短期と長期(違和感の正体)

「養老先生、病院へ行く」

 コロナ自粛の徒然に手にした本で、ガン治療のために紹介された”総合病院”で感じた違和感の正体を知ることとなった。 その本は、「養老先生、病院へ行く」(エクスナレッジ)、心筋梗塞から生還した病院嫌いの患者と治療に当たった主治医が、それぞれの立場で治療の経緯を綴った著作である。

 一人目の著者、病院嫌いの患者とは、養老孟子、解剖学者/医学博士、400万部を超えて売れ続けるベストセラー「バカの壁」(新潮社)の著者である。 そして、通称「養老先生」は日本で最も有名な猫の一匹「(故)マル」の飼い主でもある。 もう一人の著者、主治医とは、中川恵一、東大病院放射線科医師、養老先生が東大医学部教授だった頃の教え子である。

 養老先生は「バカの壁」から一貫して、人間や社会が多様で変化し続けるものであることを論証しており、それを認識しなくなった現代社会の様々な批判には説得力がある。 また、思い込みによる常識がもたらす無関心や、盲目的な原理主義の危うさ等を事例に、話しても分かり合えない現実が示されている。 それらの事実を積み重ねた科学的な論証をベースに語られる、解剖学者/医学博士の経験が元になったであろう、生き方や死に方についてのイデオロギーには共感を覚える部分が多い。

「養老先生、病院へ行く」の中で語られる、養老先生が病院と距離を置いてきた理由は、ガイドラインに基づく画一的な治療システムに組み込まれたくないからである。 煙草を吸うな、甘いものを食べるな等々、各個人の年齢やイデオロギーなどの多様性が考慮される事なく、型どおりの指示や治療が成されることに疑問を感じ、拒否することによるストレスを避けたいわけである。

 しかし、最新治療の恩恵を認めそれを拒むわけでは無く、検診は受けず身体の声を聴き必要があれば受信する、それで手遅れになっても仕方ない…というスタイル。 主治医にしてみれば、全くもって面倒くさい、タチの悪い患者であろう(笑)。

 医学的な知識を有する養老先生を一般の患者と同列に扱ってよいのかどうか分からなぬが、確かに、八十歳を超える高齢患者に、十年後、二十年後、の病を予防する生活習慣を求める妥当性に疑問を覚える。 身の回りにおいても、高齢者が無数の診療科から処方された予防的な薬を、大量に内服するストレスに晒される光景を目にすることも少なくない。


ガン治療で感じた違和感

 我が身のガン治療を振り返ってみると、思い当たるやりとりが脳裏に浮かぶ...陽子線治療後の経過観察を引き継いだ総合病院の内科医に、背景にある再発のリスクを知りたくて検査理由を質問しているのに、「皆さんやっている検査です」という答えが返ってくる。 画像診断の結果について質問すると、「読影は陽子線治療医に任せてあるから安心してよい」という答えが返ってくる。

 各診療科のガイドラインに沿った実績ある検査と治療が受けられる反面、養老先生の批判通り、専門分野の狭間の総合診療が相談できぬ不安、自分の病状やライフスタイルに合わぬストレスを感じることとなった。 「治療システムに乗ってしまったら従うしかない」という養老先生の言葉が身に染みる。

 患者となった養老先生側への共感ばかりを述べてきたが、もう一人の著者中川医師の著作内容にも触れておきたい。 正直なところ、病院と距離を取りたい養老先生のイデオロギーに対し、ガン治療に早期発見が有効であること、そのために定期検診が重要であることを語る中川医師の論述は嚙み合っていないようだ(笑)。 しかし、ガンという病や治療の全体像が示され、効果的なガン検診の受け方も良くまとめられている。 男性は二人に一人、女性は三人に一人が発症する病に備えるために役立つであろう。

 最後になるが、養老先生と中川医師のやり取り全体を通して、ガイドラインに沿った型どおりの医療に感じるストレスを解消するためには、相性のよい主治医を見つけ出す以外に無いと思うに至った。 中川医師が、養老先生を手のかかる患者と愚痴りながらも、その批判やイデオロギーを尊重しながら的確な治療を施せる理由は、医者としての手腕以前にお互いを認め合う相性の良さによると感じるのだ。 

 

 

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