2021/10/23 下伊那天竜峡から南木曽妻籠宿へ南信州峠巡り(大阪屋食堂、ゑびや茶房)
新型コロナウイルス感染症の緊急事態宣言明けに訪れた急な冷え込み、春秋飛ばしの夏冬二極化は既に常態化してしまった気がするが、今回も紅葉が熟すよりも早く秋が通り過ぎてしまいそうな勢いである。 自粛期間中にあれこれと旅の妄想をため込んだバイク親父だが、比較的温暖で冬場でも走れる旅先を後回しにして、北へ峠を越えるツーリングへと走り出すことにした。
訪れたのは南信州、国道153で愛知から長野への県境を越え、下伊那地方の市町村をつなぎ木曽地方の南木曽町妻籠宿へ、長野県南端を東から西へと縁取るルートをたどった。 根羽村から売木村へ茶臼山北麓売木峠(標高1,115m)を越える県道46、阿南町から泰阜村を貫けて飯田市天竜峡へ続く山岳県道1、下伊那の市町村を繋ぐ峠道は走りごたえのあるツーリングルートである。
その後、三遠南信道の無料区間で国道153へ移動すると、阿智村の旧街道沿いで温かい食堂飯をいただき、清内路峠(標高1,192m)を越える国道256で木曽谷の南木曽町へと駆け降りた。 そして、南木曽町では妻籠宿に立ち寄り、日本遺産に選定されて間も無い宿場を散策し、温かい秋の甘味をいただいて帰ることにした。
妻籠宿で南信州の行程を終えると、馬籠峠で長野県木曽郡南木曽町から岐阜県中津川市への県境を越えて、中央道中津川インターから名古屋方面へと帰路に着いた。
お馴染みの南信州の峠道を繋ぎ合わせたルートだが、移動自粛で鈍ったバイク親父の心・技・体を考えると、凍えはじめた標高1000mを超えるタフな峠道は、残り少ない今シーズンを駆け抜けられるかどうかの試金石になるだろう。
県道1号沿いのリンゴ畑、秋の南信州ツーリング
ルート概要
東海環状道豊田松平IC-国301→松平橋-県39→追分-国153→根羽村下町-県46→売木-国418(売木峠バイパス)→道の駅信州新野千石平-国151→早稲田-県244→南宮大橋-県1-県83(泰阜村集落)-県1→天竜峡-三遠南信自動車天竜峡IC→中央道飯田山本IC-国153→大阪屋食堂(伊那街道駒場宿)-国153→昼神温泉-国256→妻籠宿-国256(戻る)-県7(馬籠峠)→沖田-国19→中央道中津川IC
ツーリングレポート
長野県南部の気温予報によると日中の最高気温は15℃、山間を巡るルート沿いでは10℃を超えれば上出来だろう。 気合だけが先行し学習能力に欠けるバイク親父、Tシャツに革ジャンを羽織る出で立ちで走り出し、旅先の峠で凍えるのはこの時期のお約束である。 しかし、還暦を過ぎて体の節々がきしみだす身の程をわきまえ、使い捨てカイロをヒップバックに押し込んで走り出すことにした。 今時、軽く温かいハイ・テク素材をふんだんに用いた冬物も買えるのだろうが、ロー・テクカイロをふんだんに貼りまくるのが、還暦バイク親父が出した凍えぬ身軽さの結論なのである(笑)
さてさて、在宅勤務の日常から非日常へと走り出すための身支度を整え、久しぶりに相棒のZX-6Rと対面し盗難防止用チェーンロックを外し...あれっ、外れない(汗)。 鍵穴に潤滑剤を吹き付けてこじってみるも...やはり外れない(汗々)。 体温が入店禁止の37℃を超える寸前で、金切ノコを持ち出した窃盗まがいの行為を思い止まり、スマホを取り出してGoogle先生に解決策をお伺いすることにした。 その結果...まずは「スペアキーを使ってみるべし」の真っ当な指南に従い、頑丈なチェーンロックを無傷で解除するに至る。 いやはや、何でもかんでも力業でゴリ押ししようとする性分を反省するも、還暦を過ぎて立ち止まって耳順う度量が身に付いたかと悦に入る(笑)。
前置きが随分と長くなってしまったが、兎にも角にも、チェーンロック騒ぎが適度な準備運動になって体も温まり、使い捨てカイロの世話にならずに肌寒い街へと走りだすこととなった。 そして、街中を抜けて一気に東海環状道へと走り継ぐと、旅の起点となる豊田松平ICから国道301に駆け降り、巴川沿いの県道39を足助方面に向けて溯ることにした。 その後、紅葉狩り客の渋滞に遭遇することも無く足助を抜けて、いよいよ下伊那郡根羽村に向けて国道153三州街道の北上を開始した。
さて、国道153で徐々に標高を稼ぎながら北上を続けると、相変わらず大勢の客で賑わう道の駅どんぐりの里稲武を過ぎ、愛知県豊田市から長野県下伊那郡根羽村への県境を越えた。 改めて県境を意識しながら走ってみると、東海圏を構成する岐阜、三重、静岡だけでなく、長野が愛知の隣県であることを再認識する。 バイク乗りにとっては、経済活動が交差する街中の県境と変わらず、ワインディングが交差する山間の県境が重要な意味を持つ。
国道153三州街道で愛知県豊田市から長野県下伊那郡根羽村へ県境を越える
県境を越えると程なく根羽村の集落にさしかかり、国道153から売木村へ続く県道46に分岐した。 ここからは毎度の一人旅、茶臼山の北麓にある売木峠(標高1150m)にむけて、源流から流れ出して間もない矢作川沿いの峠道に腰を据えて駆け上がる。 その道中、小戸名渓谷を過ぎるまでは、流れに沿った適度なコーナーが連続し、徐々にタイトで落差のある九十九折れへと変化する。
タイトな折り返しを上りきって売木峠を越えると同時に、下伊那郡根羽村から売木村への村境を越えて、緩やかな林間ワインディングをテンポ良く下って行く。 ところで売木峠では、矢作川水系から天竜川水系への分水嶺を越えるので、県道46の傍らを流れる軒川は天竜川に注ぐことになる。
売木峠を越えた県道46、売木村へ林間ワインディングを下る
さて、県道46が売木村集落に差しかかると国道418売木峠バイパスへと走り継ぎ、売木トンネルを貫けて下伊那郡阿南町への境界を超える。 そして、阿南町新野集落を眼下に見下ろしながら国道418を下ってゆくと、道の駅信州新野千石平にたどり着く。
全体の行程を考えると程よい休憩ポイントになるが、県道46の売木峠越えで噴き出したアドネラリンを代謝しきれぬ還暦親父は、道の駅を横目に国道151のダイナミックな下りへと走り続ける。 トンネルで大きな弧を描く国道151を下りきってさらに走り続けると、徐々に、天竜川が流れる伊那谷越しの伊那山地、その先に繋がる南アルプスの眺望が開けてくる。
そして、ここからが今回のメインステージ、国道151から県道244に分岐すると、阿南町集落を一気に駆け降りた南宮大橋で天竜川を渡り、JR飯田線温田駅の脇から県道1へと駆け上がってい行く。 いよいよ、伊那山地の麓を天竜峡へと北上する、山岳ワインディングの始まりである。
天竜川を渡り、県道1に駆け上がり標高を稼いで行くと、アップダウンと左右コーナーの組み合わせのバリエーションが始まる。 時折、国道151の対岸からの伊那谷を見下ろす眺望も広がり、初心者からベテランまで技術に応じたライディングを満喫できるルートである。 何より通行車両の少なさが走りやすさのベースだが、県道83で泰阜村の集落を抜ける箇所もあり、地元の暮らしに配慮した安全なペース配分が必要である。
状況に応じた対応が必要なルートだけに、コーナーの曲がり、アップダウン、そして路面のバンクや浮き砂...毎度、思い切りが悪く、相棒とタイヤを信じ切れていないヘタレ親父は、状況に応じて一気に切れ込めぬ己に打ちのめされる。 ライディングは心を映し出す鏡、ヘタレな己を受け入れて何ができるか考え続ける事に意味があると信じたい。
(後日談になるが)ドラレコ代わりのカメラ付きインカムの映像を確認してみると、ブラインドコーナーの進入ではアウト側ラインから倒しこみのタメができている反面、先が見通せるコーナーではダラダラとイン側ラインに寄っていってしまう癖が見て取れる。 現場では気付けぬことも多いのだが、後に映像を確認すると色々なことが分かるものである。 動画ビジネスがお盛んな昨今、色々な録画装置が手に入るご時世である。 己のライディングを録画して振り返ってみれば、乗れぬモヤモヤを払拭するヒントが得られるかもしれない。
伊那山地の麓を北上する県道1、泰阜村を抜けて天竜峡へ続く山岳ワインディング
県道1が下伊那郡泰阜村から飯田市への境を越えると、天竜峡へと分岐してJR天竜峡駅に立ち寄り一息つくことにした。 走りごたえのある南信州の峠に夢中になり、気が付けば走り出してから初めての小休止となった。
ところでJR天竜峡駅は、1927年に辰野から天竜峡まで開通した、旧伊奈電気鉄道の起点駅として開設された。 その飯田線の前身旧伊奈電気鉄道は、中央線誘致合戦に敗れた伊那谷に敷設された長野県初の民営鉄道である。 さらに、1936年には三河河合駅へ延びる三信鉄道と連結され、1943年に国に買収され国鉄飯田線となった。
JR天竜峡駅は飯田線の途中駅となった現在でも、特急「伊那路」が全便停車する下伊那地方の要所駅となっている。 個性的な駅舎は、天竜峡に温泉が湧いた1990年に改装されたものだそうだが、天竜峡温泉駅と改名しなかったのは賢明だったかも。
JR飯田線天竜峡駅、特急「伊那路」も停車する下伊那観光の起点駅
天竜峡駅近くの姑射橋からは、天竜川の浸食でつくられた南北約2kmにわたる峡谷を見下ろすことが出来る。 行程に余裕があるならば、天竜峡中央駐車場(無料)に愛車を停めて散策するのも良いだろう。 また、天竜峡駅のホームを挟んだ河岸に降りると、天竜ライン下りの船着き場が営業している。 JR東海から休日乗り放題の周遊チケットも発売されているので、飯田線の秘境駅をめぐりながら、天竜峡でコテコテの観光に興じるのもアリだろう。
JR天竜峡駅の脇にある姑射橋から見下ろす天竜峡
JR天竜峡駅の軒先を借りて一息つくと、三遠南信自動車道(無料区間)の天竜峡ICに駆け上がり、中央道飯田山本ICまで一気に移動した。 バカ高い通行料金を徴収されることなく、飯田市街の混雑を避けて国道153に移動できる有り難いルート。
そして、飯田山本ICから国道153に駆け降りて昼神温泉方面へ走り出すと、飯田市から下伊那郡阿智村への境界を越えたところで、旧三州街道に分岐して駒場宿に立ち寄った。 丁度昼時、お目当ては駒場宿の”大きな坂”で商いを続ける「大阪屋食堂」、創業百余年の老舗食堂である。
旧三州街道駒場宿の大きな坂で営業する大阪屋食堂、創業百余年の老舗食堂
大阪屋食堂の軒先に相棒を停めて身支度を整えると、不織布マスクを着けて手指の消毒を済ませ店内に入った。 そして、入り口近くのテーブル席に落ち着き注文したのは、大阪屋食堂の二番人気メニューの華そば650円也。
程なく配膳されたのは、自家製のモチっとした麺と甘めのやさしいかえしが特徴の中華そば、冷え込んでくると温かい一品が胃袋と心に染みる。 中華そばに添えられた歯ごたえの良い筍も、自家栽培さらたものとのことで店主のこだわりを感じる。
丁度新そばの季節、香りのよい信州そばも捨てがたいが、昭和親父の食指はどうしても懐かしい食堂飯に動いてしまう。 ところで、大阪屋食堂の一番人気はかつ丼とのことで、その再訪目的を土産に三州街道へと駆け出した。
大阪屋食堂の中華そば、モチっとした自家製面と甘めのかえしに癒される
大阪屋食堂から走り出して旧三州街道から国道153に復帰すると、道なりに国道256へと走り継ぎ、南木曽町妻籠宿に向けて走り続けた。 昼神温泉郷から始まる前半は、清内路トンネル(標高1,094m、全長1,642m)に向けて緩やかな上りとなり、適度なコーナーの切り返しをリズムよく楽しむことが出来る。
そして、清内路トンネルで清内路峠(標高1,192m)を貫けると、下伊那郡阿智村から木曽郡南木曽町に入り、タフな九十九折れダウンヒルの洗礼を受ける。 九十九折れを下りきった後は、分水嶺を越えて木曽川へ注ぐ蘭川の流れに沿って、余裕をもって体重移動できる切り返しをリズム良く楽しむことが出来るだろう。
清内路トンネルで南木曽町へ貫けると、いきなりの九十九折れダウンヒル
国道256が妻籠宿にさしかかると、蘭川沿いの町営第二駐車場に相棒を停め、妻籠宿の町並みを散策することにした。 今更紹介するまでも無いが、妻籠宿は中山道42番目の宿場である。 1968年に全国に先駆けて古い町並みの保存活動が始まり、1976年には国の重要伝統的建造物保存地区に初回選定されている。
まず、町並み保存活動の原点となった寺島の町並みを訪れると、1969年に解体復元された江戸中期の木賃宿旧上嵯峨屋が無料公開されていた。 庶民が雑魚寝した安宿ゆえに、オリジナルの建造物が保存されているのは珍しいことらしい。 還暦を迎えた昭和親父には、祖父母の家で見かけた土間や釜土の記憶がかすかに蘇る。
全国に先駆けた町並み保存活動の原点、妻籠宿寺島の町並み
江戸中期の木賃宿旧上嵯峨屋、1969年に解体復元された
妻籠宿の散策を終えると、南信州の旅を終えて走り出す前に、温かい甘味で体を温めることにした。 立ち寄ったのは「ゑびや茶房」、バイク親父が妻籠宿を訪れる際には必ず立ち寄る甘味処である。 早速、格子戸から妻籠宿の通りを眺める特等席に陣取ると、この時期しか味わえない、たっぷりの栗あんを贅沢に使った「栗あん汁粉」750円也を注文した。
ちと値が張る気もするが、椀一杯に張られた濃厚な栗あんのコストを考えるとそれも納得できる。 砂糖は控えめで栗自体の素朴な甘さは、毎度飽きることなく最後まで飲み干してしまう。 紅葉も追いつかぬほど短くなった秋だが、一杯の甘味で短い秋を味わいつくした気になるバイク親父、”花より団子”あらため”紅葉より栗しる粉”(笑)。
ゑびや茶房の栗あん汁粉750円也、素朴な秋の甘味にホットする
ゑびやの栗あん汁粉で胃袋と心を温めると、蘭川沿いの町営駐車場に戻り国道256へと折り返した。 そして、県道7に分岐して駆け上がったのは、長野県木曽郡南木曽町から岐阜県中津川市への境界を超える馬籠峠である。 落差のあるタフな九十九折れを上りきると、南信州を巡る行程を終え、観光客で賑わう馬籠宿に差しかかった。
長野県木曽郡旧山口村の馬籠宿は、2005年に平成の大合併で岐阜県中津川市に編入合併された経緯を持つ。 「木曾路はすべて山の中である」のフレーズで始まる小説「夜明け前」の舞台、その作者島崎藤村の出生地でもある馬籠宿が、木曽から美濃に取り込まれにはちと違和感があるが...実際のところ住民の意見も二分され、合併騒ぎの当時に馬籠宿を訪れた際には、宿場の通りに合併反対のプラカードが掲げられていたことを思い出す。
最終的には、長野県知事の反対を押して県議会で越県合併関連議案が可決され、歴史的な文化圏や地域のつながりよりも、明日の飯が選択されたということなのだろう。 結果として、合併後に馬籠宿は中津川市の観光の目玉となり、訪れる観光客も増加したとのことである。 アクセスの良いJR中津川駅から大型バスが訪れ、駐車場や宿場に観光客が溢れる様子を見るとそれもうなずける。
県道7のタフな九十九折れ、馬籠峠を越え南信州の旅を終える
馬籠宿の編入合併騒ぎには続きがあり、中津川市馬籠宿が木曽地方と地域振興と袂を分かった後に、2016年に妻籠宿をはじめとする木曽地域が文化庁の「日本遺産」の認定を受けることとなった。 色々ともめたのだろう、2020年に馬籠宿の島崎藤村宅跡がポツンと追加されたが、歴史的な地域文化と経済活動のギャップを象徴しているようで、かえって痛々しく感じてしまう。
一見同じに見えるコンセプトだが、地域の歴史や文化を後世に残すため、経済活動や暮らしに制約を設けてきた妻籠宿と、明治と大正の火災で全焼しながらもたくましく商売を続けてきた馬籠宿と、そのビジョンは全く異なっているようだ。
一概に良い悪いと言えるものでは無いが、旅の目的や求める旅情に応じて訪れ方や楽しみ方を考えたいところである。 健脚のあなたなら、バイク親父がライディングで冷や汗をかいた馬籠峠で、旧街道を行脚し健康的な汗をかいてみるのも良さげである。 そして、南信州を巡る旅に走り出した今回は、南木曽町妻籠宿で感じた古の宿場と暮らしの余韻を懐に、売り手と買い手で混雑する中津川市馬籠宿をやり過ごして旅を終えることにした。
その後、県道7が国道19に合流して中津川市街を抜けると、中央道中津川インターから名古屋方面へと帰路に着くことにした。 国道19の南側を並走する県道や国道で帰路に着くルートもあるが、これまでの移動自粛で鈍りきったバイク親父には、高速道路で手短な帰還が妥当なところだろう。
奥三河から走り出した下伊那郡根羽村を皮切りに、売木村、阿南町、泰阜村、飯田市、郡阿智村、そして木曽郡南木曽町へ、信州南端を西へトレースする行程を走り終え、走りごたえのある南信州らしい峠道を満喫することが出来たと思う。 道中で見かけた路側の電光温度計は、予報通り10~12℃の気温を示していたが、頻繁な切り返しが必要な峠道で親父の代謝が上がったのか、使い捨てカイロの世話になる必要はなかった。 まだ、もう少し、本格的な冬が訪れる前に、凍える峠道に足を運べるかなぁ...
今はただ、このまま新型コロナウイルス感染症が収束し、美しい日本の景色をまとった峠を繋いで歴史ある建物や文化を巡り、ライディングがどうのこうのと下らない蘊蓄をたれる日常が続くことを祈るばかりである。
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