2023/03/11 美濃東部広域農道、関鍛冶の郷でうなぎを食らう(杉原千畝記念館、うなぎ栄屋、関鍛冶伝承館)


 春分も近くなり、日中の気温も徐々に暖かくなってきた。 バイク乗りであれば、桜の開花の話題も聞こえるようになってくると、冬場に遠ざかっていた山間へのツーリングに気がはやりだすのではなかろうか。

 そして、名古屋のすぐ北に位置する中濃地方の山間は、冬場に雪に閉ざされるエリアもあり、さらに標高を稼ぎ北へ進路をとるための試金石となるのだ。 特に、飛騨川と長良川隔てる山間を駆け抜ける美濃東部広域農道は、山間の春の訪れを測るにもってこいのルートだろう。

 今回その美濃東部広域農道をたどり目指したのは、鎌倉時代から刀鍛冶の郷として繁栄し、現在も刃物産業の街として有名な関市である。 旅の終わりには、山間の広域農道から関市街へと南下し、関鍛冶を代表する刀匠が鍛えた名刀や、その製造工程や歴史も学べる「関鍛冶伝承館」を訪れることにした。 また、関市へと南下する山間の道中では、創業140年のうなぎの老舗「栄屋」に立ち寄って、古から関鍛冶の刀匠に愛されてきたうなぎをいただく算段である。

 はたして、関鍛冶の郷をめぐる旅の道中で、思惑通り山里の遅い春をみつけ、さらに北へと標高をかせぐ手ごたえをつかむことができたであろうか。 

飛騨川と長良川を隔てる山間を駆ける美濃東部広域農道



ルート概要


中央道土岐IC-国21→上之郷郵便局-みたけエコライン→県366(大久後トンネル)-丸山大橋(木曽川、丸山ダム)→杉原千畝記念館(人道の丘公園)-国418→新山川橋(飛騨川)-国41→下妙見町-県86→道の駅かれん-美濃東部広域農道(横谷峡トンネル、下呂関トンネル、関上之保トンネル、上之保小那比トンネル)→小那比-県63(日本まん中茜街道)-県63(日本まん中茜街道)→栄屋-県63→若栗-県58(平成こぶし街道)-(東海環状道富加関IC)→旭ヶ丘3-国418→関鍛冶伝承館-国418→栄町3-県79→栄町4-県17→東海北陸自動車道関IC



ツーリングレポート


 今回の旅は、H/D STREET BOBを駆る友人との二人旅、待ち合わせた東海環状道鞍ヶ池PAで挨拶を交わすと、アメリカ大陸を横断する旅バイクの鉄の塊感に圧倒される。 初めてW800 streetに出会ったときも、鉄でできた昭和バイクの雰囲気を感じたものだが、排気量1800cc、車重300kgの鉄馬の存在感は比べ物にならない。

 そういえば、新しく相棒となったW800 streetを友人に紹介するのは初めてのことである。 そして予想通り、馬鹿っ速いSSを肩口から倒し込んでいた親父が、どういう心境の変化なのかと体調を心配される。 まあ、一旦峠道に駆け込んでしまえば、バイクや乗り方が変わったとしても、飛び出す性分が変わらぬことは直ぐにばれるのだが(笑)。 水分補給とトイレ休憩をすませた親父二人、近況のやりとりも程々に東海環状道を土岐にむけて走り出す。

 ところで今回は、前回の伊勢志摩ツーリングの高速道路移動で、かさばる防寒ウエアで風にあおられふらついた経験を活かし、風を切るレザージャケットを羽織ってのライディングである。 そしてそれは期待通り、風のストレスを忘れてライディングに夢中になり、バーチカルツインエンジンの鼓動感を楽しみながら黙々と走り続ける。

 それにしても...楽し~っ! 200km/hを越える高揚感よりも100km/hそこそこの操作感が勝ることがあるのは、実際に体感してみなければわからないことかもしれぬ。

東海環状道鞍ヶ池PAでH/Dと待ち合わせ、鉄部品まみれの日米旅バイク


 中央自動車道を土岐ICまで走って国道21に降りると、美濃加茂方面の緩やかな駆け上がりへと走り出した。 そしてしばらくは、瑞浪市から御嵩町にかけて点在するゴルフ場への分岐をやり過ごしながら、木曽川の丸山ダムへ駆け上がるみたけエコラインへと分岐した。 今回はやり過ごしたが、そのゴルフ場エリアのコンディションの良いワインディングは、ライディングを目当てに訪れても十分楽しめるエリアである。

 さて分岐したみたけエコラインは、里を抜ける明るい峠道から森をぬける鬱蒼とした峠道まで、短いながら路面状態もよく走りやすいコーナーが連続するルートである。 そして、みたけエコラインが突き当たった県道366で大久後トンネルを貫けると、眼下に木曽川蘇水峡を堰き止めた丸山ダムが見えてくる。

国道21から丸山ダム方面へ、みたけエコラインを駆け上がる


 道なりに木曽川を渡る丸山大橋からは、日本初の100m級ダムである丸山ダムの全貌と、その丸山ダムを覆うように建設中の新丸山ダム工事の様子を一望できる。 新丸山ダムは2029年に完成予定とのことで、政権交代のたびに造る造らないのゴタゴタが繰り返された景色も、めでたく?ダム湖に沈むことになる。

木曽川に架かる丸山大橋からは、丸山ダムを見下ろすことが出来る


日本初100m級ダムの丸山ダム、2029年には建設中の新丸山ダムで覆われる


 その後、丸山大橋を渡り人道の丘公園にかけあがると、トイレ休憩を兼ねて杉原千畝記念館に立ち寄ることにした。 ご存知の通り杉原千畝は、第二次世界大戦中に赴任したリトアニアの日本領事として、ナチスドイツの迫害から逃れるユダヤ人にビザを発給し、数多くの命を救ったことで知られている。

 旧ナチスドイツ収容所のガス室に立った時の絶望と、フランクルが「夜と霧」で示してくれた希望、それを遠く離れた八百津の公園で感じることは難しいが、避けられない逆境に直面した時の態度で、己の価値が決まることを学ぶことはできる。

 家族や友人達とふらっと立ち寄り、特にあれこれと言葉を交わすでも無く、シビアな歴史を前に少しばかりの時間を共有できるだけで、抱え込んだ荷物を少し下ろせた様な気になれる場所である。


八百津町の杉原千畝記念館、多くのユダヤ人の命を救った偉業を称える


 人道の丘公園から国道418に駆け降りると、木曽川の下流へと下って八百津の町中を駆け抜けた。 さらに、道なりに飛騨川を渡り国道41に合流すると、高山方面に向けて飛騨川沿いを遡ってゆく。 飛騨川がつくる渓谷に沿って緩やかな弧を描きながら走る国道41、タイミングが合えば高山本線の気動車に出会い鉄旅とのコラボレーションを楽しむことができる。

飛騨川大柿橋に逸れて一息、飛水峡沿いを走る国道41が見える


 そしていよいよ、国道41が飛騨金山に差しかかったところで県道86に分岐し、道の駅かれんの手前から始まる美濃東部広域農道へと駆け上がった。 

 美濃東部広域農道は、中央道恵那ICから東海北陸道美並ICまでの区間を、既存の国道や県道、市町村道のほか、新たに建設された農道区間で構成され、2012年に全線開通した。

 今回たどるのは新しく建設された農道区間、まだ路面も新しいワインディングに駆け上がると、横谷峡トンネル、下呂関トンネル、関上之保トンネル、上之保小那比トンネルを貫けながら、路面コンディションの良いご機嫌なワインディングを独り占め...いや、我に返ってペースダウン、H/D乗りと一緒に二人占めする(笑)。

 美濃東部広域農道が県道63(日本真ん中茜街道)に突き当たったところで、関方面へと舵を切り小那井川沿いを南下することにした。 県道63を逆方向へ進むと羽佐古トンネルを貫け、東海北陸道美並IC付近で長良川沿いへと抜けるはずである。

 冬場は雪に閉ざされていた山里を、いくつものトンネルでつないだ美濃東部広域農道、さすがにこの時期でもトンネル内では凍えることになるが、道中の集落では梅やこぶしの花が咲き遅まきの春を体感することが出来た。 もうそろそろ、さらに北へと進路を取り標高を稼いだワインディングに走り出してもよさそうである。


美濃東部広域農道で下呂関トンネルを貫けてさらに美濃方面へ


 その後、県道63(日本真ん中茜街道)を小那比川に沿って関方面へ下ってくると、小那比川が津保川に合流する上之保にさしかかった。 丁度昼時、津保川沿いに店を構える創業140年のうなぎの老舗「栄屋」に立ち寄り昼食をとることにした。

 刃物と同じく名の知れた関の鰻、鎌倉時代に移り住んだ刀匠達のスタミナ源だったというのが、関市観光協会のふれ込みである。 コロナ禍以降の在宅勤務で、カロリーは過剰気味のリーマン親父だが、刀匠のスタミナ源で萎えた気力を補えれば御の字であろう。


保津川沿いで営業する「栄屋」、創業140年のうなぎの老舗


 人気の店らしく店内はほぼ満席だったが、運よく空いた席に直ぐに案内されて落ち着くと、栄屋名物の”鰻ねぎまぶし丼”3,000円也を注文した。 

 ルートなど確認しながら焼き上がりをまっていると、期待通りボリューム満点のねぎまぶし丼が運ばれてきた。 肝入りの吸い物が標準装備されているのがありがたい。 汲み上げた地下水で、数日間うなぎを活かすのがこの店のこだわりとのことであった。

 さて、強火でパリッと焼かれたうなぎの食感は”まぶし”スタイルとの相性が良く、蒲焼の下にたっぷりと敷かれたネギと焼きのりとの取り合わせが面白い。 そして、140年継ぎ足されてきた甘めのタレが全体の味をまとめ、添えられた山葵がさっぱり感を出してくれる。 なるほど、このメニューが店の名物となっているのもうなづける。 上品な肝吸いで舌をリセットしながら、食べ応えのあるねぎまぶし丼を一気にかき込んだ。 

名物鰻ねぎまぶし丼、鰻、海苔、葱、山葵の絶妙なバランス


 食事を終えて駐車場にもどると、駐車場脇の庭木の足元にカタクリの花が一輪、思いがけず見つけた可憐な春にホワンとした気持になる...っと、思わず一句詠みだしそうな還暦親父は、食事を終えた同年代らしきバイク乗りの方々から声をかけられる。 そういえば、W800 streetに乗り換えてまだ間もないのだが、ZX-6Rに乗っていた頃と挨拶をいただく方々の年齢層が随分変わったような気がする。 今だ耳順えぬ還暦親父の中身は兎も角、乗り手と愛車の外観だけは、年相応に落ち着いたのかもしれぬ(笑)。


駐車場脇に咲くカタクリの花、可憐な紅紫に山里の春を感じる


 栄屋の駐車場を後にすると、県道63(日本真ん中茜街道)から県道58(平成こぶし街道)へと走り継ぎながら、関市街に向けて津保川沿いを走り続ける。 次に目指すのは今回の旅の最終目的地、関市街にある関鍛冶伝承館である。 県道58を道なりに走り続ければたどり着くはずだが、最新のナビゲーションを装備したSTREET BOBに先導をお願いすることにした。

 ところで今回同行した友人のH/D STREET BOB、走行距離数百キロのフルオプション車両を購入したばかりとのこと。 前オーナーは体調を崩して、泣く々々オートバイを降りることを決めたのだとか。 バイク道楽の最後は「そんなもんなんだろうなぁ」と想像できるがゆえに、乗れるうちに色々なことを、見て・聞いて・感じて、それを心に刻んでおきたいものである。

 下流へと下り緩やかになった津保川沿いをクルージングするH/D、やはりこういうシチュエーションで絵になるバイクである。

関市街へ津保川沿いを南下、H/D STREET BOBの先導でクルージング


 県道58が、東海環状道富加関ICを過ぎると徐々に市街地へとさしかかり、道なりに走り継いだ国道418で目的の「関鍛冶伝承館」にたどり着いた。 冒頭でも紹介したが、関市は鎌倉時代から刀鍛冶の郷として繁栄し、現在も刃物産業が盛んな地域として世界に知られている。 関市が運営する関鍛冶伝承館では、関鍛冶を代表する刀工が鍛えた日本刀や、その製造工程や歴史に関する資料が展示されている。


席鍛冶伝承館では関鍛冶の歴史や技術、代表する刀工の日本刀が展示されている


 正直なところ、戦国マニアの親父達がチラホラ...と言う様を想像しての来館であったが、実際は違っていた。 有名な剣術アニメとのコラボ企画が開催されており、関鍛冶伝承館は無粋なバイク親父には無縁のアニメファンらしき方々で溢れかえっていた。

 主人公と敵役が振る日本刀が企画展示されており、アニメファンの女性達が日本刀の撮影に群がる様は、実践的で知られる関鍛冶の刀以上の迫力だったかも(笑)。 圧倒されたバイク親父は、関鍛冶の始祖と言われる「元重」の大刀を前に、シンプルな直刃の刃文が渋いなぁなどと親父の世界に逃避する。

 いきなりの盛況ぶりに面食らったが、古から受け継がれてきた日本刀の文化が、現代のアニメ文化で若い世代にも伝えられる様は心強いものである。 次の世代に大切なものを伝えてゆくってのは、そういうことなんだろうなぁと学ぶ良い機会になった。 関鍛冶伝承館では、日本刀鍛錬の実演も公開されているようなので、公開スケジュール等確認してから訪れるのも良さ気である。 


関鍛冶の始祖と言われる「元重」の大刀、刃文はシンプルな直刃


 関鍛冶伝承館の見学を終えると、関市街を抜けて東海北陸自動車道関ICから名古屋方面へと帰路に着くことにした。 今回旅を共にしたH/D乗りとは、東海北陸道川島PAで最後の休憩をとり、名古屋高速にのったところで三々五々の解散となった。

 さてさて今回は、冬場は雪に閉ざされる中濃北部の山間を、美濃東部広域農道のワインディングで駆け抜ける旅であった。 その道中の山里では遅い春の訪れを見つけ、これからいよいよ、北へ標高を稼ぐルートへと走りだせる手ごたえを感じることとなった。 このレポートをアップする頃には、冬場遠ざかっていた山岳ルートに駆けだしていることだろう。

 また、戦国時代の古戦場や史跡巡りに興じるバイク親父、今回は関市街にある関鍛冶伝承館を訪れ、実践的な関鍛冶の日本刀とその歴史に触れる機会となった。 そこに至る道中では、走りごたえのあるワインディングへの分岐が沢山あり、別の機会にライディング三昧のルートとして組み立て直して走り出したいと思う。



ツーリング情報


杉原千畝記念館  岐阜県加茂郡八百津町八百津1071 (電話)0574-43-2460 


栄屋  岐阜県関市上之保川合下15170 (電話)0575-47-2010


関鍛冶伝承館  関市南春日町9番地1 (電話)0575-23-3825



0コメント

  • 1000 / 1000