2024/05/11 遠州青もみじ狩り、法多山尊永寺で厄除だんご(スズキ歴史館、ヤマハ発動機コミュニケーションプラザ、とん汁桝形)


 季節は夏の兆しを感じる立夏にさしかかり、いよいよ本格的なツーリングシーズンへと突入した。 この季節、新緑に彩られる山間のワインディングをたどるのが恒例であるが、今回は名古屋から海沿いの幹線国道バイパスを東へたどり、厄除観音で知られる遠州の古刹法多山尊永寺へと走り出すことにした。 参道を紅く染める紅葉で有名な法多山だが、初夏の爽やかな日差しに透ける青もみじが見頃を迎えていることだろう。

 たどった往路は、名古屋から国道23号名四バイパスを、知立バイパス、岡崎バイパス、蒲郡バイパス、豊橋バイパス、そして豊橋東バイパスへと走り継ぎ、さらに道なりに国道1号潮見バイパス、浜名バイパス、そして浜松バイパスへと走り継いだ。

 その後法多山への道中では、現浜松市で創業したスズキとヤマハ発動機の広報施設を訪れることにした。 大人の社会科見学とばかりに、両社の歴史やブランドの違いなどレポートできればと思う。 そして昼食には、天竜川を渡った県道沿いにある大衆食堂「とん汁桝形」に立ち寄り、地元常連客で賑わう食堂で滋味深い豚汁と新鮮な旬の魚をいただいた。

 そして青もみじに彩られた法多山尊永寺では厄除観音様に参拝後、名物の厄除団子で一服して帰路に着く予定である。

 遠州の街の中心部を巡る何とも盛りだくさんの行程となったが、股火鉢とも称されるW800の空冷エンジンゆえ、本格的な夏を迎えるまえに楽しんでおきたいところである。


法多山尊永寺への道中、茶摘みを待つ新茶畑の瑞々しい景色が広がる



ルート概要


国23(名四国道,知立バイパス,岡崎バイパス,蒲郡バイパス)→蒲郡西IC-国247→豊岡平田門-県368(国坂峠)-県373-県31→豊川為当IC-国23(豊橋バイパス,豊橋東バイパス)-国1(潮見バイパス,浜名バイパス)→篠原IC-国257→スズキ歴史館-市道-国1(浜松バイパス)→新天竜川橋(渡った堤防道路)→天竜川橋東-県261→とん汁桝形-県413→富士見町西-市道→ヤマハ発動機コミュニケーションプラザ-市道(新明ヶ島橋)-県251→法多山尊永寺-県251-市道-県253-国1(袋井バイパス)→堀越-県61→東名高速道袋井IC


ツーリングレポート


 名古屋市内から早朝の国道23号名四バイパスへと走り出し、知立バイパス、岡崎バイパス、蒲郡バイパスへと信号停止の無い高架バイパスを東へと走り継ぐ。  高速道路をつかって一気に目的地まで移動するのも良いが、程よい速度でライディングを楽しめるバイパス国道の旅も良いものである。 特にこの季節、W800streetの空冷二気筒360°クランクエンジンの乾いた排気音を聴きながら、信号停止の無い初夏の快走バイパスをクルージングするのは爽快である。

 工場が点在する住宅地や農耕地を見下ろしながら走り続けると、蒲郡バイパスが板野トンネルを貫けた山間の眼下に、蒲郡市街越しに初夏の朝日に光り輝く三河湾の景色が広がった。 残念ながら停車可能な展望スペースも無く、走りながらデジカメのシャッターを切ってみるも...毎度のことながら、親父の目に映る感動を伝えるのは難しい。 


国道23蒲郡バイパスで板野トンネルを貫け、眼下に三河湾の眺望が広がる


 その後蒲郡バイパスを蒲郡西インターで降りると、国道247を経由した県道368で国坂峠を越え、為当インターから豊橋バイパスに駆け上がった。 この蒲郡バイパスと豊橋バイパスの未接続区間は、2024年度中の開通をめざして現在も工事中である。 名古屋から浜松まで信号停止の無い高架バイパスが繋がるのは嬉しい限りだが、ワインディングとは無縁のツーリングには、この繋ぎ区間の峠越えが程よいアクセントになる。

 できれば、三河湾を見下ろしながら遠望峰山(標高436m)、五井山(標高454m)を尾根伝いに縦走する三河スカイラインにを経由したいところだが、現在も国坂峠側の入り口には道路決壊による通行止めが掲示されている。 実際のところ、2006年に無料化されてから荒れ放題の路面を楽しむには、かなりロバストなライディング技術とメンタリティが必要だろう。


国坂峠を越えて蒲郡/豊橋バイパスを繋ぐ、三河湾スカイラインは現在も通行止め


 国坂峠を越えて為当インターにたどり着くと、国道23豊橋バイパスに駆け上がり浜松方面へのクルージングを再開した。 その後、豊川橋で三河湾に注ぐ豊川河口を渡り三河港を抜けると、豊橋東バイパスで農業王国として知られる渥美半島の田園風景の中を走り続ける。

  そして国道23豊橋東バイパスは道なりに国道1潮見バイパスとなり、潮見トンネルを貫けルと同時に遠州灘越しに太平洋の水平線が広がった。 何度訪れてもㇵッとする絶景に、利便性を追求したバイパス国道の旅も悪くないと思い直す。


国道1潮見バイパスで潮見トンネルを貫け、遠州灘の眺望が一気に広がる


 さらに国道1は浜名バイパスと名前を変え、延々と続く砂浜越しに遠州灘を臨みながら、浜名大橋で浜名湖と遠州灘がつながる今切口を渡った。 久しぶりに遠州灘沿いを走り、かつて砂浜側からバイパス側を眺め駆け回っていたことを思い出した。 昭和、平成、そして令和へと車両の乗り入れ規制も進み、ウミガメの産卵時期を避けるなどの自主規制だけでは、それも叶わぬご時世となった。

 コンプライアンスまみれの世の中にはなったが、迷惑系な方々の報道を見聞きすることも多く、日本人の倫理観が退化したことの裏返しだとも感じる。 個々の道徳観に委ねて概ね心地よく暮らせた昔が懐かしい...ってのは、昭和親父の身勝手な想いである。


国道1浜名バイパス(浜名大橋)で浜名湖が遠州灘と繋がる今切口を渡る


 国道1浜名バイパスを走りきって篠原インターで降りると、国道257を経由してスズキ本社前にある「スズキ歴史館」に立ち寄った。 戦後日本の高度経済成長時代、庶民のモータリゼーションと共に成長したスズキの歴史が展示された広報施設である。 昭和親父のノスタルジーをくすぐる、懐かしい車とバイクの展示が充実している。

 見学は無料だが、事前のネット予約が必要である。 しかし、厳密な訪問時間は問われないので、行程時間がよめぬツーリング途中でも問題なく立ち寄れるだろう。


スズキの広報施設スズキ歴史館、昭和おやじのノスタルジーをくすぐる展示


昭和親父の記憶に残る二輪、四輪の展示が充実している


 そんな展示の中で、昭和のモータリゼーションの普及と共に成長したスズキの成功体験を象徴するのが、「アルト47万円」の展示であろうか。 当時のその衝撃的な低価格が、競合車や家電や生活用品などと比較されている。 そういえば当時のパソコンはこれ位の値段だったよなぁなどと、学生時代の財布事情と共に懐かしく思い出される。

 実際のところ、その昭和の成功モデルをインド市場に展開したスズキは、急成長するインド国内の乗用車シェアNo.1を実現している。 しかしその事業実績よりも感心するのは、他社がしがみつく中国四輪市場から潔く完全撤退した点である。 大きく見栄えの良い車しか売れぬ市場に、スズキのブランドが合わなかったこともあるのだろうが...そんなことを考えながら展示解説を眺めていると、リーマン稼業の仕切り直しを迫られる還暦親父が、スズキの経営に学ぶべきものは多い。

スズキのブランドを象徴する「アルト47万円」の展示


 そして個人的に忘れず見学したいのが、1988年世界GP初戦となる日本GPで、ケビン・シュワンツが世界GP初優勝を果たしたRGV500Γ(Works)である。 その勝利は、3年間WGP活動を休止していたスズキにとっても復帰後初のWGP優勝となり、そしてK.シュワンツはこのRGV500Γで、1933年の世界GP500ccチャンピオンを獲得している。

 当時のK.シュワンツの揺れるようなスライド走法は、マシンの進化でより過激になった現在のモトGPのライディングに比べても十分に刺激的である。 戦うために駆使したであろう独特のライディング・フォームだが、レースとは無縁のツーリング親父がロバストに峠を楽しむためのヒントがたくさん詰まっているのだ。

  その後スズキは、リーマンショックや東日本大震災の影響でMotoGP活動を休止したものの、2015年にGSX-RRで復帰したチーム・スズキ・エクスターは、2020年にジョアン・ミル選手のMotoGPチャンピオンとチームタイトルの2冠を獲得した…のだが、タイトル争いの真っ最中の2022年には、MotoGPからいきなり完全撤退を宣言することになる。 カーボン・ニュートラルの世相を背景に、MotoGPへの投資に見切りをつけたのだろうが、さっさとそれをやるのがスズキ、というよりも鈴木さんらしい(笑)。


K.シュワンツがスズキのWGP復帰初戦となる鈴鹿GPで初優勝したRGV500Γ


 スズキ歴史館の見学を終えると市街地を抜け、国道1浜松バイパスで磐田方面へと走り出した。 国道1浜名バイパスの高架道路から道なりに走り継げる浜松バイパスだが、市街地を抜ける下道国道ゆえに信号停止の煩わしさは否めない。 それでも、浜松中心部の混雑を海沿いに迂回するバイパス国道はそれなりに流れ、ほどなく新天竜川橋で天竜川を渡り浜松市から磐田市への市境を越えた。

 そして、天竜川を渡った直後に堤防道路へと分岐し、昼食をとる予定の創業昭和28年の大衆食堂「とん汁桝形」にたどり着いた。 昼食には少し早い時間帯だったが、店内はすでに沢山の地元常連客で賑わっていた。 なぜ常連客と分かるかというと...注文から配膳までのルーティンに特徴があり、お馴染みさんはその「入店3分でごはんととん汁」システムで(笑)、段取りよく注文を済ませているのだ。


天竜川を渡り、地元常連客で賑わう大衆食堂「とん汁桝形」で早めの昼食


 W800streetを店前に停めて店内に入り、なりゆきで盆とおしぼりを手に総菜ケースから好みの総菜を選んでいると、店員の女性がごはん(大,中,小)と、とん汁(中,小)または味噌汁の注文を聴きにきてくれる。 その後、惣菜を盆にとってテーブル席に着くと、最初に注文したごはんととん汁が配膳され、選んだ総菜と合計した伝票をくれるので、食後にレジで会計を済ませれば良いことになる。

 実際に、好きなものを選んでテーブルに付けば、すぐにご飯ととん汁にありつけるので、「入店3分でご飯ととん汁システム」という肩書も大げさでは無いのである(笑)。 最近は、モバイル端末や携帯アプリを使った注文システムを目にすることが多いが、昭和親父にとっては枡形のアナログなしくみが心地よい。

 さて、前置きが長くなってしまったが肝心の料理に付いてふれてみたい。 天竜川の水で育った地元磐田米にこだわった炊き立てご飯は、一杯まで無料とのことである。 そして、豚肉、豆腐、ねぎ、季節の野菜と具沢山のとん汁は、三日かけて仕込んだでコクのある出汁、三種類の合わせみそはあっさりと仕上げられている。

 そしてなによりもこの店に立ち寄った理由は、超新鮮な刺身をリーズナブルにいただけることである。 今回は、トロトロのマグロ刺身とネギトロ盛り合わせ、枡形からほど近い福田漁港で水揚げされた旬の生シラスを選び盆にのせた。 刺身の付け合わせに盛られた大根のつまは、テーブルのドレッシングでサラダ感覚でいただける♪

 これで、主役のご飯(中)とん汁(中)と合わせて1,300円也ってのは破格のコスパであろう。 大衆食堂を謳うらしく、煮魚や焼き魚、肉料理、揚げ物、小鉢類も充実しているが、新鮮な旬の刺身目当てに再訪決定の食堂飯であった。


具沢山とん汁と炊き立てご飯、トロトロのマグロと旬の生シラス、これで1,300円也!


 昼食を終えると磐田市街を横断する県道413を東へ走り、ヤマハ発動機の広報施設コミュニケーションプラザにたどり着いた。 対向二車線の市街道路ゆえ所々で車の流れが滞るが、これもまた旅の一部と六十にして耳順う親父のふりをしてみる(笑)。

 実際のところ、W800streetの低速型二気筒エンジンとアップライトなポジションに加え、体幹を保つに具合が良いビート工業のバックステップ、しなやかにギャップを吸収してくれるオーリンズのサスペンションが、還暦親父のなんちゃって悟りを後押ししてくれる。

 一方、股火鉢と称される相棒の空冷エンジンだが、夏日(25℃)以上、真夏日(30℃)以下のこの季節、股火鉢と称される相棒の空冷エンジンの発熱もまだ気にならなかった。 一応、エンジンオイルを10W-40から10W-50に変えてみたが、猛暑日(35℃)、さらに酷暑日(40℃)の混雑する街中は高速道路などに迂回した方が得策だろう。

 さて、混雑する県道で磐田市街を抜けると次の目的地である、ヤマハ発動機コミュニケーションプラザにたどり着いた。 開館日時を確認して訪れれば、予約なしで自由に見学できるヤマハ発動機の広報施設である。

 ところでこの日は、隣接するヤマハスタジアムでジュビロ磐田のホームゲームが開催されており、近隣の混雑はそのせいだったかと腑に落ちる。 さらに、コミュニケーションプラザ前の広場では、ヤマハのオーナーズミーティングが開催されており、外様のカワサキ乗りは道路を挟んだ駐輪場を案内されることとなった。 


ヤマハ発動機コミュニケーションプラザ、オーナーズミーティングの真っ最中


  ご存知の通りヤマハ発動機の商標は、楽器メーカーであるヤマハの音叉マークをホイールをイメージしたリングで囲んだマークである。 日本で初めてオルガンを開発した楽器メーカーの工作機械と技術を活かし、戦前の航空機のプロペラ製造を経てオートバイメーカとなったヤマハ発動機の歴史が良くわかる。

 懐かしい昭和の名車から現在のモデルまで、歴代のヤマハのオートバイが展示されているので、現役バイク乗りを続ける昭和親父がノスタルジーに浸りながら次の愛車を探すに便利な場所である。 展示車両やコレクションもコミュニケーションプラザのサイトから検索できるので、お目当ての車両の展示状況を確認できるのがありがたい。

 また今更ながらではあるが、芸術を奏でる楽器メーカをルーツにもつせいか、広報施設のデザインを含め洗練されている印象のヤマハブランドである。 コミュニケーションプラザのサイトには、3DのVR展示展示が公開されているので、晴れふら親父の下手な写真よりもそちらの方が臨場感を味わえるかもしれない。 昭和ノスタルジーに溢れるスズキ歴史館の展示と対照的で、そのままメーカーブランドのイメージをの違いを表しているようで面白い。


楽器メーカーのヤマハをルーツに持つヤマハ発動機も音叉マークを冠する


 さらに、モータースポーツにより技術と市場ブランドを向上し、それをオートバイ事業につなげてきたヤマハらしく競技車両の展示が充実している。

 昭和親父がモータースポーツに興味を持ち始めた頃に憧れた、黄色いストロボカラーを纏ったケニー・ロバーツのYZR500、史上最強の神様仏様バレンティーノ・ロッシのYZR-M1など、記憶に残る世界チャンピオンマシンの展示も充実している。


黄色のストロボカラーが目を引くケニー・ロバーツのYZR500(OW35K)


 そして、1986年にエディ・ローソンが世界タイトルをとったYZR500と、2024年に市販されたばかりのXSR900GPを比べてみると、その時代を超えた酷似振りにヤマハの印象操作ビジネスに釣られそうになる(笑)。


1986年のワークスYZR500と、2024年の市販車XSR900GP...ヤマハさんここまでやる?(笑)


 XSR900GPの展示を目の当たりにし、2007年の東京モーターショウでホンダブースに展示されていた、CB1100Rのコンセプト車両の市販を心待ちにしていたことを思い出した。

 あれから随分と月日が流れ、排ガスや騒音規制による手かせ足かせをまとった、ヤマハのヘリテージブランド車両が市販されたわけである。 カワサキの懐古バイクを相棒にした昭和親父の食指は動くが、いまさらねぇというのも正直なところである。

2007年の東京モーターショウ、ホンダCB1100Rのコンセプトモデル


 大衆食堂「とん汁桝形」の昼食を挟み、スズキとヤマハの広報施設で大人の社会科見学を済ませると、いよいよ最終目的地の法多山尊永寺にむけて走り出した。

  ヤマハ発動機コミュニケーションプラザを後にして同社の工場エリアを抜けると、袋井市中心街を貫けて法多山を含む小笠山(標高265m)山麓に差しかかった。 袋井と掛川の市境に位置する小笠山山麓は、深蒸し茶で知られる掛川茶の産地エリアの一つである。

 そのせいか、市街地を抜けて法多山が近づくにつれ、遠州地方らしい茶畑の景色が広がってくる。 折しも、八十八夜を挟んだ4月から5月は新茶の季節、芽吹いたばかりの瑞々しい茶畑を眺めながら旬のツーリングを楽しむ。

 ちなみに、日照時間が長い掛川の茶葉は肉厚で、蒸し時間を2~3倍長くした深むし茶が特産になったとのことである。 柔らかく蒸された掛川深むし茶は、甘味と旨味が強く、濃い目だが渋すぎず、晴れふら親父もお気に入りのブランドである。


掛川茶の産地小笠山山麓にさしかかり、茶摘みを待つ新茶畑の瑞々しい景色が広がる


 法多山尊永寺参道入り口にたどりつくと、参道前の駐車場はつやに相棒を待たせて参拝することにした。 駐車場管理のお爺さんに、屋内駐車場と言うか、家の中へと導かれ、二輪駐車料金100円/回を支払い参道へと歩き出した。

法多山参道入り口の駐車場はつや、オートバイ料金100円/回


 厄除け観音で知られる法多山尊永寺は、高野山から別格本山に位置付けられた遠州の名刹である。 神亀2年(725)に聖武天皇の勅命を受けた行基上人が、自ら彫った正観世音菩薩を安置したのが縁と言われている。

 土産物屋や食堂が並ぶ参道を進むと、寛永17年(1640)に建立された仁王門にさしかかった。 戦国時代に焼失し江戸時代初期に再建された尊永寺総門だが、桃山時代の様式も多く残しており、国の重要文化財に指定されている。

 瑞々しい青もみじをまとった仁王門を一礼してくぐると、樹齢200~300年の杉並木の足元を青もみじが覆う緩やかにのぼる参道が続いている。 杉並木の木陰に、青もみじ越しに差し込む初夏の日差しが映える、何とも神々しい景色が続く。


寛永17年(1640)に建立された、国指定重要文化財「仁王門」


杉巨木の並木がつくる木陰に青もみじ越しの日差しが神々しい法多山参道



 仁王門から500m程の緩やかな参道を登ると、いよいよ本堂に続く267段の石段にさしかかった。 日頃から有酸素運動とは無縁のバイク親父は、無理をせずに石段の中程にある地蔵堂で小休止することにした。 地蔵堂の奥にある休憩所には自販機が設置されており、石段を覆う青もみじの木陰で冷たいお茶を一気に飲み干す。


本堂へ続く石段の途中の地蔵堂で小休止、青もみじの木陰で水分補給


 青もみじの木陰を探しながら石段を登りきると、いよいよ法多山尊永寺の本堂にたどりついた。 これまで幾たびの戦火や火災にあった本堂は、昭和58年(1983)に建立当時の姿に再建されたものである。 まずは、厄除観音様に手を合わせて家族の厄除けと旅の安全を祈り、観音様を表すサンスクリット語の下に「大非殿」と書かれた御朱印をいただいた。


青もみじに覆われた石段を登り終え、本堂の厄除観音様に参拝する


参拝を済ませ、法多山尊永寺の御朱印をいただく、それにしても達筆な...


 本堂の参拝を終えて下山道を下り始めると、程なく江戸時代から伝わる法多山名物「厄除だんご」をいただける団子茶屋にたどりついた。 まずは店外にある団子の引換券を自販機で購入し、茶店でいただく団子と土産用の団子を、それぞれの窓口で引き換えてもらうシステム。

 今回は、茶店でいただく団子一皿200円(5串x2カサ)と、土産用の団子一箱600円(5串x6カサ)の引換券を購入した。 そして早速、店内で引き換えた団子一皿と茶をのせた盆を手に青もみじの下の縁台に落ち着いた。

 5本の串にさされた団子は、頭・首・胴体・手・脚を表しているそうで、くっついた団子をそのままいただくと、全身の厄除のご利益があるらしい。 厄除効果を信じる信じないにかかわらず、程よい甘さの餡をまとったモチモチの団子はいくらでもいただけるだろう。

 初夏の爽やかな風に揺れる青もみじが湯呑の新茶に映り、それをながめながら厄除団子を頬張っていると、参道の石段を登った疲れ、ライディングの疲れ、仕事の疲れ等々、諸々の厄が払われて行くのを感じる。

 団子茶屋で参拝後の一服を終えると、家族への土産用に引き換えた厄除団子をメッセンジャーバックにしまい参道を下って行った。

団子茶屋でいただいた厄除団子200円也、5本の串は頭・首・胴体・手・脚を表す


 その後、参道入り口の駐車場で待つ相棒のもとへ帰ると、袋井市街を貫けた東名高速袋井ICから名古屋方面へと帰路に着くことにした。 その道中、縁起の良い八十八夜に摘まれたであろう深蒸し掛川茶を購入し、法多山の厄除団子とのツー・トップ土産とともに旅を終えることとなった。

法多山名物の厄除団子、そして八十八夜煮に摘まれた深むし掛川茶のツー・トップ土産


 さて、初夏のツーリングシーズンを迎え走り出した法多山尊永寺への参拝ツーリング、国道の高架バイパスから臨む三河湾や遠州灘、そして浜名湖の絶景が心に残る旅となった。 また大人の社会科見学をうたい、道中で立ち寄ったスズキ歴史館やヤマハ発動機コミュニケーションプラザでは、昭和親父の琴線に触れる懐かしい展示やメーカーブランドの違いに触れることが出来た。 さらに、新鮮でリーズナブルな海鮮を供するとん汁枡形は、また訪れたい大衆食堂の名店として記憶に残ることになった。

 旅の終わりには、清々しい青もみじに彩られた法多山尊永寺に参拝し、厄除観音様のご利益だけでなく己の心の中から自己浄化されたような気がする。 正しくは、厄除団子を食らい腹の中からも厄払いできたような気がする(笑)。

 ワインディング三昧のツーリングも良いが、峠抜きの旅もまんざらではないと思う一日となった次第である。 還暦親父が残された人生とオートバイを味わい尽くすために、これまで引き出しにしまい込んできた旅のバリエーションを、少しづつ取り出して行きたいものである。



ツーリング情報


スズキ歴史館  静岡県浜松市中央区増楽町1301 (電話)053-440-2020


ヤマハ発動機コミュニケーションプラザ  静岡県磐田市新貝2500 (電話)0538-33-2520


とん汁枡形  静岡県磐田市小立野330 (電話)0538-35-4344


法多山尊永寺  静岡県袋井市豊沢2777 (電話)0538-43-3601



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