#映画 「マッドマックス」
ホイル・スピンしながら立ち上がる、グースのZ1000改に萌えぬ昭和のバイク親父はいないだろう...1979年に公開された「マッドマックス」は、ジョージ・ミラー監督、メル・ギブソン主演のオーストラリア映画、二人の出世作となり後にシリーズ化もされた。
この作品では、近未来の荒廃したオーストラリアを舞台にした、凶悪な暴走族と特殊警察MFP(Main Force Patrol)の戦いを背景に、メル・ギブソン演じるMPFのエース、マックスの活躍と苦悩が描かれている。
そのストーリーは、警官を殺害した暴走族「ナイト・ライダー」が、強奪した追跡用パトカーで逃走した挙句、マックスに追われて事故死するところから始まる。 それをきっかけに、トーカッター率いる暴走族の報復で同僚のグースが焼き殺され、マックスはMFPをやめることを決意するが、トーカッター一味に妻子を殺害され復讐の鬼と化す...
低予算作品ゆえのチープ感は否めぬが、暴走族に細工されたグースのZ1000が事故を起こす場面や、マックスの妻子が襲われる場面など、徐々に恐怖を煽るカット割りやカメラ・ワークは秀逸である。 また、当時32才のメル・ギブソン演じる、不安や恐怖を抱えた等身大のヒーローにも才能が感じられる。 この映画のヒットで製作費が増え、巨大なコンボイや列車まで登場する次作以降のスケール感はアップするが、街の景色や搭乗する車両やバイクのリアリティは、この初回作が最も楽しめるだろう。
そして何より、昭和のバイク親父がこの映画に魅かれる訳は、MFPの追跡用車両インター・セプター(フォードファルコンXB改)、マックスが復讐のために持ち出したパシュート・スペシャル(フォードファルコンXB GT改)、そしてグースや宿敵のトーカッター達が駆るZ1000改等々、個性的な改造が施された車両やバイクが兎に角格好良いからである。
マッドマックスが公開された1979年から43年の時が流れ(2022年現在)、当時設定された近未来を現実が追い越してしまったわけだが、グースのZ1000をはじめ旧車感漂う極悪?仕様バイクの魅力が色あせることは無い。 暴走族のバイクよりも警察官のバイクの方が爆音仕様だったりするのはご愛敬(笑)。
集合管の小気味よい排気音や香ばしいオイルが焼ける匂い、バイク乗りの食指をそそるリアリティ漂う名作だが、不自然な脚本に違和感を覚えるところもある。 それは、マックスがMFPの退職を申し出て、引き留めるボスのフィフィから休暇を取れと促され、妻ジェシー、幼い息子スプローグと共に出かけた旅先での出来事...
同僚のグースを焼き殺した暴走族に妻子が襲われたにもかかわらず、マックスは家族と共に旅先にとどまり妻子の元を離れてしまう。 案の定、スプローグは暴走族にひき殺されジェシーも瀕死の重傷を負うことになる。
宿敵トーカッターの極悪ぶりを描き、”まともな”マックスが”マッド”なマックスに変貌するために必要な展開ではあるが、普通なら、妻子と共に旅を切り上げて安全な場所に避難することを考えそうなものである。 己が引退を思い立つきっかけとなった暴走族相手ならなおさらのこと、MPFに出動要請してもおかしくない状況であろう。
そんな不自然に感じる展開ではあるが、令和の現実社会でも、犠牲者に何の落ち度もない犯罪や事故報道は後を絶たず、相模原障害者施設殺傷事件、京都アニメーション放火殺人事件、元上級官僚の東池袋暴走事故等々...例を挙げればきりが無いが、報道で目にする大切な人を失った人達の涙は胸に突き刺さる。 映画で不自然とも思える家族を守れぬ状況は、現実の日常でも起こり得ることなのである。
突然だが、コロナ禍直前の米国出張でホテル住まいの週末、現地同僚に誘われ射撃場に出かけたことがある。 物騒な飛び道具を初めて手にした親父でも、13フィート先のターゲットを殆ど外さ無いことに驚いた。 隣のレーンでは、拳銃だけでなく小銃、散弾銃まで、何丁もの銃を持ち込んで熱心に撃ち込むお兄さん...もし、社会を逆恨みする輩がトレーニングまでしてあんなものを乱射したら防ぎようがないと怖くなる。 銃所持が規制される日本でも、刃物に放火、暴走車両等々、そのリスクは変わらないだろう。
武道など修業して実戦を想定した試合経験を積めば、色々な局面で平常心を保てるようになるだろう。 しかし、治安専門家のマックスでも家族を守れないのが現実、突然の災いや周到に用意された悪意から大切な人を守ることは難しいのである。 結局のところ、一般人にできることは、危険を感じて避ける感度を上げるしかないってことにたどり着く。
何も特別なことではない、道路や駐車場の事故、そして病や感染症、暗闇に潜む犯罪のリスク...日常に潜む危険を避ける、異常を感じて逃げる行動を実戦し、家族には言葉にして伝えてゆくことが必要だと感じる。 スマホをいじりながら駐車場を徘徊する車の脇で、友人との話に夢中になり子供の手を放す大人を見かけるとゾッとする。 最大の敵は無関心、体を晒すオートバイで磨いた危険を避ける知恵と感性は、家族を守るためにも役立つと信じたい。
ちなみに、2009年厚生労働省の統計によると、男性20~44才、女性15~34才の死因トップは自殺である。 手を引く必要が無くなった子供に伝えたいのは、アルフレッド・アドラーとヴィクトール・フランクルが示す生き方、そして還暦を過ぎた親父に残された役割は「逃げ出しても良い」と手をさしのべるこであろうか。
いやはや、こんなややこしいことまで考えだす昭和親父、お気楽極楽に楽しみたいアクション映画が台無しである(笑)
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