と花のふれあい公園、甘い梅の香りが漂う


 佐布里池の賑わいを抜けて走り出し、知多半島道路東浦知多インターを過ぎると、往路の農免道路へと折り返してJAあぐりタウン「げんきの郷」に立ち寄った。 新鮮な地元野菜や加工品、レストラン、さらに日替わり温泉まで揃った複合施設。

 南知多で観光鮮魚店を営む魚太郎も出店しており、鮮魚市場で新鮮な魚介類や干物などを購入できる。 また市場食堂では、新鮮な海鮮丼などもリーズナブルにいただけるので、南知多ツーリングで海鮮ものを取りこぼした方々のお助け小屋になりそうだ。

 今回は大きめのバックパックを背負ってのツーリング、武豊の味噌蔵伊藤商店で購入した、傳右衛門味噌、傳右衛門溜に合う尾張知多の地元食材を仕入れて帰る算段である。 午後の気温も10度に満たぬこの時期、市場には保冷用の氷もあり、鮮度を保ちながらツーリング先の美味いものを土産に帰還することも可能であろう。


JAあぐりたうん「げんきの郷」、尾張知多の地元食材を仕入れる


 げんきの郷で食材を仕入れると国道155に走り出し、知多半島道路大府東海インターから名古屋方面へと帰路に着くことにした。 武豊線そして沿線の半田武豊で栄えた醸造の歴史をたどる旅、距離的には半日もあれば十分に回れる行程だが、行く先々で三年熟成の豆味噌なみの濃い時間を過ごし、結果的に一日がかりのツーリングとなった。 

 平日だったこともあるが、往路の農免道路や復路の知多広域農道で街中の混雑を回避し、ストレスなく全行程を回りきることが出来たと思う。 コロナ禍による休館で回りきれなかった展示施設も多く、また半田駅の跨線橋の保存展示の行く末も気になり、衣浦港対岸西三河の広域農道等を組み入れたツーリングルートで再訪することになりそうだ。



あとがき


 ツーリングから帰りシャワーを浴びると、早速背負ってきた尾張知多の食材で、夕食の仕込みに取りにかかった。 濃厚な傳右衛門溜を合わせるのは、新鮮な地鶏蘭の卵かけご飯、濃厚な大豆が香るざる豆腐、コクのある食材と溜のマリアージュ(笑)。 そして、三年熟成の旨味が詰まった傳衛門味噌は、塩味を抑えた味噌汁で味噌の旨味を引き出し、甘辛く仕上げた知多牛の肉みそは卵かけご飯のお供に。 最後に、旬の甘い人参と瑞々しい大根は、甘酢漬けにして箸休めに...食酢もちろん、国内シェア60%を超えるミツカン酢(笑)

 実際、江戸時代から続く味噌蔵や杉桶で三年間熟成された豆味噌と溜をいただいてみると、現代までその醸造技術が受け継がれ商売が続いてきた理由が分かるような気がする。 ややこしい蘊蓄はやめて、単純に美味いからだと言っておこう。

 最後になるが、旅先でいただく美味いものはツーリングに欠かせぬが、仕入れてきた食材を家族と共にいただくのも悪くない。 親父がこしらえる料理の出来不出来は兎も角、食材の蘊蓄を聞かされる家族の苦行も兎も角(笑)、ソロツーリング費やした時間と思い出を共有できるような気がするのである。 

尾張知多の三年仕込みのコクのある豆味噌・溜と地元食材で旅をしめくくる



ツーリング情報


山喜うどん  愛知県大府市桃山町3-105  (電話)0562-47-3845


半田赤レンガ建物  愛知県半田市榎下町8番地 (電話)0569-24-7031


円芯  愛知県半田市愛知県半田市御幸町1 (電話)0569-21‐2882


半田市鉄道資料館  半田市御幸町110番地4 (電話)0569-23-7341(教育委員会事務局) 


半田運河  半田市中村町周辺


旧国鉄武豊港駅転車台  武豊町字道仙田9-8


傳右衛門(伊藤商店)  愛知県知多郡武豊字里中54 (電話)0569-73-0070


佐布里緑と花のふれあい公園  愛知県知多市佐布里台3丁目101 (電話)0562-54-2911


げんきの郷  愛知県大府市吉田町正右エ門新田1-1 (電話) 0562-45-4080 


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