2023/06/04 揖斐川遡上徳山ダムで折り返し、若鮎を食らう(川の駅 おか多、養老の滝、養老サイダー)
定年を機に故郷の揖斐川町に越した友人と、「久しぶりに会って昼飯でも食おう」ということになった。 そして、友人お薦めの地元店で待ち合わせ、これから旬を迎える鮎料理を味わう段取りとなった。 鮎漁が解禁となる5~6月頃の鮎は「若鮎」と呼ばれ、小ぶりだが淡白で柔らかい旬の味と食感を楽しめるようだ♪
さてその往路では、伊勢湾に注ぐ揖斐川河口からひたすら堤防道路を溯り、徳山ダムのワインディングをそれなりに満喫し折り返すことにした。 川の流れに沿った緩やかな堤防道路では、初夏の空に抜けるバーチカル・ツインエンジンの排気音をたっぷり堪能することにしよう。 筑後川が流れる福岡の田舎町で生まれ育った昭和親父、時代を経ても変わらぬ懐かしい堤防の景色には今回も癒されそうだ。
また、友人との昼食を終えた復路では、東海環状自動車道を経由して養老の滝に立ち寄り、日本の滝百選に選ばれる名瀑でクールダウンして帰路に着くことにした。 孝行息子の願いで酒に変わった滝の水を呑み、年老いた父親が元気になった伝説に肖り、滝が巻き上げる酒のマイナスイオンを浴びて、萎え気味の気力体力を回復して帰りたいものである(笑)
炭火で焼いた若鮎に田楽味噌を塗り、香ばしく炙られた鮎魚田
ルート概要
国23(名四国道)→地蔵(揖斐長良大橋西)-県504-県613→伊勢大橋西詰-国1(伊勢大橋)→中提入口-県106(背割堤)-県106(油島締切提)→治水神社(千本松原)→木曽三川公園-県220→海津橋東-広域農道→福岡大橋東-県220→今尾-県232→福束大橋東詰-揖斐川東岸堤防道路-根尾川東岸堤防道路→藪川橋東-国303(藪川橋)→藪川橋西(川の駅 おか多)-国303→イビデン東横山発電所-国303→奥いび湖大橋-国417→徳山ダム-国417→奥いび湖大橋-国303→藪川橋西(川の駅 おか多)-根尾川西岸堤防道路→県159→五之里-市道→下磯-県53→大野神戸IC-東海環状自動車道→養老IC-県213→養老の滝-県56→駒野-県8→福岡大橋東-広域農道→海津大橋東-県220→木曽三川公園-県125(長良川大橋)→立田大橋西-県168→船頭平閘門-長良川東岸堤防道路→国23長島IC
ツーリングレポート
早朝の国道23(名四国道)に走り出して名古屋市内を抜けると、木曽川大橋、揖斐長良大橋を渡った地蔵交差点から、揖斐川東岸の堤防道路へと駆け上がった。 そして、右手に長良川河口堰を眺めながら上流へと走り出すと、堤防道路が交差する国道1を名古屋方面に右折して、伊勢大橋を渡る途中の中提入り口交差点から、揖斐・長良川背割り堤に駆け降りた。
揖斐・長良背割り堤は、オランダ人技師ヨハネス・デ・レーケが構想し、明治治水(1887-1912)の木曽三川分流工事で築かれた堤防である。 左手に揖斐川、右手に長良川の川面を身近に眺めながら上流へ走り出すと、まるで川面を走っているような錯覚を覚える。 この季節、二本の一級河川越しに吹く初夏の風が何とも心地よい。
明治治水で築かれた揖斐・長良川背割堤、川面を走っているような錯覚を覚える
国道1から駆け下りた県道106で揖斐・長良川背割堤を8km程遡ると、木曽三川治水の先駆けとも言える宝暦治水(1754-1755)で築かれた油島締切提に差しかかった。 薩摩藩が幕命を受け施工した宝暦治水では80名以上の薩摩藩士が犠牲となり、油島締切提には藩士達が植えた日向松の苗が樹齢200年を越える松原に育ち、国の史跡に指定されている。
また油島締切提の松原には、1938年に地元浄財で建立された治水神社があり、犠牲となった薩摩藩士達が慰霊されており、その責任をとって自害した薩摩藩家老平田靱負が治水の神として祀られている。
揖斐川を遡る旅の始まりに治水神社に参拝し、過酷な治水工事の犠牲となった薩摩藩士の冥福を祈り、水辺のツーリングの安全を祈願させていただく。
宝暦治水で犠牲になった薩摩藩士を祀る治水神社で旅の安全を祈願
治水神社の参拝を終えて堤防を走る県道106に駆け上がると、木曽三川公園センターから揖斐川東岸を走る県道220に分岐して、さらに上流に向けて走り続けた。 木曽三川公園センターを過ぎると揖斐川は、背割堤を挟み隣り合っていた長良川と離れ、源流の揖斐川町冠山にむけて独り遡って行く。
冒頭でお伝えした通り、筑紫平野を流れる筑後川流域の田舎町で生まれ、子供の頃から川遊びに明け暮れていた昭和親父にとって、堤防や河原は郷愁をそそられる場所である。 ばあちゃんと摘んだ、セリ、よもぎ、土筆、そして魚釣りは父親の釣果に勝てぬまま、友達との命がけの川渡りやオートバイ遊びの場にもなった。
そんな還暦親父の記憶から半世紀以上の時が流れ、街の景色は随分と様変わりしてしまったが、懐かしい川辺の景色は子供の頃の記憶と殆ど変わっていない。 勿論、水質の悪化や外来種被害の影響で、見慣れた魚や水生昆虫がいなくなるのは間近で見てきたことだが、遠くから眺めている限り不都合なものが見えなくなるのは、水辺の景色も同じことなのである。
さて、しばらく揖斐川東岸を走り続けると堤防の嵩上げ工事に足止めされ、宝暦治水に始まる木曽三川の治水事業が、現在も続いていることを再認識する。 最近は、地球温暖化による急激な環境変化のせいか、局地的な集中豪雨による洪水被害を耳にすることも多くなってきた。 懐かしい川辺の景色を遠くから眺め、昭和親父がノスタルジーに浸れるのも、いつまで続くのかわからなくなってきた。
地球規模の環境問題はさておき、親父規模の目先のツーリングに関しては、海津橋から福岡大橋までの嵩上げ工事区間を、堤防道路と並行する広域農道に迂回して事なきを得る。
揖斐川堤防の嵩上げ工事区間を、堤防道路と並行する広域農道に迂回する
ところで、今回ひたすら緩やかな堤防道路を延々と溯るルートをたどったわけだが、意外にも、前傾がキツイSSで感じたような疲労感や、攻め込めぬ退屈さを感じることは無かった。
W800streetのアップライトなポジションは懐かしい景色を楽しむ余裕となり、また高めのギアで大きく右手を捻ると、並列二気筒360°クランクエンジン特有の乗り味を楽しめるのだ。 心地よく低速から立ち上がるトルク感、心地よく川面に共鳴する排気音...いずれも主観的なものではあるが、汗を掻く速度の代償に手に入れた乗り味かもしれぬ(笑)。
さて、揖斐川東岸の堤防道路をさらに溯り続けると、道なりに揖斐川に注ぐ根尾川東岸の堤防道路へと走り継いだ。 そして程なく、根尾川の堤防道路は藪川橋東交差点で国道303に突き当ると、左折して藪川橋を渡り徳山ダム方面へと舵を切った。 近くには友人と待ち合わせた「川の駅 おか多」があり、徳山ダムの峠道で折り返すタイミングをはかり、待ち合わせまでの時間を調整する算段である。
国道303に走り出して、大野町、そして揖斐川町の街を抜けると、谷を流れる揖斐川を見下ろすダイナミックな駆け上がりが始まる。 飛ばそうと思えばどれだけでも速度が乗る快走路だが、ここでもW800streetの粘るエンジン特性とパルス感あふれる排気音を味わいながら、心地よいペースで標高を稼いで行く。
眼下に揖斐川が流れる国道303のダイナミックな駆け上がり
いくつものトンネルで揖斐川上流を縫うような走る国道303を駆け上がっていると、その路側に、レトロな赤レンガ建物に四本の巨大な送水管が突き刺さる発電所らしき施設が目に留まった。
その大正10年(1921)に完成したイビデン東横山発電所は、豊富な揖斐川の水を利用し地元大垣の産業を支え続けてきた発電所である。 同発電所は、明治の廃藩置県で県政の中心が大垣から岐阜に移り、衰退する一方の大垣の産業振興を目指し、地元実業家らが興した旧揖斐川電力により建設された。 戦時下の国の接収管理を乗り切り、化学工業に事業拡大した現イビデンの自家用発電として現在も稼働し続けている。
幕府に対峙し藩の将来を自ら築いていた時代の痕跡を目の当たりにし、今時の無節操に目先の箱モノに税金を注ぎ込んで陳情頼みの地方政治にため息がでる。
大正10年から地元大垣の産業振興に貢献してきたイビデン東横山発電所
その後、国道303が木之元方面へと分岐する奥いび湖大橋にたどり着くと、道なりに国道417へと直進してさらに徳山ダムへと駆け上がって行く。 ここからは、曲がりくねった揖斐川上流部の山肌に沿ってタイトな切り返しが始まる。
緩やかな堤防道路やクルージング道路では、空冷並列二気筒360°クランクエンジンを味わう、還暦親父なりのライディングを紹介してきたが、タイトな切り返しの峠道ではそれなりにのペースを上げてコーナーリングを楽しみたいところである。
国道303から国道417に分岐すると、徳山ダムに向けタイトな峠道が始まる
参考までに、バイク親父が自分なりにたどり着いた、峠で頑張るには少しばかり頼りない相棒とのライディングの楽しみ方を、幾つかのポイントとともに紹介してみたい。
- あまり効かぬフロントブレーキと踏ん張れないフレームとサスペンションゆえに、コーナ進入ではリアブレーキを積極的に使って制動力を補いながら、前のめりにならむニュートラルな前後姿勢を維持する。
- トルク重視のエンジン特性と重たいフライホイールの慣性を活かすため、なるだけ緩やかなライン取りで最大トルク付近のエンジン回転数を維持する。 トラクションをかえるため、立ち上がりのリア荷重を意識し早めにアクセルを開けて行く。
- 一方ツーリングでは、クリップを奥にとって視界を確保し、一気に向き変えするラインどりが欠かせない。 それに折り合いを付けるために、アップライトなポジションと細身のバイアスタイヤを活かし、リーンアウト姿勢での腰下でキレの良い倒しこみを意識する
W800streetの納車から約半年がたち、今のところはこの乗り方が、自分なりの心地よいライディングってことになる。 まるでオート・レーサーかフラット・トラックレーサーのようなノリではあるが(笑)、
その是非は兎も角、W800streetの性能限界を見極めながら、操る楽しみ、そして心地よいライディングを満喫していることに間違いない。 高性能SSの場合リスキーな速度域に踏み込んでも、親父の技量でオートバイの性能限界を見極めることは叶わず、結果的にツーリング先での操る楽しみ、そして心地よいライディングって?という疑問に突き当たっていた。
今のところ、心地よいライディングの邪魔になる顕著なネガは見当たらないが、強いて言うならば、リヤタイヤを使い切る前に設置するステップ、速度が乗るコーナーで踏ん張りきれぬリアサスペンションくらいであろうか。 一旦いじり出してバランスが崩れると、芋づる式に物足りなさが吹きだし、今風の高性能バイクに舞い戻ることになるかもしれぬ(笑)。
さて、国道417のタイトな切り返しを心地よく駆け上がって行くと、丁度よい折り返しのタイミングで徳山ダムにたどりつき、復路のダウンヒルへと駆け降りることにした。
ちなみに徳山ダムは、日本一の貯水量6億6,000万 m3を誇るロックフィルダムで、揖斐川の治水と岐阜県、愛知県、名古屋市の利水、および水力発電に利用されている。 しかし、その費用対効果については、長良川河口堰同様に現在も議論が続いているのが実情である。
日本一の貯水量を誇る徳山ダム、巨大なロックフィルダムで折り返す
徳山ダムで往路へと折り返したどり着いたのは、揖斐川の支流根尾川沿いで鮎料理店を営む「川の駅 おか多」。 到着して身支度を整えていると待ち合わせ時間となり、定年を機に故郷揖斐川町に越した友人と、久しぶりの再会を果たすこととなった。
揖斐川の支流根尾川沿いで鮎料理店を営む「川の駅 おか多」
挨拶もそこそこに、友人が予約してくれた席に案内されると、まずは再会を祝してノンアルコールビールで乾杯する。 そして注文したのは、本格的な夏の鮎シーズンを前に、期間限定で供される若鮎コース3.500円也。 鮎の赤煮、鮎の刺身、鮎の塩焼、鮎田楽、鮎の天ぷら、そして鮎雑炊。 小ぶりで淡白だが、香り良く柔らかい若鮎、その旬の美味しさが、こだわりの調理で一品々々供される。
友人の故郷の美味いものを堪能しながら、大詰めを迎えたリーマン稼業のこと、家族のこと、親のことなど、普段は口に出さぬ愚痴や泣き言の類まで、語り合える同期がいてくれることに感謝する。 答えを求めているわけでは無いが、共感してもらえるだけで、新たな一歩を踏み出せることも多いのである。
残念ながら今回はツーリング道中の昼飯、美味い酒を傍らに語り合うことは叶わず、名古屋あたりの飲み屋で再開することを約束して分かれることとなった。
期間限定の若鮎コース、小ぶりで淡白だが、香り良く柔らかい旬の若鮎
友人との昼食を終えて「川の駅 おか多」から走り出すと、最寄りの大野神戸ICから東海環状自動車道に駆け上がり、養老ICまで一気に移動することにした。
往路の揖斐川堤防から見えていた濃尾平野の東に繋がる養老山地、その北端の中腹に落ちる養老の滝に立ち寄り、その名瀑が巻き上げるマイナスイオンで心身ともにクールダウンして旅を終えるつもりである。
さて、東海環状道養老インターを降りると直ぐに岐阜県営養老公園にたどり着くが、己の足で約30分登らねばならぬ無料公園駐車場を横目に、養老の滝最寄りの有料駐車場に駆け上がることにした。
養老町観光協会が運営する養老の滝駐車場は、濃尾平野を見渡す養老山中腹にあり、5分ほど下れば養老の滝にたどり着けるはずである。 一回の駐車料金は、四輪休日1000円、平日500円、二輪は300円也で利用できる。
駐車場へのアクセスは離合困難で落差のある九十九折れ、大型のクルーザーや車高があるバイクは立ちごけに注意する必要がある。
そして養老の滝駐車場にたどり着くと、入り口近くの駐輪スペースに案内されて駐車料金を支払った。 駐車場脇の眼下には広大な濃尾平野が広がり、往路で堤防道路を溯った揖斐川の流れをさがしてみる。 そして、街の景色は随分と変わってしまったのに、堤防の景色は変わぬと感じたことを思い出した。
しかしここまで引いて濃尾平野を見下ろして見ると、大雨の度に姿を変えてきた木曽三川の流れも、人が米を作り富を奪い合ってきた営みも、千古不易なことのようにみえる...がっ、どんなに俯瞰しても、暑いっ! 30℃を超えると「今日は暑いね」と挨拶し、縁側で扇風機にあたれば事足りていた世界が消え去ったことは間違いない。
広大な濃尾平野を望む養老の滝駐車場、バイク料金300円也で滝まで5分
ヘルメットにグローブ、そしてライディングジャケットをW800に預けると、養老の滝に降りる前に、駐車場脇の土産物屋に立寄って、2017年のクラウド・ファンディングで復刻された養老サイダー320円也をいただくことにした。
オリジナルの養老サイダーは1900年に養老で製造開始され、2000年に製造中止になった地サイダーである。 明治から昭和にかかけて、西の養老サイダーとして、東の三ツ矢サイダーと双璧を成したブランド。 奇跡的に、一子相伝のレシピが工場跡から発見され、養老の滝に湧く名水菊水泉を原料にして、オリジナルの製法と味が再現されたとのことである。
復刻サイダーの前評判もあってか、どこか懐かしい冷たいサイダーで一息つくと、昭和の駄菓子屋にタイムスリップしたような気持ちになる。
1900年の養老サイダーのレシピが2017年に復刻された
さて、売店軒下でクールダウンして滝への順路をたどると、木陰の小道をくだり滝つぼにたどりついた。 そこには、形よく落ちる養老の滝を中心に、木漏れ日が注すどこか神秘的な空間があり、滝が巻き上げるしっとり冷たい空気で満たされていた。
あらためて養老の滝を紹介すると、日本の滝百選に選ばれた高さ30m幅約4mの名瀑である。 そして、そこに湧く菊水泉は日本の名水百選にも選ばれ、その名水が復刻された養老サイダーに使われているのは前述の通り。 薪拾いで年老いた父を養う息子が、酒に変わった滝の水を病弱な父親に飲ませ、元気に若返ったという親孝行伝説が伝わる。
流れ落ちる滝の姿や滝を包むヒンヤリとした空気に涼めるだけでなく、激しく流れ落ちる水が生み出すマイナスイオンやf/1ゆらぎ音には、ストレスを解消する効果があるそうだ。 その真偽は定かではないが、近くのベンチで暫くたたずむと、茹で上がっていた脳みそや血液の温度も下がり、呼吸や心拍数もアイドリング状態に落ち着いてきた。
幸か不幸か、期待していた滝の水が美味い酒に変わる都市伝説は起こらず、たっぷりと滝が舞い上げるマイナス・イオンを吸い込んでみたものの酔うことも無く、帰りの飲酒検問を気にすることもなさそうである(笑)
思惑通りたっぷりの涼を溜めこんで養老の滝を後にすると、養老鉄道と並走する薩摩カイコウズ街道(県56,県8)を経由し、往路でたどった揖斐川堤防を下って帰路に着くことにした。
ところで薩摩カイコウズ街道とは、平成3年(1991)の岐阜・鹿児島県の姉妹県締結20周年記念事業として名付けられたもので、路線には鹿児島県の木であるカイコウズが植栽された。 ツーリングの始まりに紹介した、薩摩藩が多くの犠牲をはらい成し遂げた宝暦治水を地元は忘れず、現在も交流が続いているのである。
日本の滝百選に選ばれた養老の滝、高さ30m幅約4mの名瀑
薩摩カイコウズ街道(県8)が福岡大橋で揖斐川を渡ると、堤防嵩上げ工事による通行止め区間を広域濃濃に迂回し、海津大橋からふたたび揖斐川東岸の堤防道路を南下した。 そして、木曽三川公園センターでトイレ休憩を済ませると、長良川大橋を渡って長良川東岸の堤防道路を南下し、突き当たった国道23長島ICから名古屋方面へと帰路に着いた。
今回、揖斐川町に越した友人と久しぶりに再会し、彼の故郷の初夏の味を堪能する一日となった。 それにしても、四輪で高速道路を走れば、週末の買い物気分でたどり着く行程になる。 それを、わざわざプロテクターを仕込んだライディングウエアを着こみ、W800で延々と堤防道路を遡る酔狂なバイク親父である。
普段から、事故のリスクが高く身を晒す乗り物だからなのか、「なぜ?」と問われることが多いバイク道楽である。 しかし、乗ったことが無ければ、操る楽しみやバイク旅の臨場感は伝わらないだろう。 乗り続けていなければ、「生き方」へのこだわりや「非日常」から得るものは分からないだろう。
バイク道楽に限らず仕事でも、拘れない理由や続けられない理由は次々と湧いてくる。 それでも拘り続けるには、それなりの覚悟や責任、何より苦労が付いてくる。 それにより得られるものは、バイク道楽も仕事も同じだと思えるのだ。 諸行無常の世の中ゆえ、永遠に続くことなど存在しないが、そういう生き方を続けていれば、またそういう死に方が出来ると思えるの。
そして今日は、大切な友人との再会の日、バイクの力を借りて非日常になった一日は、消える事の無い一日として心に刻まれる。 バイク旅の記憶を巻き戻してみると、何気なく交わした言葉や他愛もない場面が、大切な人との思い出としてフラッシュバックする。 大切な誰かのことを思い出そうとすると、バイク旅の一場面として逆引きれるから不思議なものである。
0コメント