#映画 「世界最速のインディアン」

 歳を重ねると違って観えるようになった映画がある...「世界最速のインディアン」は、ロジャー・ドナルドソン監督が35年前に出会った実話に基づき創作した、アンソニー・ホプキンス主演の2005年ニュージーランド・アメリカ合作映画。 

 1962年の実話...ニュージーランドの田舎町で暮らすバート・マンロー63才が、40年以上の月日をかけ独力で改造した1920年型インディアン・スカウトを駆り、1000cc以下流線型バイクカテゴリーで達成した世界速度記録は、現在もスピードの聖地ボンネビル・ソルトフラッツ(塩平原)の伝説となっている。

 映画のストーリーは、ガレージ小屋で独り年金暮らしの主人公、アンソニー・ホプキンス演じるバート・マンローが、アメリカ西海岸カリフォルニア州からユタ州ボンネビルまで旅をし、”様々な困難”を克服し世界速度記録を達成するまでを描いたロード・ムービー。 ”様々な困難”と言っても殆どは身から出た錆(笑)、ヒーロー映画にありがちな悪人は登場ぜず、まだまだ世の中捨てたものじゃ無いかもしれぬと、一時の希望を持たせてくれる映画。

 「羊たちの沈黙」でおぞましい天才殺人鬼を演じたアンソニー・ホプキンスだが、その対極にある破天荒で人好きのする老人役がハマっている。 威厳とプライドを失わず、様々な人に分け隔てなく笑顔で接する主人公に、世知辛い世の中が己を映す鏡だと感じさせられる次第である。

 初めてこの映画を観た時には、夢をあきらめぬ主人公とそのストーリー展開に感動することとなった。 そしてさらに主人公の言葉の意味を考え始めると、ビクトール・フランクル著「夜と霧」の”人生の意味”を実践した、バート・マンローの生きざまに共感を覚えることとなった。 「夢を追いかけぬなら野菜と一緒」の言葉通り「創造的価値」を生み出し、「全開で走る5分は他の人の生涯に匹敵する」の言葉通り「体験価値」を心に刻み、そして狭心症でオートバイを禁じられてもなお乗り続けた「態度価値」...ナチス収容所のフランクルの経験はあまりに重たすぎるが、身近なバイク道楽をテーマに綴られた物語は、身構えずに我が身の生き様を振り返えるとができるだろう。

 ところで、そんな主人公の生き方の原体験として、子供の頃双子の弟を亡くした経験や、スペイン風邪や太平洋戦争で多くの人が亡くなった記憶が語られるが、年金暮らしに至るまでの半生が描かれていないのが不思議であった。 年寄りになっても衰えぬ志があるのならば、なぜもっと若い頃に挑戦しなかったのか不自然に感じたのだ。

 映画中でバート・マンローは独り暮らしの設定だが、実際には1927年に結婚して四人の子供をもうけていたらしい。 えらく身につまされる話になってしまうが、仕事に追われて子供を育て上げ、年金暮らしの身の上になって夢に挑戦したのであれば、さらに共感を覚える話になったかもしれない。

 そして冒頭にお伝えした通り、歳を重ねるとこの映画がまた違って観えるようになった...と言うのは、ぶっ飛んだバート・マンローが出会う様々な登場人物に、自分の生きざまに似た側面を見つけ、それもありかと思えるようになった事である。 還暦を越えて人生の節目を迎え、同年代の同僚や友人の仕事や趣味に対する温度差が気になるようになったせいかもしれない。

 主人公に呆れる良識ある隣人、引退したバイク倶楽部の仲間、敵対しながらも敬意を持つバイカー達、女装した男性フロント、移民のディーラーや先住民家族、荒野の一軒家で独り暮す未亡人、ベトナム戦争で枯葉剤を撒く純朴な青年等々、ついつい、カメラを離れたその人達の生き様を思い浮かべてしまう...仕事や趣味に関わらず、何かに夢中になること、心に残る感動を手に入れる事、学び続ける事、プライドと尊厳を失わぬ生き方は一通りでないが、諦めてしまった先にはそれも叶わぬ気がするのである。



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