2025/04/19 桜咲く山里たどり東美濃の山城へ(苗木城跡、ドライブイン苗木、地酒「若葉」)


 今年もまた桜の季節が訪れ、そして通り過ぎようとしている。 還暦を過ぎたせいか失うものも多く、決して楽しい思い出ばかりとは言えないが、今年もまた生き延びた己を実感する。 

 気忙しい日常に追われる間に、街の桜は殆ど散ってしまったが、予定していた用事がキャンセルになった週末、少しだけ時計の針を巻き戻してみることにした。

 もちろん、実際に過去をやり直すなど不可能なことだが、遅咲きの桜をたどりながら山里を巡り、今一度春を満喫するツーリングに走り出すことにしたのである。 長く乗り続けていると、この時期に見頃を迎えるお花見ルートを繋ぐことも可能になる。

 そしてたどったのは、国道153から県道19に分岐して明智川沿いの県道11を溯り、国道363で岩村を抜けて中津川へと北上する三河~東美濃ルート。 山里を繋ぐルート沿いでは、馴染みの桜が丁度見頃を迎えていることだろう。

 そして中津川市街を抜けて旅を折り返したのは、木曽川北岸の高森山(標高432m)山頂に築かれた苗木城跡、木曽川の流れを一望する山城も満開の桜に彩られているはずである。

 昼食には、昭和親父の琴線に触れる”苗木ドライブイン”の定食をいただき、さらには恵那みかげの道(笠置農道)を経由して瑞浪市街に立ち寄り、地酒「若葉」でお気に入りの純米酒を仕入れて帰還するという目論見である。

 さてさて、実に盛りだくさんのお花見ツーリングとなったが、これでまた来年の桜まで気忙しい日常に追われることになる。 それがどこまで続くのか己にも分からぬが、とりあえずは今年の春を満喫しておくことにしよう。  

   

桜に彩られた高森山(標高432m)山頂の苗木城跡



ルート概要


東海環状道豊田松平IC-国301→松平橋東-県39→追分-国153→新盛-県19→小渡-県11→新町-国363→明智駅(明智鉄道)-国363-惠南ささゆり街道→岩村警部交番-国363→阿弥陀堂の桜-国363→中村-国19→小向井-国257→城山-市道→苗木遠山資料館(二輪駐車場)、苗木城跡-市道→城山-国257→ドライブイン苗木-国257→高山-県408→蛭川運動公園-恵那みかげの道(笠置農道)→県68→河合-県412→武並橋-国418→佐々良木橋東-県66→下小里-県20→地酒「若葉」-県20→下小里-県66→小里-県20→大川-国363→鶴里-県112-県352→上渡合町大畑-県33→藤岡飯野町-国419→東海環状道豊田藤岡IC


ツーリングレポート


 東海環状道豊田松平インターから駆け降りると、巴川沿いの県道39を足助方面へと遡る。 道路沿いに竹林が茂る鬱蒼としたルートだが、時折視界が開けると巨岩を縫いながら流れる巴川が覗く。 高速道路を降りると直ぐに、そんな野趣あふれる景色に見送られる、お気に入りの走り出しなのである。 今回は、山里の桜をたどるツーリング企画に相応しく、巴川越しの山肌に淡い山桜が咲く旅の始まりとなった。


対岸の山肌に咲く山桜に見送られ、巴川沿いの県道39を溯る


 県道39を足助まで走りきると、合流した国道153を飯田方面へと走り続けた。 その後、県道19に分岐して小渡集落で矢作川を渡ると、矢作川に注ぐ明智川沿いの県道11を溯り、明知の街で国道363へと合流した。

 国道153から国道363へ山里をつなぎ、三河から東濃へ一直線に北上するお馴染みのルート。 この季節は、山桜と新緑の淡いコントラストを眺めながら、里山を縫うワインディングを満喫できる。


山桜と新緑の淡いコントラストを眺めながら明知川沿いの県道11を溯る


 そして国道363で明智町の市街地に走り出すと、明知鉄道終点の明智駅に立ち寄ることにした。 ちなみに鉄道名と駅名が異なりややこしいのだが、”明知鉄道”は旧明知町に由来し、”明智駅”は現恵那市明智町に由来している。

 明智駅には、九州福岡で生まれの昭和親父が愛知に就職して以来、還暦を越えてなおツーリングで訪れる桜が咲き続けている。 残念ながら2012年に、趣のある旧駅舎が建てかえられ駅舎北側の桜も伐採されてしまったが、円筒形の郵便ポスト脇に咲く桜は今もまだ健在である。 


明知鉄道明智駅に咲く馴染みの桜、今年もまた会うことが出来た


 その後、明智町の市街地を抜けてしばらく走り続けると、国道363をバイパスする恵那ささゆり街道に分岐して岩村を目指すことにした。 里を繋ぐ田園を駆け抜ける惠南ささゆり街道は、明知鉄道沿いの幹線国道363を一気に迂回できるお役立ちルート。 明知鉄道野志駅を過ぎて飯高観音の案内看板を目印に分岐すると、道なりに岩村手前の杉ヶ沢交差点で国道363に復帰するか、岩村中心部の岩村警部交番脇までショートカットすることも可能である。


国道363から惠南ささゆり街道に分岐し、里を繋ぐ田園ルートに迂回する


 国道363で岩村の城下町を貫けてさらに走り続けると、「農村景観日本一」と称される田園風景に咲く「阿弥陀堂の桜」にたどりついた。 阿弥陀堂を覆うように咲き誇るこの桜も、生まれ育った福岡から愛知に移り住んだバイク親父が、還暦を越えてなお通い続けている馴染みの桜である。 自分が生まれ育った筑紫平野の田舎町でも、おおらかにすべてを包み込むようにこんな桜が咲いていた...っと、初めてここを訪れた時から懐かしさを覚えた場所なのである。

日本一の農村景観に咲く阿弥陀堂の桜、還暦を越えて通い続ける馴染みの桜


 その後、点在する農家の庭先に咲く桜を眺めながら走り続けると、国道363は適度に弧を描く林間ワインディングとなる。 そして終には、根の上高原への分岐をやり過ごすと、木曽川に注ぐ中津川沿いに向けて下るタイトな九十九折れが始まる。 所々、荒れていた区間の補修工事が成されているが、見通しが悪く離合も困難な酷道であることに変わりはない。


国道363でのどかな農村風景を過ぎると、適度に弧を描く林間の峠道が始まる


国道363のタイトな九十九折れ、山桜越しに恵那山を望み中津川沿いへと下る


 国道363のタイトな九十九折れを中津川沿いまで下ってくると、川の流れに沿って緩やかな弧を描く快走路が始まる。 そして、河岸に咲く満開の桜を眺めながら、まさに春爛漫のクルージングを満喫する。


河岸に咲く満開の桜を眺めながら、緩やかな中津川沿いを下って行く



 その後、中津川沿いの国道363を下り国道19に突き当たると、中津川市街を抜ける国道257へと走り継いで付知方面へと走り出した。 幹線国道が交差する東濃の中心市街の交通量はそれなりだが、流れが滞ることなく木曽川を渡り苗木城跡への分岐にたどりついた。

 さて、木曽川北岸の高森山(標高432m)山頂の苗木城は、1526(大永6)年から岩村遠山氏によって築かれてきた山城である。 本能寺の変後、織田信長の家臣森長可(ながよし)に奪われたが、関ケ原の戦いで徳川家康についた遠山友政が奪還し、江戸時代を通して12代の遠山氏が城主を務めたことが知られている。

 国道257から苗木城跡の案内看板に従い分岐すると、苗木遠山資料館前にある無料の二輪駐車場に相棒を停めて、苗木城跡へと登って行った。 資料館上の登山口脇にも有料駐車場があるが、四輪専用で二輪車の駐車は禁止されている。 行けるところまでとバイクで駆け上がると、狭い登山口でヨタヨタとUターンする羽目になる。

 そして、苗木遠山資料館駐車場から、日頃の運動不足を悔いながら5分程の山道を登ると、一気に展望が開ける”足軽長屋跡”にたどり着いた。 この足軽屋敷跡からは、足元の三の丸、二の丸、そして山頂の本丸まで、自然の巨岩に石垣を組み合わせて築かれた苗木城の全景を望むことが出来る。


 

高森山(標高432m)に築かれた苗木城、自然の巨岩に石垣を組んだ山城


 そして、足軽長屋から主郭へと続く大手道を進むと、左手に三の丸の”風切り門”を守るために設けられた”大矢倉”が現れる。 満開の桜に覆われたこの”大矢倉”もまた、巨大な自然岩をそのまま利用して石垣が積まれ、城内最大の櫓跡の迫力がさらに増している。

 また横矢を効かせるためなのか、弓射用の石垣が飛び出した独特の形をしているのも面白い。 各城郭構造の機能を考えながら当時の攻防を妄想すると、息切れする山城歩きも多少は楽しくなるかもしれぬ(笑)。

三の丸正門を守るための「大矢倉」、巨岩を活かし築かれた場内最大の櫓跡


 その後、三の丸から二の丸へとさらに城郭を登って行くと、足元に桜に覆われた大矢倉を見下ろすことができる。 まるでジオラマのような景色は、急峻な高森山山頂に築かれた苗木城ゆえの眺めであろう。


二の丸から見下ろす桜に覆われたt大矢倉、急峻な山城だから見れる大ジオラマ


 そして高森山山頂に視線を移すと、巨岩上に再現された懸け造りの本丸展望台を見上げることが出来る。 高森山全体が巨大な花崗岩でできており、敷地が限られる岩山上に築かれた建物はすべて、足元に柱が組まれた懸け造りで建てられていたらしい。 本丸展望台の柱は剥き出しなので、その懸け造りの様式を分かりやすく知ることが出来る。


二の丸から高森山山頂に築かれた懸け造りの本丸展望台を見上げる


 また二の丸まで登ってくると、色々な様式の石垣が混在していることに気付かされる。 安土桃山時代の「野面積み(のずらづみ)」、そして「打込み接(うちこみはぎ)」、さらに江戸時代の「切込み接(きりこみはぎ)」へと、戦国時代に築かれた砦が、時代毎に進化した石垣で強化されていった歴史を見て取れるのだ。 

 ちなみに「野面積み」とは自然石を積んだだけの石垣、「打込み接」は荒く加工され隙間に小石が詰められた石垣、「切込み接」は精度よく加工され隙間なく積まれた石垣である。 隙間が無いほど敵が登りにくく、防御性が高いと言える。


左から、野面積み、打込み接、そして切込み接へと、時代ごとに進化する苗木城の石垣

 

 さて、石垣の様式で積まれた時期など想像しながらさらに進むと、本丸展望台に登る最後の九十九折れに差しかかった。 そこで目に留まるのが、籠城戦の要となる井戸である。 この井戸は、千人の飲水がまかなえたことから”千石井戸”と称されるが、そんな水量が豊富な井戸が標高432mの山頂付近に湧くのか不思議であった。

 そして、ツーリングから戻って枯れない井戸の理由を調べてみると...前にも触れた通り、苗木城が築かれた高森山を含むこの一帯の地盤が、八千万年程前に滲み上がったマグマが冷え固まった花崗岩でできていることに起因するのかもしれない。 冷え固まる過程で花崗岩には、”節理”と呼ばれる亀裂が走ることが知られており、苗木城を見下ろす周辺の山々に降った雨が、その節理を伝って苗木城の千石井戸にも湧き出すらしい。


千人の飲水をまかなった”千石井戸”、こんな山頂近くで井戸が湧く?


 余談だが、ヤブツバキが咲く千石井戸脇の坂には、握り飯大の石が敷き詰められており、投石用の石つぶてが残っているものらしい。 高森山を含む一帯の地盤、城跡に積まれた巨岩や石垣、そして石つぶてまで、何から何まで花崗岩でできた苗木城は、花崗岩の産地として有名な東美濃らしい山城なのである。 


本丸へ続く坂に残る投石用の石つぶて、何から何まで花崗岩でできた苗木城


 さて、本丸へ続く最後の九十九折れを上りきると、山頂の巨石の上に築かれた懸け造りの天守展望台にたどり着いた。 この天守展望台は、麓を流れる木曽川から170m程の高さがあり、東西に流れる木曽川上流の恵那山や下流の笠置山など、360度の絶景を眺めることが出来る。

 他の城跡の場合、無粋な鉄筋コンクリート造りの模擬天守が多く、城は遠くから眺めた方が良いなどと格好をつける親父である。 しかし苗木城に限っては、自然の巨岩を巧みに利用した個性的な城郭や本丸展望台からの絶景を目当てに、一度は登ってみることをお薦めしたい。


木曽川上流、リニア中央新幹線第二木曽川橋梁工事の先に恵那山を望む


木曽川下流、先ほど渡った国道257城山大橋の先に笠置山を望む



 本丸展望台から、東美濃の絶景を眺めながら心地よい風に吹かれていると、昼近くになりお腹もすいてきた。 さっそく二輪駐車場に待たせたW800streetのところへ戻り、昼食をとる予定の「ドライブイン苗木」にむけて走り出すことにした。

 苗木遠山資料館から往路に折り返して国道257に復帰すると、付知方面へ走り出して程なくお目当てのドライブイン苗木にたどり着いた。 そして、昭和親父がまだ子供の頃、家族ドライブで立ち寄ったドライブインのような外観に懐かしさを覚える。

 入り口に立てかけられた「本日休業」の看板に不安になるが、「営業は12時から」の小さな貼り紙に望みを託し、営業開始までの20分ほどを待つことにした。 そして10分ほどがすぎたところで店のお母さんに声をかけられ、店の外観と同じく昭和ノスタルジーが溢れる店内へと案内されることとなった。

昭和親父のノスタルジーを刺激する苗木ドライブイン


 そして、テーブルに着きながら注文したのはエビフライ定食1,200円也。 昭和親父が育った九州の田舎町で、エビフライは少々高級な洋食メニューの代表格であった。 そして配膳を待つ間、地元客らしき人達が続々と来店するが...誰もお母さんの注文取りを急かすでもなく、何ともまったりとした地元時間が流れる。

 そしてしばらくして、注文したエビフライ定食が配膳されると、大ぶりのエビフライに添えられたタルタルソースをたっぷりとまとわせかぶりついた。 そして、サクサク、プリップリの食感と、噛むほどに滲みだす旨味に白飯がススム、ススム。 主役のエビフライに添えられたマカロニサラダ、ご飯と味噌汁、小鉢に香の物...なんとも鉄板な定食を無心に頬張り大満足の昼食となった。


大満足の海老フライ定食1,200円也、サクサク・プリプリのエビフライ♪


 大満足の定食をあっという間に平らげると、笑顔でごちそうさまを告げながら会計を済ませた。 美味しいものでお腹いっぱいになると、人は幸せになれるってのを身をもって体感できるドライブインであった。

 そして、相棒の元へ戻って身支度を整えながら店の入り口に振り返ると...本日休業の看板はそのまま、カーテンも引かれたままで完全に営業の気配が消されている(笑)。 人手不足に物価高のご時世、家族経営のやりくりで商売を続ける苦労を垣間見たような気がする。

 さて、ドライブイン苗木から国道257を付知方面へ駆け出すと、程なく県道408への分岐に差しかかった。 木曽川の北側を東西に走る県道408から、恵那みかげの道(笠置農道)へと走り継いで、笠置峡にかかる武並橋で木曽川を渡る算段である。

 この笠置山南麓の山里と田園をつなぐ快走ルートは、幹線国道19をバイパスするツーリングルートとしてに重宝する。 県道408から恵那みかげの道への繋ぎ区間は、蛭川運動公園をランドマークにすれば分かりやすいだろう。


国道257から県道408へと分岐し、恵那みかげの道(笠置農道)をめざす


笠置山南麓を走る恵那みかげの道(笠置農道)、のどかな山里を繋ぐ快走路


 恵那みかげの道が県道68に突き当たって終わると、笠置峡に架かる武並橋で木曽川を渡った。 その後、満開の桜に彩られた里を繋ぎながら国道418を南下し、道の駅そばの郷らっせいみさとを経由して県道66を瑞浪方面へと走り続けた。


笠置峡にかかる武並橋で木曽川を渡り、道なりに国道418を南下する


国道418沿いに咲く満開の桜、山里の遅い春を繋ぐ旅も終盤


 そして瑞浪市街で立ち寄ったのがお気に入りの地酒「若葉」、元禄年間の創業から三百余年、十三代続く東美濃の酒蔵である。  少し気が早いが、夏に向けての季節の純米酒を土産に、東美濃の山里をめぐるツーリングを締めくくる目論見であった。


お気に入りの地酒「若葉」、元禄年間の創業から三百余年、十三代続く東美濃の酒蔵


 突然で恐縮だが、今の世の中は玉石混合の雑多な情報で溢れかえり、悪意を持った情報が無理矢理に送り付けられる時代になってしまった。 検索エンジンやセキュリティソフトの力を借りねば、必要な情報にたどり着けず身も守れぬ、何とも生きづらくなってしまったものである。 さらに最近は、自分がどんな情報を必要としているのか、などと本末転倒のアドバイスをAIにお願いする時代になってしまったらしい。

 そして、人生に残された時間が少なくなってきた還暦親父は、今一度自分が何者で何をやりたかったのかを己に問うて、AIに判断を委ねねばならぬような複雑なプロセスを省きたくなる。 余分なものを省いたシンプルなプロセスの先にこそ、複雑で奥深い味わいが待っているような気がするのである。

 そんな生き様を思い描くアナログ親父は、無駄な雑味が無くその奥に深い旨味を感じる若葉の純米酒に諸手を挙げて共感するのである...っと、鼻息荒く若葉の酒蔵を訪れたのだが、AI検索でも読めなかった臨時休業に苦笑いするオチとなった(笑)。

 控えめの杉玉が飾られた酒蔵の前で残念な記念撮影を済ませると、巨大な狛犬が座る八王子神社まで県道20に折り返し、瀬戸方面へ続く国道363へと走り継いだ。 その後、国道363から国道419へと三国山東麓を越えて、東海環状道藤岡ICから名古屋方面へと帰路に着くこととなった。

 さてさて、遅咲きの桜に彩られた山里をつなぐお花見ツーリング、残念ながら若葉の純米酒はお預けとなったが、思惑通りに満開の桜を愛でながら遅い春を満喫する旅となった。 そしてまた舞い戻った気忙しい日常で、梅雨入り前の新緑の季節を逃さぬよう、晴れたらふらっと走り出したいものである。


あとがき


 後日、創業元禄年間、東美濃の地酒「若葉」を再訪し、日々の晩酌にと薦められる「若葉 純米」と季節限定の「若葉 夏の純米(生原酒)」を小売りしてもらった。 いずれも、岐阜の酒造米「ひだほまれ」「あさひの夢」を使用した純米酒で、夏の純米は岐阜のG2酵母の華やかな香りと爽快な味わいが夏向きの銘柄である。

 無駄な雑味が抑えられた口当たり、その奥の深い米の旨味を感じる若葉の純米酒、それゆえにB級グルメ親父にも銘柄ごとの繊細な違いが分かりやすいのかもしれない。 特に、雑味を抑え季節の素材を活かす日本料理やイタリア料理との相性が良いような気がする。
 名古屋の百貨店や地酒イベントなので試飲、販売会が開催されているが、ツーリングの道中に300年続く瑞浪の酒蔵を訪れてみると、13代目大将から地酒「若葉」の楽しみ方を直接聞けるかもしれない。

趣きのある木戸を開き、元禄年間創業の酒蔵の日常にお邪魔する


地酒「若葉」の銘柄が並ぶ展示ケース、奥の保冷庫から選んだ銘柄を小売りしてもらう


日々の食事に添えたい「若葉 純米」と「若葉 夏の純米(生原酒)」を購入



ツーリング情報


苗木城跡  岐阜県中津川市苗木


ドライブイン苗木 岐阜県中津川市苗木4610-34 (電話)0573-67-2331


地酒「若葉」 岐阜県瑞浪市土岐町7270-1 (電話)0572-68-3168



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