2021/08/23 原点回帰茶臼山高原ツーリング(猿投神社、月瀬の大杉、きらく亭)

 収まる気配の無いコロナ禍、温暖化で頻発する熱中症警戒アラート、そして線状降水帯による集中豪雨と、次々に訪れる異常が日常になってしまった夏、己が何者か忘れぬため自分なりの変わらぬ日常へと独り走りだす。 たどったのは、東海環状道豊田藤岡インターを起点に矢作川沿いを遡り、茶臼山高原周辺の峠道を巡り折り返すルートである。 早朝に走り出し、地元愛知の食堂で遅めの昼食をとり帰路に着く行程をたどることにした。

 ところで最近のツーリングでは、高速道路をサクッと移動して緩やかな峠道をライドする、家族ドライブ並みの行程が当たり前になった感がある。 そして、”晴れたらふらっと”のタイトル通り、雨の気配を感じれば走り出しを躊躇する緩みっぷりなのである。

 しかし今回は、コロナ禍の在宅自粛で鈍りきった心と体の感度をリセットするつもりである。 走り続けることに意味があるなんて台詞を吐きつつ、還暦親父の体力と折り合いを付けながら、可能なバイク旅を続けて行くことに変わりは無い。 しかし、たまには鼻息荒く走り始めた頃の気持ちに原点回帰し、タフな行程に走り出してみるのも悪くないだろう。

 そんな親父の意気込みが天に届いたのか、盆休みを挟み居座った前線の影響で降り続いた豪雨、それが尾を引いたツーリング当日も、期待通り?の雨模様となってしまった。 しかし、一旦、雨を押して走り出すと開き直ってしまえば、かさ張る雨具を持参するのも鬱陶しい。 速乾性のインナーにメッシュジャケットを羽織り、濡れて雨雲をやり過ごす覚悟の出で立ちとなった。

 さらに今回は、快適な県道507(茶臼山高原道路)を避けて、県道80(天狗いろは坂)、ささぐれもみじ街道、そして県道10号線をつなげ茶臼山高原を巡ることにした。 集中豪雨で枝葉が散り砂が流れ出た林間、失速しそうな上り下りの九十九折れ...日頃は敬遠するであろうタフなコンディションの峠道が続くことだろう。

 そして最後は神頼み、旅の始まりに大碓命(おおうすのみこと)を祀る猿投神社に参拝して旅の安全を願い、帰路では月瀬の大杉に立ち寄り、樹齢1800年を超える巨木の気を分けてもらい旅を終えることにした。 パワースポット巡りに勤しむスピ系親父をめざすつもりは無いが、戦いを拒み冷遇されながらも地元信仰を集め続ける大碓の命の生き様、幾度もの伐採の危機を乗り越え地域に守られてきた御神木を前にすると、コロナ禍を乗り切るヒントが見つかるかもしれない。

井山川沿いの林間県道80を面の木峠へ駆け上がる

通称”天狗いろは坂、これでもかと続くタフな九十九折れ



ルート概要

東海環状道豊田藤岡IC-県13-県349→猿投神社-県349→深見常楽-(昭和の森北側市道)-県350→西広瀬町-県11→小渡-県356(奥矢作湖南岸)→押川大滝-国257→稲武町-国257→横川-県80→面の木峠-県80(天狗いろは坂)→前井口-ささぐれもみじ街道→東納庫-国257→設楽大橋東-県10→根羽村上町-国153→月瀬の大スギ-国153→大野瀬口→平沢町-県357→御蔵-県33→下川口-県11→御船町奥山畑→御船町山の神-市道(西広瀬工業団地道路)→亀首町前田-国419→きらく亭-国419→東海環状道豊田藤岡IC


ツーリングレポート


 ツーリングの朝、未明に起き出しカーテンを開けると、路面の水たまりに強い雨の波紋が重なっていた。 想定済みの雨ではあるが、ツーリング日和とは言えぬ景色にはやはり凹まされる。 しかし最近の空模様では、分厚いマダラ雲が局所的な集中豪雨を降らせ、その雲をやりすごせば晴れ間が広がる場合も多い。 早速、スマホの雨雲レーダアプリを起動させると、一時間もすれば、空を覆う雨雲が通り過ぎてくれることが分かった、まったくもって便利な世の中になったものである。 そして、その結果に気をよくした親父はゆっくりと身支度を整え、思惑通りに雨が上がりの街へと走り出すこととなった。

 さて、街中を抜けて東海環状道へと走り継ぐと、乾きだした路面を快調に走り豊田藤岡インターへと駆け降りた。 その後、県道349で東海環状道の高架をくぐると、ほどなく参拝する猿投神社総門にたどりついた。 社殿脇に無料駐車場が設けられているが、できれば総門から続く厳かな参道を進みたいところである。 

 県道349沿いに建つ猿投神社総門、厳かな参道が社殿へと続く


 さて猿投神社は、古墳時代の皇族大碓命(おおうすのみこと)を祀る神社、大碓命は日本武尊(やまとたけるのみこと)として知られる小碓命(おうすのみこと)の双子の兄にあたる。 この地方の開拓に尽力し、猿投山で毒蛇に噛まれて亡くなったと語り継がれている。

 左利きだった大碓命が、左鎌を用いてこの地の開拓に尽力したと伝えられており、それを慕って左窯を奉納して祈願する風習が残っているとのことである。 砂利が掃き整えられた参道を進み社殿にたどりつくと、中門脇に左鎌を模した沢山の絵馬が奉納され、現在まで続く地元信仰の深さを知ることが出来る。

 災難除けや交通安全などにご利益があるとされ、神社周辺で操業するトヨタ系企業の奉納も多く見られる。 このご時世、コロナ禍の収束を願う絵馬が目に留まる。 ツーリングの道中に訪れたバイク親父も、旅の安全と共にコロナ渦の一刻も早い収束を祈ることにした。

 そんな大碓命への地元信仰の強さに反して、古事記や日本書紀では討伐出征を拒み冷遇されたと伝えられているようである。 数々の英雄伝説が残る日本武尊と対極にあるが、権力に逆らって己の意思を貫き地元に貢献した大碓命を英雄と見るかどうか、参拝する側の人生観にもよるのだろう。

 偶然、以前のツーリングで猿投神社を訪れてその由縁を知り、祭神大碓命の生き様に共感して今回の再拝となった。 世の中では勝ち残った側の理屈で脚色されるのが常だが、世の中への貢献の仕方や共感できるコミュニティは無数にある、価値観を共有して共に苦労した仲間がいれば、成し遂げたものの価値や感動が受け継がれてゆくのである。 国の覇権争いに限らず、リーマン稼業のキャリア、そして日常の暮らしにおいても、その考え方に変わりはないと感じるのだ。

 猿投神社の参拝を終えて県道349に走り出すと、愛知県昭和の森沿いの峠道を抜けて矢作川沿いの県道11に合流した。 その後しばらくは、長く降り続いた大雨で濁り、水かさが増した矢作川沿いを遡り、愛知県の屋根茶臼山高原に向けて走り続けた。

県道11長く降り続いた大雨で濁り水かさが増した矢作川沿いを遡る


 県道11が小渡に差しかかり県道356に分岐すると、さらに矢作ダムがせき止めた奥矢作湖南岸へ向けて走り続ける。 走り出しこそ比較的緩やかで乾いた路面コンディションを楽しめるが、徐々に切り返しはタイトになり、大雨の影響で泥砂が流れ出し枝葉が散乱するタフなコンディションとなった。

 山肌から流れ出た土砂や散乱した枝葉を避けるラインを工夫しながら、何とかツーリングと呼べるそこそこのペースを維持して県道356を走りきる。 そして、国道257に突き当たったところで矢作川沿いから離脱し、稲武方面へ続く名倉川沿いの幹線国道257を茶臼山高原に向けて遡ることにした。

 原点回帰などと宣言してコンディションの悪いルートに走り出したものの、それが楽しいか楽しくないかと問われれば...やはり快適な峠道をお気楽に攻め込んだ方が楽しいに決まっている(笑)。 気持ち良いのは、旅を終えた充実感と共に、泥だらけになった相棒を高圧洗浄機で洗い流す時ぐらいだろうか。

県道356で奥矢作湖南岸をトレース、土砂や枝葉に覆われたタフな切り返しが始まる


 そして、国道257が稲武で国道153に交差して程なく、横川バス停から県道80へと駆けあがった。 茶臼山高原道路と面の木峠で交差する県道80、走り出しこそ快適な対向二車線が続いているが、名古屋市の稲武野外教育センターを過ぎるとセンターラインは消え、名倉川から遡る渓流井出川に沿った林間狭道が始まる。

茶臼山高原面の木峠に向けて鬱蒼とした県道80を駆け上がる


 面の木峠に向けて、気を抜くと失速しそうな九十九折れの上り、峠を越えるとさらに九十九折れ具合に拍車がかかり、天狗いろは坂と呼ばれる落差のある下りが始まる。 酷道とも呼べるこのタフな峠道を辿るのは何年振りだろうか、しかも雨上がりの乾ききらぬコンディションをヨタヨタと走る。

 還暦を過ぎてなお走り続ける昭和のバイク親父は、最新SSのトラクションコントロールやらパワーマネージメント機能の世話になりながら、峠の九十九折れで心と体のバランスを取り戻す。 セルフステアに身を任せなければ痛い目をみるのは、仕事や暮らし、娑婆の営みと同じなのである。  

県道80のタフな九十九折れ、天狗いろは坂を津具に向けて駆け降りる


 県道80が面の木峠を越えて天狗いろは坂を下りきると、津具集落に差しかかる手前でささぐれもみじ街道へと舵を切った。 津具集落から国道257へと下る広域農道は、十分な幅員もある快走ワインディングである。 思い切り攻め込んで、これまでの酷道で溜まったストレスを解放したいところだが、オーバーロード気味の還暦親父の気力と体力は伴わず、まったり流してクールダウンすることにした。 ささぐれもみじ街道の愛称通り路側に続く紅葉、紅葉の季節には紅葉狩り客で賑わ合いを見せるルートらしい。

津具集落から国道257へ下るささぐれもみじ街道、笹暮トンネルに振り返る


 ささぐれもみじ街道を国道257まで下り終えると、設楽方面へと舵を切り、原点回帰ルートの最終区間である県道10に向けて移動する。 設楽大橋東交差点から津具集落を貫けて根羽集落へ北上する県道10は、国道257から国道153へのバイパスルートとしても重宝するが、バリエーションに富んだワインディングを満喫できるルートである。

 それなりの交通量もあり整備された行程は、これまで紹介した酷道と同列に扱うには申し訳ないが、走り方によってはタフな峠道へと変化する。 特に津具集落を貫けて茶臼山高原道路折元ICに向けての駆け上がりは、タイトな九十九折れがこれでもかと続き、乗り手の気力とバランス感覚を試される。 天狗いろは坂の様にセルフステアに身を任せるべき状況もあれば、強引に切り返しながらトラクションをかけていくべき局面も存在する。

そして、己の力量と体力を見切りきれない業まみれの還暦親父は、走り終えて軋む体に、いたたたたっと、情けない声を上げることになる。 気持ち先行、走り出して自分を追い込むのは、ライディングも仕事も全くもって同じ(笑)

茶臼山高原へ駆け上がる県道10、タイトな切り返しは己を映し出す鏡


 県道10を根羽集落まで走りきると、矢作川沿いの国道153を豊田方面へと舵を切り、樹齢1800年を誇る月瀬の大杉に立ち寄った。 旧月瀬村の人々が私財を持ち寄り守ってきた御神木は、江戸幕府や明治政府による伐採を逃れ、現在も樹高40m、幹回り14mの樹勢を保っている。 長野県最大、国内6番目の杉巨木は、1944年に国の天然記念物に指定されている。

 ご存知の方も多いと思うが、月瀬の大杉には「大枝が折れると疫病が流行する」という地元の言い伝えが残っている。 早速、新型コロナウイルス感染騒ぎの前兆を探すもその痕跡は見いだせず。 一見バイク親父が伝説の真偽をあれこれ言う筋合いではなく、この里の日常に都会の感染騒ぎが及んでいないのかもしれぬ。

 地元の人々から”大杉様”と呼ばれ崇敬されてきた御神木、現在もこの杉が立ち続けているのは大杉様を共通の価値とした地元のコミュニティあってのこと。 大杉様がダメージを受けると疫病がもたらされるという伝説も、時の為政者からの理不尽な伐採要求を跳ねのけるための、したたかな保存戦略だったのではないかと思える。 確かに樹齢1800年の巨木は、切り倒したら禍が降りかかると思わせるに十分な神秘的風格を備えている。

樹齢1,800年を超える月瀬の大杉、毎度ちっぽけな己を感じる


 月瀬の大杉を後にして国道153に復帰すると、稲武を貫けて豊田方面へと走り続け、県道357に分岐してさらに県道33を繋ぎ、往路で辿った矢作川沿いの県道11へと折り返した。 そして、東海環状道豊田藤岡インターから帰路に着く前に、国道419沿いで営業する御食事処「きらく亭」に立ち寄り、昼の混雑を避けた遅めの昼食をとることにした。 

御食事処「きらく亭」、肉・魚・海鮮、豊富な食堂メニューがいただける


 これまで何度も訪れているお気に入りの食堂、相棒を停めて勝手知ったる店内に入ると、入り口でアルコール消毒を促され、疎らに間引きされてアクリル板で仕切られた席に案内される。 定番の唐揚げ定食、生姜焼き定食、そして海鮮ちらし丼など、充実した定食メニューの中から、今回も昭和親父のノスタルジーに触れるカニクリームコロッケ定食940円也を注文する。

 子供の頃、親に連れられ街の洋食屋でいただいたカニクリームコロッケ、半世紀以上の時が流れその時の正確な味など想いだせるはずも無いのだが...気取らぬ食堂でいただく洋食の盛り合わせとその美味しさに懐かしさがあふれ出る。

 配膳された膳には、デミグラスソースでいただく大きなカニクリームコロッケが三個、レモンをふってタルタルソースでいただく大ぶりのエビフライが二尾、このボリュームでこの価格はお値打ちである。 懐かしいばかりでなく、白いご飯が進む、進む...訪れるたびに、定食の王道を行く洋食を一気に平らげることになる。

 どこか懐かしい食堂飯は、昭和親父がオートバイ旅を続けるために欠かせぬもの。 感染対策に心を砕き商売を続ける食堂が、コロナ禍を乗り切って永く続いてくれるように、一食でも多くの定食をいただきたいものである。

カニクリームコロッケ定食を注文、ご飯がススム洋食をあっという間に平らげる


 大満足の定食を平らげて会計を済ませると、相棒と共に走り出す身支度を整えて、東海環状道豊田藤岡インターから名古屋方面へと帰路に着くことにした。

 走りだす前には雨模様の天気に凹むことになったが、実際に走り出す頃には雨も上がり路面も乾きだすこととなった。 濡れることを覚悟した親父は拍子抜けを食らうことになったわけだが、オートバイ旅の原点回帰を掲げたどったタフな峠道は、コロナ禍の在宅自粛で鈍りきった心と体をリセットするに充分であった。

 そして、猿投神社や月瀬の大杉を訪れ、コロナ禍の状況に色々な想いを巡らし、成り行きで政治や行政に身を委ねるだけでは、大切にしたい命やイデオロギーを守れぬと心に刻み直すこととなった。 自分が生きている間に、家族や己の命を守る態度、仕事や人生に向き合う態度が試される、そんな状況が訪れるとは思ってもいなかった。 想定していなかった時代だからこそ、平和ボケした親父が過去の歴史に学ぶことは多いのである。 


あとがき

 8月27日から愛知県にも4回目となる新型コロナウイルス対策の緊急事態が適用されることになった。 このまま成り行きで政治や行政の要請に従ってゆけば、家族や己の命、大切な価値観を守って行けるのか...奇しくも緊急事態宣言直前のツーリングで、猿投神社や月瀬の大杉に立ち寄り感じた教訓を、実践せねばならぬ状況に思える。


「バカの壁」

 強力な変異株により、接待を伴う飲食店に通う大人から保育園に通う園児まで、社会全体を巻き込んだ感染ループが生じる現在、感染者が増えたら出される自粛要請の繰り返し、自宅療養に委ねられる感染の封じ込めで、ここまで広がった拡散を収束できるのか疑問を覚える。 社会全体に網をかけられる強制力を持った対策とそのための法整備が急がれるのではなかろうか。  少なくとも収束が長引けば、死ななくて良い犠牲者が増えることは間違いない。

 養老孟司「バカの壁」(新潮社)で論証された通り、人間はそれぞれ勝手な常識を持ち、その常識から外れると無関心になり脳への入力は遮断され、いわゆる話しても分かり合えない「バカの壁」が存在する。 特に最近は、コロナ禍の自粛要請を巡り、「バカの壁」感じることが多くなってきた。

 やはり、感染抑制策には、行動自粛やワクチン接種など、背景の危機意識も含めてその必要性を共有できない人達が存在することを考慮すべきなのである。 それ以前に、戦時下に匹敵する命の選択が必要な状況を考えると、政治や行政から提示される施策や日程間との間に、バカの壁を感じてしまうのだ。

 既に、社会的な感染拡大リスクがあることを知りながら“挑戦”した国家イベントで、死ななくても良い犠牲者が出た可能性を否定はできないだろう。 今更ながらではあるが、「国民の命と暮らしを守ることが第一」と言うのなら、東京オリンピック施設を閉鎖して、新型コロナウイルス感染者の療養施設を開設するくらいいのことをしても良いのではないか。 そいう決断と行動力を示した方が、国際的も一目置かれる国になったのではなかろうか。 今はただ、「国民の命と暮らし...」いうセリフが空々しく、選挙ばかりを意識した大義無き舵取りばかりが目に付いてしまう。


行動自粛

 個人的には、二度のワクチンを含めやれることはやりつくした感がある。 己の自粛の上積みが、拡大した感染の抑制にどう繋がって行くのか、収束する姿が想像できずに閉塞感ばかりが積もっている。 

 昨年の緊急事態宣言以降、不織布マスクや手洗いアルコール消毒は日常となり、在宅勤務で同僚と顔を合わせることは無くなり、世話になった退職者の送別会や30年以上続くOBツーリングも消えた。 公共交通機関の利用は控え、九州で一人暮らす父親の顔も見ていない。酒宴はもちろん、旅行、ライブ演奏、ケータリング、趣味を通じた地域友人との交流は全て途絶えている。 日々の暮らしでは、買出しを極力控えてネットスーパーを利用、外食では感染対策を講じる店を選び飲酒も控えている...そんな状況で、改めてオリンピックイベントへの参加自粛や飲酒の自粛を要請されてもピンとこない。

 前述の通り、自粛要請による社会的な感染抑制の道筋は見えないが、それを前提にした家族や己の命を守るためと考えれば、やるべきことが見えてくる。 感染の封じ込めが自己責任の自宅療養に委ねられる状況、2m以内で空気感染する変異株の感染力を考えると、日々の暮らしの中で避けたい局面がさらに増えてくるのだ。


ポストコロナ禍

 社会が成熟してくると、個々の価値観の多様化やイノベーションにより、人間を集中させて効率を上げる仕組みも変わってくる。 大怪我の功名ではあるが、コロナ禍の影響で社会の成熟が加速しているように見えるのだ。

 日本ではまだまだ時間がかかると思っていた、裁量労働、休日の分散、そして在宅勤務も一気に普及してきた。 コロナ禍が収束すれば、本来の目的である個々の人生を楽しむ働き方や、生産性を上げる働き方として機能してゆくのだろう(シビアに成果を問われる側面もあるのだが)。 このような働き方の多様化に伴い、価値観の多様化はさらに相乗加速して、より文化的で多様な製品やサービスのニーズが生まれてくると考えられる。

 一方今後も、AI、ロボット、そしてネット注文にドローン等々、生産から物流にかかる効率化は技術的なイノベーションによって進むのだろう。 貴重な人材は、その職人にしか創れないもの、その地域でしか創れないもの、そこでしか提供されないサービス等々、より文化的で多様な製品やサービスへと向かうのではなかろうか。

 漠然としたつかみどころのない話で恐縮だが、重要なことは、政治や行政がそのような議論を重ね、国民に我が国の将来のビジョンとして示すこと、そして国民は選挙を通じて意思表示することではなかろうか。 諸行無常の世の中にそんな予測ができるものか...という声が聞こえてきそうだが、予測ではなくこんな国にしたいという目標の共有である。

 日本の高度経済成長政策を理論的に支え、バブル期にも一貫して日本のゼロ成長理論を唱え、貿易摩擦で言われっぱなしのアメリカに反論しながら亡くなった下村治。 彼ならば、国内需要と供給、輸出と輸入、どんなバランス政策を打ち出すのか、できるなら強力な志と共にゾンビ官僚となって蘇ってほしいものである。

 将来ビジョンの無い現状の社会構造ありきで、成り行きの社会インフラ投資等を進めてしまうと、長良川河口堰のような事態が発生することになる。 完成した時には経済の減速と技術革新で工業用水の需要が激減し、いらない水を住民が水道料金として買わされているのが実情なのである。 これは一公共施設工事だけの教訓ではなく、国全体のかじ取りが学ぶべき失敗のはずである。


守りたいもの

 我が国の将来ビジョンも重要だが、残念ながら還暦を迎えたリーマン・バイク親父が、その結果を見ることが出来るかどうか微妙なところである(笑)。 一方で、還暦を迎えてなお親父の業は深く、リーマン稼業で創造したい価値や、バイク旅で心に刻みたい景色はてんこ盛りである。

 一見、日本の将来ビジョンとリーマンバイク親父の日常とは無関係に見えるが、年寄りが社会貢献できる日常、人生を通してオートバイを楽しめる日常、いずれも成熟した日本社会に必要な文化ではなかろうか。 国のかじ取りは政治や行政に期待するところが大きいが、己に残された人生で文化的な日常を送るためにもやることは多い。

 せっかく欧米に近づいた在宅勤務をはじめとするフレキシブルな働き方を、コロナ禍の一時的なものに終わらせないために、共感し成果を共有する仲間を増やしながら、仕事の成果や生産性を示すことにもこだわって行きたいものである。 矛盾するようだが、雷が落ちなければ変化を受け入れるのが苦手な日本人には、既成事実を積み上げておくのが一番効果的だったりする(笑)

 そして、手に入れた時間で心に刻むバイク旅に、昭和親父のノスタルジーを刺激する食堂は欠かせない。 昔ながらの店構え、内装、そして定食メニュー、五感で懐かしさを感じる地域の食堂は、歯抜けになった親父の記憶をつないでくれるのだ。 

 そんな食堂に、なんとかコロナ禍を乗り切って欲しいと切に願っている。 世代を超えて地元で愛されてきた店に、客足が途絶えることは無いだろうが、高齢者が多い店主のモチベーションが保たれるのか心配なところである。 惜しまれながらも店じまいされる原因は、後継者がおらず体力的に続けられなくなることが多いのではなかろうか。 緊急事態宣言の休業補償とは別の切り口での行政支援が必要なのだろうが...地域社会の食堂文化を守るというレベルまで昇華していないのが実情かもしれぬ。

 己にできることは限られるが、地域の食堂文化を支える店を最新のバイクで訪れ、一食でも多くの懐かしい飯を食らい感謝の言葉を届けたい。 そして、共感してくれる人達に情報を発信し続けたいものである。 コロナ禍の感染防止はもちろんのこと、来店が客側の勝手な押し付けにならぬようアンテナを張るのが前提となる。


ツーリング情報


猿投神社  愛知県豊田市猿投町大城5 電話(0565)45-1917

月瀬の大杉公園  長野県下伊那郡根羽村 電話(0265)49-2111(根羽村役場)

きらく亭  愛知県豊田市亀首町山ノ上1-1 電話(0565)47-7763 


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