短期と長期(ガン治療の顛末)
昨年2020年10月に還暦を迎えるとともに受けたガン宣告、そんなプロフィール紹介とともに"晴れたらふらっと”を再スタートすることになってしまった。 旅先や日常で感じることの背景として個人的な事情をお知らせしたのだが、サイトを覗いてくれた友人達から心配の声をかけられることになってしまった。 心配してくれた方々には感謝の言葉しかないが、おかげさまで告知後の治療の経過は良好で、仕事やプライベートに以前にも増して充実した日々を送らせていただいている。
ガンと言えば、日本人の二人に一人が発症し、三人に一人が亡くなる身近な病であるが、いざ当事者になってみると少なからず世の中の見え方が違ってきた。 世の中の見え方が違ってきたと言えば、人生観が180度変わってしまったような言い回しだが、逆にこれまで自分が大切にしてきたことをより強く意識するようなった。
前置きが長くなってしまったが、そう思えるようになった事の顛末を、ガン告知から治療をおえるまでの経緯に沿って綴ってみたい。 ほんの少しでも、充実した人生を送るためのヒントのようなものがお伝えできれば、ジタバタとあがきまくった甲斐もあったというものだ。 当然の話ではあるが、医学的な素人患者の主観に基づく体験談なので、それぞれの事情に合った適切な対応を専門家に相談していただきたい。
定期健診
今から遡ること二十数年前...会社の定期健康診断のエコー検査で数cmの影が見つかり、会社から紹介された総合病院で精密検査を受けることになった。 精密検査の結果は問題なく無罪放免となったのだが、同じことが起こったときに同じ幸運を手にできるとは限らない、何も手を打たなかったことを後悔すると思った。 数cmの影が映り込むまで再検査に回されないのであれば、一般的な職場健康診断で悪性腫瘍の早期発見ができるのか? という疑問が湧いたのである。
永年製造業の技術畑で生きてきた我が身ゆえ、何もないところに潜む欠陥やその兆候を見つけ出すことの難しさは身に染みている。 確認すべき要因とパラメータを漏れ抜けなく把握して、過渡的な変化で表出する前の兆候をつかむ必要もある。 裏付けのある仮説を導き出す経験値がモノを言うが、何よりその前提として、当事者意識をもって全体を俯瞰した判断が成される必要がある。
定期健診への不安の理由に、検査方法や経過管理すべきパラメータの精度もあるが、最大の要因は全体を俯瞰した総合診断をくだしてくれる医者、いわゆる専門家の顔が見えなかったことである。 健診の舞台裏では親身な検討が成されていると信じたいが、放射線科医や検査技師の部分的なコメントだけが、右から左に流れて行くプロセスに限界を感じた次第である。
主治医
その二十数年前の再検査騒ぎで、信頼できる主治医に出会うことになる。 精密検査のために紹介された総合病院に勤務していた医者が、二十数年後に、直径約5㎜に満たぬ早期ガンを発見してることになった。
精密検査のために訪れたのは、診察時間前から大勢の患者が列をつくる地域の総合病院、後に主治医となるその勤務医は、他の医者や看護師も出勤していない早朝の診察室で一人診察を始めていた。
診察が始まると、放射線科医や検査技師のコメントを参考にしながらも、一次データで気になるところを一から読影し、患者にそのプロセスを見せながら合意判断を導くスタイル。 安易に大がかりな検査を示唆する放射線科医のコメントに、言うのは簡単だが受ける方のストレスも考えろと憤りを口にしたりする。 そして、素人ゆえの直球の質問を投げかけると、画像や数値データを並べて解釈とリスクを説明してくれる、分からないことには分からないとはっきり答えてくれる。 そして何より結果が心配だろうからと、良好だった検査結果を自宅まで連絡してくれたのである。
この医師の仕事に対する真摯な態度や、患者に寄り添う姿勢に強い共感を覚え、その志に信頼で応えて身をゆだねようと思った。 患者が現実を正しく受け止めて、場合によっては人生を締めくくる判断を見出すために、専門家として包括支援してくれる主治医を探すことは容易ではない。 それ以降、この主治医のもとに通い、定期健診をうけさせてもらうことにした。
しかし、半年毎の検査メニューを相談して通い出した矢先、その主治医は勤務していた総合病院から地方の診療所へと転勤することになった。 とりあえず、データが残る総合病院に足を運んでみるも、新しい担当医の流れ作業に見える対応に馴染めるはずもなく、かつての主治医を追いかけて田舎の診療所へと転院することにした。 申し分ないキャリアだが異なる学閥、目立つ患者優先の勤務姿勢等々、主治医が診療所に転勤するに至った理由を邪推する。 設備が整わぬ診療所ゆえに、母体の総合病院への検査委託などの手間はかかるが、その分患者が少ない診療所でしっかり相談できる方がありがたい。
診断
定期健診に通い出して二十数年が経ち、主治医とお互いの定年後のプランなどを雑談する年になった頃、検査メニューに組み込んでいた腫瘍マーカーの数値がわずかに上昇していることを告げられる。 念のため、定期健診のエコー検査に造影CT検査を追加して、重篤な所見が無いことを確認したうえで、次回の健診のタイミングを前倒しにすることにした。 そして、さらに腫瘍マーカーの数値が上昇傾向にあり、母体の総合病院で全身の精密検査を依頼してもらうことになった。 血液検査に腹部エコー、そして全身の造影CT、造影MRI、胃カメラ、大腸カメラ...各検査医師の異常所見なしの結果に、総合病院で窓口となった医師からは、「腫瘍マーカーが少し上がったぐらいで大騒ぎしてはいけない」と諭される。
そして、”異常所見無し”のお手紙と検査データを携えて診療所の主治医の元に戻ると、一次データの見直しが始まり造影MRIの読影で、肝臓に直径5㎜に満たぬ腫瘍らしき影が見つかった。 造影剤の代謝に伴うわずかなコントラストの変化は素人には解釈困難で、アナログな経験値がものを言う世界であることを再認識する。 病巣を狙った造影エコー検査を追加委託してもらい、ステージⅠのガン診断が確定した。
型どおりの定期健康診断では難しかったであろう早期発見に、二十数年前にこの主治医の元に通うことを決めた己の判断が間違っていなかったことを確信する。 信頼に応えてくれた主治医には感謝してもしきれないが、それ以上に、主治医の仕事に対して妥協しない姿勢が何のためだったのか、我が身をもって知り得たことがうれしかった。 アドラーが提唱した”共同体感覚”がどういうものなのか、人が一人では生きて行けない所以も改めて知った。 全て思い通りになるほど世の中は甘くないが、だからこそ、共感することにより、どんな結果になっても後悔しないと思える意味は大きい。
ガンの診断が確定した還暦親父、病院エレベータで思案に暮れる
陽子線治療
診断確定を受けて専門外科のある総合病院へと舞い戻り、診療所主治医から名指し紹介してもらった内科医師と治療方法を相談することになった。 長くなるのでその経緯は割愛するが、結果的に選択したのは放射線治療に分類される陽子線治療であった。 x線、γ線、電子線を用いた放射線治療に比べ、病巣に放射線量を集中できる陽子線治療は、正常組織へのダメージを抑え、高い治療効果が得られる特徴を持つ。
難点と言えば健康保険の適用が開始されたばかりで、2020年10月の時点で自分が発症したガンは保険診療の対象外であった。 最新型のZX-10RR程度の治療費の持ち出しとなるが、先進医療保険に加入していれば費用面での負担感からは解放される。 それよりも気になるのは、内視鏡手術等の治療に比べて実績が少ないという点であろうか。 治療を請け負ってくれる陽子線治療センターで、治療方法を模索する患者の疑問に対し、根気強く答えてくれた医師の対応に感謝するばかりである。
陽子線治療では、プラズマ生成したプロトン陽子をシンクロトロンで加速して、最大で光速の60%まで加速して病巣に照射する。 陽子線は特定の深さでブラックピークを持ち、放射線量を腫瘍に集中して正常細胞へのダメージを抑えられる、ってところまでは学校でお勉強した記憶がある。
確認したいポイントは、選択的な治療効果を得るための前提として、高精度な陽子線ビーム形成と位置合わせが可能であることである。 数㎜の腫瘍治療でその効果を得るためには、少なくとも同程度の精度が必要であろう。 個体に合わせた静的な照射量制御も難しそうだが、さらに呼吸などに伴う動的な位置合わせの理屈は皆目見当もつかなかった。 陽子線発生装置や照射装置など個々の精度に懸念は無いが、患者とのインターフェースやオペレーションを含めた包括誤差が気になるところである。
陽子線治療センターの模型、光速の60%まで加速したプロトン陽子をガン病巣に照射する
ビーム形成
シンクロトロンでプロトン陽子をどこまで加速するかによってブラッグピークを得る深さが設定される。 治療を受けた陽子線治療システムは二重散乱方式なので、まずは加速されたプロトン陽子線が散乱体で20㎝前後の均一なビームに広げられる。
その後病巣の位置と形状に合わせて、金属製のコリメータでビームを縁取りし、ポリエチレンブロックに蟻地獄のような穴を削ったポーラスで、深さ方向にビーム形成される。 要するに、削り残したポリエチレンの厚さで陽子線の減衰量、すなわち陽子線の打ち込み深さを制御する。
思ったよりもアナログな手法であったが、それゆえに設計通りの型ができあがってしまえば、照射治療の度にビーム形状がばらつくことは無さそうだ。
位置決め(静的)
ガントリーと呼ばれる360deg回転する巨大な高精度照射装置、X線画像で高精度に病巣の位置合わせする照射台、それぞれの工程が高精度のスペックを謳うが、全ての誤差を足し合わせると照射精度が破綻するのではと懸念した...のだが、ちと痛みを伴う種明かしがあった。
マーカーと呼ばれるAuペレットを病巣近傍に打ち込み、そのマーカーを基準に最終的な照射位置を合わせ込む。 マーカーの埋め込み処置は、簡単に言うと、ちと太めの注射針を内臓まで刺して微細なAuペレットを打ち込むというもの。 内蔵からの出血防止と経過観察のため一日の安静入院が必要になる。
位置決め(動的)
陽子線照射環境を再現した4次元CTで(4次元の意味は、時間軸を加えた3次元モデルをつくるため)、呼吸による病巣の動きを再現した人体モデルを作成し、個体に応じた照射計画が作成される。 また、4次元CTによるダイナミックモデル作成に加えて、X線撮影で測定された病巣(マーカー)の移動量で照射計画が補正される。
ここで言う照射計画なるものは、呼吸を吐ききった状態を狙う照射タイミング、さらに照射方向と照射量の分割を決めて、どのように総合照射プロファイルを実現するのか決めることである。 私の場合は、3方向からの照射に分割し、2/3回の照射を10日間に分けて実施する計画となった。 腫瘍の発生位置や必要な照射量によって、正常細胞へのダメージが懸念される場合、照射方向や回数の分割を増やす計画が立てられる。
さらに、照射シミュレーションのオプティマイズがどこまで成されているか興味は尽きないが、腫瘍が細胞死するだけの照射量マージンの設定と、包括照射精度の実績を担当医師に確認し、陽子線治療に身を委ねるための踏ん切りをつけた。
4次元CTモデルによる陽子線照射シミュレーション
治療
実際に照射治療が始まると、体形に合わせて成型した熱可塑性樹脂板で照射台に固定され、まずはX線画像をモニターしながら骨格で照射台位置を調整し、病巣近傍に打ち込んだマーカーのずれが10㎜を越えた場合は、別途CT撮影で病巣位置を再確認することになる。
そして、静的な位置決めが終わると照射方向毎にポーラスがセットされ、照射する体表位置をレーザー変位計でモニターしながら、呼吸を吐ききった基底状態に合わせて陽子線が照射される。 陽子線治療の痕跡は、ビーム形状に日焼けした皮膚くらいで、痛みなどの自覚症状は全く伴わない。 シミュレーション通りの治療効果が得られたかどうか、正常細胞へのダメージを抑えられたかどうかは、3~4か月後の造影MRI画像や血液検査を待つことになる。
治療結果
9月中旬の健診の異常所見、10 月初旬のガン診断確定、そして10月末に陽子線治療を終え、いよいよ2021年が明けた1月下旬に、治療後初の検査結果に臨むことになった。
そして冒頭でお伝えした通り、いずれの検査結果も良好で、造影MRIの画像でシミュレーション通りの陽子線照射が成されたこと、それを裏付けするように陰性に転じた腫瘍マーカーで期待通りの治療効果が得られていることが分かった。 また、その他の内蔵機能にも陽子線治療のダメージは認められなかった...それどころか、永年の酒浸りの暮らしを改めた効果か、全て正常範囲の血液検査データを授与され帰路に着くことになった。 人生の目的とその手段である生活習慣が逆転せぬようにしたいが、身をわきまえた摂生の必要性を戒められることになった。
丁度、ガン宣告と共に還暦を迎えることになってしまったわけだが、前のめりに仕事を続けながら治療を終え、LOQ(Life Of Quality)の向上を理念として掲げる陽子線治療の恩恵を実感することとなった次第である。 小さな病巣を見つけ出してくれた主治医をはじめ、治療に関わってくれた人たちの顔が浮かび感謝の想いが湧いてくる。
短期と長期
いざ悪性腫瘍を患う当事者になると、「早期発見で良かった」「治療がうまく行って良かった」で終わらない実情が身に染みる。 具体的には、全治何か月の見立ての代わりに、治療実績として経過年数毎の生存率や再発率と向き合うことになる。
これまで、「短気は悲観的に、長期は楽観的に」を信条に生きてきたつもりである。 短期的にふりかかるリスクに対してはやるべきことをやる、逆に顕在化していない不安を抱え思い悩んでもしょうがない、って主旨である。 実際のところ、それらを混同すると、無駄な心配ばかりを抱え込み、必要なことが何も解決できなくなる。
そんな背景から、先になるほど低下する生存確率を、楽観的に受け入れるにはちと無理があった。 しかし冷静に考えると、年齢と共に生存確率が低下するのは当たり前の話である。 違っているのは、それをシビアな数値データとして突きつけられることだが、その反面生存確率が低下する要因が明確になっている。 治療した病巣からの再発、同一臓器内での再発、多臓器への遠隔転移...それらのリスクを短期のリスクとして策を講じ、長期的な不安を排除しておきたいところである。 再発したらどうしようと怯え暮らすのではなく、必要な処置が講じて楽観的に人生を楽しめるようにしたい。
そこで振出しに戻る...後悔せぬために、己の納得がゆく策を講じたい素人親父に向き合い、専門家として全体を俯瞰した示唆を与えてくれる主治医の存在が不可欠なのである。
大勢の患者が行列する総合病院の診察室、良好な検査結果を土産にもらっても動きしぶる親父がこだわっていることを、多忙な医師にチャント伝えるのは容易でなない。
助けていただいた方々への敬意と感謝を忘れることは無い。 しかし、医療機関、医師、そして治療方法等々、必要な情報を集め何を選択するのかは、患者の権利であり責任でもある。 受け入れがたい現実をも受け入れて示すことができる態度価値、それがいかなる状況においても人生が意味を持つ所以なのである。
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