2022/02/02 昭和から昭和へ尾張三河里山ツーリング(昭和日常博物館、瀬戸蔵ミュージアム、オニオン)

 良くも悪くも諸行無常の世の中ではあるが、懐かしい思い出だけは永遠に続くものだと思いたい。 しかし実際のところ、「昨日の夕飯何を食ったっけ?」などと、物忘れがひどくなる一方の還暦親父である。 まあ幸いなことに、飯を食ったこと自体を思い出せなくなるまではいたらず、いまのところ医者に駆け込む必要はなさそうである(笑)。

 このところ、一年で最も寒さ厳しくなる大寒を迎えたこともあるが、リーマン稼業で抱えるプロジェクトの追い込みと来年度の仕込みに追われ、”晴れたらふらっと”走り出す余裕は持てずにいた。 ややこしいお仕事のさばきで、親父RAMが占有されるのは仕方ないが、懐かしい思い出が積み重なった親父ROMが上書きされる事態は避けたいところである。

 しかし、還暦親父が生まれ育った昭和から、平成、令和へと、日常で目にする暮らしの風景や道具は大きく様変わりてしまった。 時折、そんな懐かしい思い出に触れて自前ROMを整理し、新しく思い出を詰め込む空きを創りだす必要を感じる次第である。 そんな背景もあり今回は、懐かしい昭和の暮らしや道具などを展示している、愛知県内の博物館を巡る旅に走り出すことにした。

 旅のルートは、北名古屋市の昭和日常博物館(北名古屋市歴史民俗資料館)を起点に、名古屋高速を移動して猿投グリーンロードへと走り継ぎ、三河から尾張へと山里を繋ぐ峠道を巡り、瀬戸市の瀬戸蔵ミュージアムで旅を終える行程である。 そして、猿投グリーンロードで峠道へ向かう前には、長久手で人気の洋食屋さんオニオンでランチをいただくことにした。

 愛知県は、南西の濃尾平野から北東の三河山地に向けて標高が高くなる地形である。 その中ほどに位置する丘陵地は、真冬でも比較的凍結のリスクが少なく、足慣らしに丁度良い里山ワインディングがつながっている。 またその峠道の途中には、九州福岡の田舎町で生まれ育った昭和親父の子供時代、野山を駆け回た懐かしい里の雰囲気が残っているのだ。 

 さてさて、旅の始まりと、旅の終わりに、昭和親父の記憶に残る暮らしの想い出に触れ、その道中では懐かしい里山の景色とライディングを満喫する。 何とも昭和密度が高いバイク旅は、果たして親父の記憶の目減りを抑えることができるのだろうか?  いずれかの医療研究機関で、ツーリングによる認知症予防効果など研究されるならば、臨床データ蓄積のために喜んで身を呈する所存である。 できれば、ガソリン代や有料道路代など、経費補助してもらえれば助かるのだが(笑)。

北名古屋市の昭和日常博物館、昭和親父の想い出が蘇る


ルート概要


昭和日常博物館-県451→井瀬木-県62→豊山南IC-名古屋高速名二環→本郷IC-県60-県6→砂子-県75→消防署北-県75→オニオン(JAあいち尾東)-県75→消防署北-県75→砂子-県6→八草IC-猿投グリーンロード→力石IC-国153→中金町日影-県344→風天洞バス停-県33-加茂橋(矢作川)→下川口-県11→上川口梨ノ木-県33→藤岡飯野町(国419)-県33(戸越峠)→赤津町-県212→東古瀬戸町-国248→瀬戸蔵ミュージアム


ツーリングレポート


 氷点下近くまで冷え込んだ朝、走行距離200kmに満たぬショート・ツーリングの行程も考え、十分日が昇ってからの走り出しである。 それでも4℃に満たぬ外気温だが、軽く保温性が高い冬物ライディング・ウエアで、快適に街中を移動する。

 また今回は、走り初めツーリングで操作性が悪く難儀した、ごつい革製の冬物グローブを、軽いストレッチ素材の冬物グローブに交換し、街中の頻繁なレバー操作もストレスなくこなせるようになった。 高速道路で長距離を走り続けるのでなければこれで十分、レバー操作や疲労感に直結する道具だけに、旅に応じたバリエーションを揃えておきたいところである。

 さて、名古屋市中心部から北上して庄内川を渡り、さらに名古屋第二環状自動車道(名二環)をくぐって北名古屋市に入ると、程なく、旅の起点にした昭和日常博物館(北名古屋市歴史民俗資料館)にたどり着いた。 早速、隣接する北名古屋市役所東庁舎の駐車場に相棒を停めると、1階図書館脇にあるエレベータで3階の博物館受付に上った。

 高度経済成長とともに大きく変わった、昭和30年代からの日常の風景や道具を展示する昭和日常博物館。 コロナ禍対策として連絡先の記載が必要だが、入館料は無料! 北名古屋市の公共サービス施設を兼用し、寄贈物展示で運営されているのがその由縁かも知れぬ。

 ところで、冒頭でツーリングが認知症予防に効く?などと無責任なことを書いたが、実際に高齢者の子供時代の記憶を引き出し、閉じこもりや認知症を予防及び治療する、”回想法”という非薬物治療があるらしい。 昭和日常博物館は20年に渡り、所蔵する昭和の生活資料を活用した回想法事業に取り組んでおり、2020年にはその活動が評価され日本博物館協会賞を受賞している。

 首長が変わる度に、豪華な箱モノが拵えらる地方行政も少なくない。 見栄えのする施設や税金を搔き集める政治力では無く、地域福祉や文化に貢献する理念や、地道な活動が評価される事例として、博物館活動の全国発信を続けてほしいものである。

 さて、受付を済ませて展示室に目を移すと、早速昭和親父の琴線に触れる駄菓子屋の実物大ジオラマが目に留まる。 学校から帰ると小遣いを握りしめ、友達と入り浸った駄菓子屋の様子が蘇り、さらに忘れかけていた景色が芋づる式に浮かんでくる。 その他にも、白黒テレビを観ながらちゃぶ台を囲んだ茶の間、セパレートステレオで厳かにレコードを聴いた応接間、さらに祖父母の家で薪焚きに夢中になったかかまど等々、子供の頃の記憶に残る日常の光景が詳細にこだわり再現されている。 

クジ引きに夢中になった駄菓子屋、一等が出るのを見たことは無い(笑)


ちゃぶ台を囲み白黒テレビを観た茶の間、リビングとは違う(笑)


応接間のセパレートステレオ、ビクター犬、レター挿し等々小物がリアル


祖父母の家にあった釜土、薪焚きの手伝いに夢中になった


 昭和の暮らしが再現された実物大のジオラマ以外にも、懐かしい暮らしの道具が種類別に年代を追って展示されている。 「あっ、これ家にあったなぁ」、「こんなの使ってたなぁ」と、声を上げそうになる懐かしい品ばかり。 高価な美術品や高尚な芸術品とは異なり、実際に使っていたものだからさもありなん。

 特に印象に残ったのは、給食で鼻をつまんで飲んでいた、脱脂粉乳のアルミポットとカップである。 小学校に入学してほどなく、瓶詰牛乳にかわり、さらにレトルトパックに変わっていった。 好きなものの対局、苦手だったものも忘れられぬ思い出になるわけである。 そう考えると、令和の日常で苦手な、あれやこれやも、記憶から消し去ることはできないだろうと諦める(笑)

鼻をつまみ飲んだ脱脂粉乳のアルミポットとカップ、苦手なものも記憶に残る


 3階の展示室の見学を終え地下1階の駐車場に降りると、そこは1960~1970年代の四輪と二輪が展示されていた。 実際に来館者用に使用されていた駐車場ゆえに、昭和の駐車場にタイムスリップしたような錯覚を覚える。 父親に背負われて保育園に通ったホンダベンリィ、家族でやまなみハイウェイをドライブしたトヨタパブリカ...半世紀以上の時代を越えて再会すると、何気ない家族とのやりとりが次々にフラッシュバックして来る。 

地下駐車場に展示された懐かしい車、家族とドライブした思い出が蘇る


父親に背負われ保育園に通ったベンリィ、還暦親父と同い年(笑)


 昭和日常博物館の見学を終えてみると、その時代を過ごした人にしか分からぬであろう、昭和文化の細かいところにこだわった展示に感心した。 受付時に、コロナ禍対策として60分以内の見学を告げれられるが、次から次に現れる懐かしい景色や品々に興奮したのか、十分時間を残しての見学終了となった。 まあ、気軽に立ち寄れる近場でもあるし、何を食ったか思い出せなくなる度に、ここを訪れる回数は増えてくることだろう(笑)。

 博物館を出て駐車場で待つZX-6Rの元に戻ると、防寒着の身支度を整えて国道41方面へと県道に走り出した。 そして国道41に合流すると、名古屋高速豊山南ICに駆け上がり、楠JCTから分岐した名二環で本郷ICへと一気に移動した。 本郷ICから駆け降りた県道60から県道6へと道なりに走ると、長久手市から豊田市への市境を越えて、猿投グリーンロードへと走り継ぐことが出来る。

 しかし丁度昼時、三河の山間へ走り出す前に長久手で人気の洋食屋に立ち寄り、昼食を済ませておくことにした。 立ち寄ったのは「オニオン」、JAあいち尾東長久手支店内のビル2Fで営業する洋食屋である。 長久手市役所の向かいにあるJAにたどり着くのは容易だが、自己主張する看板の類は何も掲げていない店を探すのに苦労するかもしれぬ。 実際のところ、この店に初めて訪れた時、何人かの買い物客に店の場所を聞いても分からずじまい(笑)

 今回は、開店直後の来店となったが既に満席近くの盛況ぶり、運よく空いていたカウンター席に落ち着くと、日替わりランチ750円也を注文した。 看板も何も掲げず、たどり着くにも難儀する立地ながらこの盛況ぶり、口コミだけで美味さが伝わる人気店なのだろう。 そういうバイク親父も、友人に教えてもらい通い出した店なのである。

JAあいち尾東の駐車場脇にZX-6Rを停める、オニオンはどこだぁ~


 カウンター席から、みずみずしい野菜や湯気の立つ料理が、手際よく盛りつけられる様を眺めていると、注文した日替わりランチが配膳される運びとなった。 この日の日替わりランチは、柔らかくカラッと揚げられたカツ三種盛り、ケチャップ・ソース、味噌、インディアンの味変で、ボリュームあるカツを最後まで美味しくいただいた。 手際よく盛られていた野菜のシャキシャキ感は見た目通り、付け合わせのスパゲティさらだも優秀なご飯のお供になる。

 そして特筆すべきは味噌汁の美味さ、ゴロゴロ入った豆腐と香りのよい三つ葉の味噌汁、塩味が抑えられた出汁の旨さを味わえる。 味噌汁が旨い店に外れ無しの法則は、今回も崩れることは無かった。

日替わり定食750円也、美味くて、盛り良く、リーズナブル



 オニオンで大満足のランチを終えると、リニモ東部丘陵線と並走する県道6に復帰して、猿投グリーンロード八草ICに向けて走り続けた。 成り行きでは速度が乗りすぎる道路なので注意が必要、先を急ぐ営業車や工事車両に道を譲りながら流れに乗って移動する。 ほどなく、猿投グリーンロード西側起点となる八草ICにさしかかった。 財布を取り出すのに難儀するこの季節、料金所がETCゲート化されているのでありがたい。 

 ところで、猿投グリーンロードは、所有者の愛知県道路公社から業務を引き継いだ、愛知道路コンセッション株式会社によって維持管理されている。 だから何だってことは無いが、無料化と同時に荒れ果てた三河湾スカイラインの二の舞にならぬよう、事業とサービスの正帰還をうまく回してほしいところである。

 さて、ETCゲートをくぐり猿投グリーンロードに走り出すと、しっかりと撒かれた塩化カルシウムが有料管理の証(笑)。 キラキラ輝く塩溜まりを巻き上げぬよう、四輪の轍をトレースしながら移動する。 全長13.1km、別料金となる中山ICをやり過ごすと、程なく終点の力石ICにたどりつき、国道153を足助方面に向けて駆け出した。

猿投グリーンロード中山ICを過ぎて終点の力石ICを目指す


 そしていよいよ、国道153へと走り出し中金町を抜けたところで、県道344から始まり瀬戸方面へと向かう里山ワインディングへと駆け上がった。 旅をしめくくる瀬戸蔵ミュージアムまで約35km、ゆっくり走っても小一時間で走りきれる行程である。 尾張三河の丘陵地の里山を巡るこのルート、標高1000mを越える三河高原に比べ凍結リスクも少なく、高低差が少なく緩やかなコーナーが連続し、オートバイと乗り手のコンディション調整に丁度良い。

 県道344に分岐すると早速、適度な曲がりのコーナーと、適度な斜度のアップダウンが始まる。 上りでフロント荷重抜けを気にせず、下りでもトラクションをかけ、安定して曲げて行ける。 猿投グリーンロードでまとった(気がする)塩化カルを、パタパタと車体を傾けながら風を切って吹き飛ばす(気がする)。 この県道344は、足助付近で混雑する国道153をバイパスするお役立ちルートでもある。

国道153から県道344に分岐、瀬戸へ向け里山へと駆け上がる


 県道344で足慣らしを済ませると、瀬戸へと続く県道33に分岐してさらに走り続けた。 県道33は、支流の阿摺川に沿ったワインディングで矢作川を渡る区間、点在する工場をつなぎ藤岡町を抜ける林間ワインディング、そして戸越峠越えの九十九折れで、豊田から瀬戸の市境を越える区間に分けられる。 短いルートながら、区間ごとに特徴のある里山ワインディングを満喫することが出来るだろう。

 そんな里山を巡る県道沿いの景色は、季節に応じた農作業で姿を変える田畑、芽吹きや紅葉で彩を変える里山の雑木林、そして魚影を探したくなる川の流れ等々、九州福岡の田舎町で生まれ育った昭和親父が、夏冬休みに祖父母の家に入り浸り野山を駆け巡った頃の記憶を呼び起こす。

 今更都会の利便性から逃れられぬ還暦親父ではあるが、子供の頃から刷り込まれた土の香りを忘れることも出来そうにない。 そんな記憶が濃縮された風を切るバイク旅が、昭和親父の心の枯渇を埋めてくれるのを改めて感じるわけである。

県道344から県道33へと走り継ぎ、矢作川に注ぐ阿摺川沿いを走る

県道33は戸越峠に差し掛かり、豊田から瀬戸への市境を越える


 県道33が豊田から瀬戸への市境を越えると、東海環状道高架を潜り赤津町に差し掛かった。 さらに、瀬戸赤津郵便局から分岐する県道212を経由し、突き当たった国道248を瀬戸市街に向けて下って行く。 そして、国道248が瀬戸市街に入ると、対向車線が瀬戸川を挟み走る独特の景観となり、旅の最終目的地とした”瀬戸蔵ミュージアム”にたどり着いた。

 瀬戸蔵は、市民交流を兼ねた観光客誘致施設で、2005年に開催された愛・地球博に合わせてオープンした。 そこに入る瀬戸蔵ミュージアムには、焼き物の町瀬戸の昭和30~40年代の街並みが再現され、旧尾張瀬戸駅や当時走っていた瀬戸電車両も展示されている。 入館料は一般520円也、JAF会員なら110円の割引を受けられる。 

 早速相棒の駐車場所を探すも、駐車場ゲートにはオートバイ進入禁止のどでかい看板が立ち、歩道沿いに設けられた自転車用駐輪場には、車道から入ることは出来ない...どうやら、オートバイで来館する客はおもてなし対象とはならないらしい(笑)。 十分なスペースがあるエントランス隅に相棒を待たせることもできそうだが、大人数のツーリングで訪れる際には、事前にオートバイの停め場所を問い合わせた方が良いかもしれぬ。

瀬戸蔵ミュージアム、昭和30~40年代の瀬戸の町を体験できる


 お洒落な瀬戸ものショップの脇をぬけて二階に上がると、瀬戸蔵ミュージアム入り口で受付を済ませた。 そしてまずは、大正14(1925)年に建てられ平成13(2001)年まで利用された、旧尾張瀬戸駅舎の実物大ジオラマを訪れた。 実物は当時最先端の鉄筋コンクリート造りで、瀬戸のシンボル的な存在であったらしい。 ジオラマゆえの張りぼて感は否めぬが、大正ロマンの洋館風なデザインや、懐かしい改札や運航表示板など、当時の雰囲気をよく伝えている。 また駅舎内では、名鉄瀬戸線の前身「瀬戸電」の資料が展示されている。

 通称「瀬戸電」こと瀬戸電気鉄道は、1905(明治38)年に瀬戸自動鉄道を開業して蒸気動車を走らせ、翌年に瀬戸電気鉄道に社名を変えて1907(明治40)年には全線電化された。 かつては、名古屋城外堀跡を通って堀川の水運と連結し、瀬戸で生産された陶磁器を積み出し港まで運んでいたのだ。 外堀を走る姿から、「お堀電車」とも呼ばれていた。

 その後、1939(昭和14)年には名古屋鉄道と合併し名鉄瀬戸線となり、1976(昭和51)年に外堀路線は廃止となり貨物営業も廃業された。 そして、1978(昭和53)年には地下鉄として栄に乗り入れ、尾張瀬戸駅と栄町を結ぶ近距離通勤路線として営業を続けている。

 昭和の近代化を象徴するような変遷が、己が生まれ育ってきた昭和の記憶とリンクし、当時を再現した旧尾張瀬戸駅の展示を懐かしく感じてくる。 ここで生まれ育ち、瀬戸電やお堀電車を利用していた世代には、たまらない展示なのであろう。

大正14年に建てられ平成13年まで活躍した旧尾張瀬戸駅


 そして、旧尾張瀬戸駅舎の改札をでたところに、1928(昭和3)年に製造されて2001(平成13)年まで走った、瀬戸電の主力電車だった「モ754」が展示されている。 天井まで当時のホームの様子を再現する念の入れようだ。 瀬戸蔵ミュージアムに入館すると最初に目に留まる展示だが、旧尾張瀬戸駅舎内に展示されている瀬戸電の歴史に触れ、改札を出て見学した方が楽しめるかもしれぬ。

  展示車両は半分にカットされているが、車両内に入ると車内アナウンスも流され、当時の雰囲気を十分に味わうことが出来る。 九州福岡の西鉄沿線の田舎町で生まれ育った昭和親父、展示車両の木製の内装や雰囲気に、子供の頃乗っていた西鉄電車「モ200形」のことを思い出した。

 福岡のデパートや怪獣映画を観に行くワクワク感や、週末の塾通いの憂鬱な気持ち等々、その時の断片的な記憶が鮮明な映像になって蘇る。 また「モ200形」は、1945(昭和20)年に米軍戦闘機の機銃掃射を受けた二列車で、64名が亡くなり100名が負傷した車両である。 それを聞かされた晴れた夏の日、冷房代わりに開けた窓から流れる田んぼを眺め、P-51が銃撃して来る様を想像し恐ろしくなったことを思い出す。

瀬戸の焼き物を堀川まで運んでいた瀬戸電「モ754」、昭和3年生まれ


 旧尾張瀬戸駅や瀬戸電車両の展示以外にも、2階には、瀬戸物工場や石炭窯、そして瀬戸もの屋等々、昭和の瀬戸の町を再現した展示が充実している。 また3階には、1000年以上の瀬戸ものの歴史が展示されている...っが、見学を終えて一番印象に残っているのは、昭和のキャラクターが描かれた子供茶碗の懐かしさ(笑)。 やはり、見て、触れて、体感するに勝る思い出作りは無さそうである。

昭和のキャラクターが描かれた子供茶碗、なんとも懐かしい子供だまし


 瀬戸蔵ミュージアムの見学を最後に、昭和づくしのツーリングを終えることにした。 瀬戸市街からは、国道248、国道155をつなぎ、往路でたどった県道6経由で名古屋方面に帰還することにした。 混雑する名古屋市内の移動を避けたい場合は、東海環状道瀬戸赤津ICからの帰還も可能であろう。

 今回の旅を振り返ってみると、自分が生きてきた昭和の展示施設を訪れ、世の中の変遷と照らし合わせながら己の記憶を追っていくと、子供時代に比べて大人になってからの時の流れが、とても速かったことを思い知らされた。 まるで浦島太郎が開いた玉手箱の様に、気が付けば膨大な時間が流れ、己が年老いていることに気付かされるのだ。 懐かしい思い出に触れて鈍った脳みそが活性化される?だけでなく、漠然と過ごした時の流れの速さを思い知って、大切な時間を有効に使う心構えが必要なことを再認識したのである。

 また世の中の大事件や社会問題などよりも、実際に体験した些細な日常が記憶に刷り込まれてゆくことにも気づかされた。 オートバイで旅に出て、様々なことを感じ、考え、そんな日常が、放っておけば流れてゆく大切な思い出のアンカーとなると感じる。 それを言葉に残し下手な文章で伝えようとすると、クドクドと長くなってしまう訳である(笑)。 動画や画像ログ全盛の時代に、文字だらけのレポートにお付き合いくださる皆様には感謝するばかり。


ツーリング情報


昭和日常博物館  愛知県北名古屋市熊之庄御榊53 (電話)0568-25-3600


オニオン  愛知県長久手市岩作城ノ内53 長久手グリーンセンター 2F (電話)0561-62-4664


瀬戸蔵ミュージアム  愛知県瀬戸市蔵所町1番地の1 (電話)0561-97-1190


晴れたらふらっと

風を切るオートバイは旅の相棒、そして生きる意味となった

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